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事件 昭和 58年 (ワ) 3781号
裁判所のデータが存在しません。
裁判所 大阪地方裁判所
判決言渡日 1985/05/29
権利種別 著作権
訴訟類型 民事訴訟
主文 一 被告【A】は原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和五八年六月一四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用中、原告と被告【A】間に生じたものはこれを五分して、その一を同被告の負担、その余を原告の負担とし、原告と被告【B】間に生じたものは全部原告の負担とする。
四 この判決は主文一項について仮に執行することができる。
事実及び理由
全容
一 当事者の求めた裁判1 原告(一) 被告らは原告に対し、共同して別紙記載の謝罪広告を、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の各朝刊全国版社会面に、縦二段抜き、横七センチメートル、見出しはゴシツク体一・五倍活字、本文及び広告者名は明朝体一倍活字で、各一回掲載せよ。
(二) 被告らは原告に対し、各自金一五〇万円及びこれに対する昭和五八年六月一四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
(三) 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並びに(二)項につき仮執行の宣言を求める。
2 被告ら(一) 原告の請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
二 原告の請求原因1 原告は、昭和三二年武庫川学院女子短期大学を卒業し、昭和四七年に関西カウンセリングスクールのプレイセラピスト養成コース(三ケ月)で被告【A】の指導を受け、昭和四八年四月から約一年半大阪教育大学平野分校の同被告の研究室で遊戯療法についての指導を受け、昭和五二年四月から昭和五七年一〇月まで同被告の指導の下で同研究室を訪れる児童に対し遊戯療法による治療にあたつてきた。
被告【A】(以下「被告【A】」という。)は大阪教育大学助教授の職にあり、
被告【B】(以下「被告【B】」という。)は被告【A】の妻であるが、滋賀女子短期大学助教授の職にあり、いずれも臨床心理学を専攻している。
2 原告は昭和五一年三月頃芦屋市立教育研究所編・研究集録第二〇集に、「教育相談-教育相談症例報告-Y子の症例」と題する症例報告を発表した。
右報告は、原告が昭和五〇年六月から五か月間芦屋市立教育研究所において、ある登校拒否児童(小学一年生女児)に対して遊戯療法による治療にあたつた経験に基づき、そのケースについて治療の手法及び経過を原告の観察と意見を交えて纒めたものであり、原告の著作物である。
3 被告【A】は昭和五四年原告に対し、近々遊戯療法の本を書きたいので、紹介症例として原告が担当したケース記録を「Y子の症例」を含めて数例貸してほしい旨申し入れた。原告は右申し入れに応じ、他数例の症例報告とともに、手元にあつた「Y子の症例」の前記報告集に掲載の原稿を、同研究所の承諾の下に同被告に手渡した。
4 被告らは、昭和五五年八月二〇日福村出版株式会社から発行された【C】編「心理療法入門」の2章遊戯療法(七三頁から一一六頁)を共同執筆し、そのなかで原告の執筆による「Y子の症例」を「【D】の症例」と改題し、ほぼそのまま掲載した。右被告ら共同執筆部分は四四頁であるが、「【D】の症例」はうち二三頁を占め、その内容は、「Y子の症例」を若干改変した部分もあるが、これらは殆どが「Y子の症例」短縮したり当該症例の担当者は原告であることが読者に解らないようにしただけで、その他は文章に至るまで殆ど全てが「Y子の症例」そのままである。
5 被告【A】は、原告が右事実を指摘抗議したのに対し、以後このようなことのないようにする旨述べていたに拘らず、昭和五七年一〇月株式会社創元社から発行した自己の著書「遊戯療法の世界」において、二か所(七八頁、一二一頁)にわたり「Y子の症例」を「筆者の【D】の症例」と紹介し、注の部分に右症例の出典として前記「心理療法入門」を掲げ、本症例が同被告の症例であることを再び示した。
6 以上のとおり、被告らは、原告の氏名表示権(著作権法19条)、同一性保持権(同法20条)を侵害し、原告の著作である「Y子の症例」の引用方法(同法32条1項)が違法である。
7 以上のような被告らの不法行為により、原告は多大の迷惑を蒙つている。すなわち、被告らは大学の助教授であるのに対し、原告は何の肩書もない一主婦であるという立場の差から、原告が被告らの症例を盗用し研究成果を横取りしたというような全く逆の噂を流されたり、あるいは原告が被告らに対し「Y子の症例」を金で売つたなどと陰口されるなどの事態が生じている。
そうして、被告らは以上のような事態に対して、原告の名誉を回復させる適切かつ有効な措置をとらず、自らの非を率直に認めず自己弁明に終始して保身に窮々とし、かえつて陰では自分達が被害者であるかのような言動を続け、原告がヒステリー患者であるとか更年期障害であるとかいうような人格攻撃を行つてきた。
8 本件は訴訟の性格上弁護士に依頼することなく勝訴は不可能であり、その着手金・報酬として、訴訟物の価額(謝罪広告の掲載分と損害賠償金の請求分の合計四八三万九五〇〇円である。)のおよそ一割は不可欠な出捐である。
9 よつて、原告は被告らに対し、著作権法115条に基づき前記一の1の(一)記載の謝罪広告の掲載を求めるとともに、慰籍料一〇〇万円と弁護士費用五〇万円の合計一五〇万円と、これに対する訴状送達の翌日(昭和五八年六月一四日)から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
三 請求原因に対する被告らの認否及び主張1 請求原因1項は認める。
2 同2項は認める。
但し、被告【A】は当時「Y子の症例」が芦屋市立教育研究所の研究集録第二〇集に掲載されたことは知らなかつた。
「Y子の症例」は、被告【A】が原告より最初から相談を受け、指導と助言をしたものである。
3 同3項は認める。
4 同4項について 「心理療法入門」の2章遊戯療法は被告らの共同執筆ではなく被告ら各自の分担執筆であり、「【D】の症例」の部分は被告【A】が分担執筆したものであつて、
原告【B】は右部分には全く関与していない。
被告【A】は、「【D】の症例」の原稿には、「本例は、【E】(大阪教育大学研修員)が担当し、筆者がスーパーバイズした症例である。」と脚注を付し、これを原告に示して承諾を得たうえ福村出版に送付した。ところがその組版の際右脚注が脱落していたが、同被告も、当時被告【B】が病気入院中でその看病に忙殺され、校正の際右脚注脱落を見落してしまつた。
右脱落を知つた原告は、直ちに被告【A】にその旨連絡してきたので、同被告は直ちに不注意を謝罪して将来同書の第二刷を発行する際右脚注の挿入を確約し、原告もこれを了承した。かくして昭和五五年一〇月頃右脚注脱落問題はここに円満に示談が成立し解決した。
原告は、それ以後昭和五七年一〇月までの二年間、被告【A】の研究室で同被告の指導の下に従来どおり週一回の研修を続け、その際四季折々の弁当まで同被告に持参提供し、同被告の自宅まで行つて指導研修を受け、「遊戯療法の実際」(仮題)の執筆を快諾し、長女の研究について同被告に相談指導を仰ぎ、被告夫妻をコンサートに招待する等師弟は円満親密な間柄にあり、原告は常に感謝を繰り返していた。
5 同5項について 被告【A】は「遊戯療法の世界」の中で「【D】の症例」を二か所に引用したが、その際同被告の原稿に記入されていなかつた「筆者の」の三文字を、創元社の社員が同被告に無断でその初校ゲラに挿入し、「筆者の【D】の症例」とし、そのとおりに印刷発行されてしまつた。
被告【A】は右事実を知るや、直ちに創元社に厳重抗議するとともに原告に謝罪した。創元社は直ちに在庫品を回収し、昭和五七年一二月二〇日発刊の第二刷(重版)からは「本症例は【E】氏の症例である。」と明記し、回収した在庫品についても切り替えし法により重版と同様の訂正をした。
6 同6ないし9項は争う。
被告【A】は昭和五七年一一月一〇日の教授会で助教授から教授への昇任が決定された。ところが、最年少の同被告が若冠四〇歳で教授になることに反感を覚えた一部の関係者は、同被告の教授昇進を阻止するため原告を抱き込み、前記脚注脱落・校正ミスを新聞紙上に大々的に報道させた。
原告も、約一〇年にわたる被告【A】の真摯な指導交誼を忘れ、同被告の教授昇任反対の政治運動に加担し、解決済みの脚注脱落問題を積極的に教授昇任反対論者に訴え、本訴提起後は原告の昭和五八年一〇月一八日付準備書面をアジビラに印刷して広く配布し、あげくはこれを被告らの恩師である京都大学の【F】教授らにまで送付している。
被告【B】は「心理療法入門」中の「【D】の症例」については全く執筆せず、
しかもこのことを原告は熟知していた。従つて、原告の同被告に対する主張は全く的外れの論議にすぎず、その請求が失当であることはいうまでもない。原告は、被告【A】との示談交渉においても、被告【B】に対する申し入れは全くしなかつた。しかるに、原告は、前記政治運動のため本訴で突如同被告をも共同不法行為者と主張するに至り、同被告に対しても理由なき攻撃を加えている。
一〇年にわたる被告【A】の真摯な指導交誼を無視した原告のかかる態度は、障害児教育に携わる被告らにとつて誠に悲しい限りである。
四 原告の反論1 「心理療法入門」の原稿には、「【D】の症例」について主張のような脚注を入れていたが、組版の際脱落したとの被告【A】の主張は、不自然であり信用できない。
2 被告らは、「心理療法入門」の著作権侵害行為について、事後的に原告が了解して解決済みの問題であると主張するが、原告がことさらに事を荒立てなかつたのは、原告が大阪教育大学で担当していた症例の継続(それは子供に対する配慮である。)を考慮したことや、同僚らの説得を受けてのことであり、これをもつて本件問題を解決済みと理解することは被告【A】の傲慢な思い込みにすぎない。
3 本件著作権侵害行為は、被告らが主張するような単純な校正ミスによるのではなく、被告【A】に原告など弟子の著作権ないしは実践活動を尊重しようとする配慮が基本的に欠如していることから生じたのである。すなわち、同被告には弟子の業績は全て師である自分のものであるとの意識があり、それが本件を引き起こし、
その後の不誠実な対応や本訴の主張に現われているのであり、そのことは、同被告が原告に症例記録(「Y子の症例」の原稿を含む)の借用を申し込む際、その使用の態様や著作者の表示等につき、当然説明すべきことがらを一切説明せず(それは原告の原稿なり症例なりを使つてやるという発想に基づく)、そうして「心理療法入門」で原告の著作権を無視しておき、且つそのことを抗議された後、「遊戯療法の世界」においても「【D】の症例」が原告の実践例であることを注記する等格別の配慮を加えず、しかもその校正にあたつても、これを自ら行なわず学生に命じたことなど、同被告の姿勢を端的に物語るものである。
4 被告【B】は、「心理療法入門」中の「【D】の症例」の部分は同被告の担当ではないから、著作権侵害行為につき責を負うものではないと主張するが、「心理療法入門」の2章全体が被告らの共著として発表され、何ら分担については客親的に明示されていないのであるから、共同執筆者として直接には執筆を担当しない部分についても、その記述が第三者の著作権を侵害することのないよう配慮すべき義務があり、この担当の如何は被告らの内部問題にすぎない。
五 証拠(省略) 理 由一 請求原因1項ないし3項の事実は当事者間に争いがない。
二 被告【A】の著作権侵害行為について 成立に争いのない甲第一ないし第三号証、甲第四・第六号証の各一・二、乙第一号証、乙第一〇ないし第一二号証、乙第一七号証、乙第二一号証ないし四、被告【A】の本人尋問の結果により成立が認められる乙第二号証の一・二、乙第三ないし第六号証、乙第一三ないし第一六号証、乙第一八号証、証人【G】の証言、原告、被告【A】の各本人尋問の結果によれば、次の各事実が認められる。
1 原告は、昭和五〇年四月から芦屋市立教育研究所の嘱託相談員として教育相談に携わり、同年六月から一〇月までの間前後一二回にわたり同研究所を訪れた登校拒否の小学一年の女児Y子に対して遊戯療法を施こしたが、これについては何度か被告【A】の指導と助言を受けた。
原告は、被告【A】の勧めにより同年一二月一日京都大学教育学部において、同被告が講師をしている授業の中で、同大学の学生約一五名の前で右Y子のケースの症例報告をした。又、原告は、予め同被告に報告草稿に目を通してもらつて指導と助言を得たうえ、昭和五一年二月二七日兵庫県内教育研究所連盟研究発表大会で同症例報告をした。右報告は同年三月頃、芦屋市立教育研究所編・研究集録第二〇集(甲第一号証)に、「教育相談―教育相談症例報告―Y子の症例」と題して掲載された。同被告は昭和五四年六月一六日大阪教育大学の授業で、学生に対し原告の症例であることを明示したうえで、「Y子の症例」を「【D】の症例」として紹介した。
2 被告【A】は昭和五五年初め原告に対し、近々遊戯療法の本を書きたいので紹介症例として、原告が担当したケース記録を「Y子の症例」を含めて数例貸してほしい旨申し入れた。そこで、原告は、右申し入れに応じ、「Y子の症例」他数例の症例報告を清書のうえ写真を添えて同被告に手渡した。
【C】編「心理療法入門」(甲第二号証)が昭和五五年八月二〇日福村出版株式会社から発行されたが、被告【A】は、その2章遊戯療法のうち、1さまざまな子供たちとの出会い、2遊戯療法とはなにか、5【D】の症例を、被告【B】は、同3の遊戯療法の実際、4治療経過をそれぞれ執筆した。なお、右「心理療法入門」の末尾には、「【A】・2章執筆」、「【B】・2章執筆」と記載されている。
ところで、右2章の5【D】の症例(九四頁から一一六頁)のうち九四頁から一一四頁までの部分の文章は、原告が被告【A】に手渡した、前記甲第一号証に掲載されたものと同じ、「Y子の症例」の文章を、その標題を【D】の症例と対象者の呼称をY子から【D】へと変更したほか、一部読者の理解を助けるために改変又は要約するだけで、その細部に至る表現方法までほぼ同一内容としたもので、明らかに「Y子の症例」の再録(複製)といえる内容のものであつた。
もつとも、被告【A】は、そのようにしたことについて、同著の原稿中には、
「(注)本例は、【E】(大阪教育大学研修員)が担当し、筆者がスーパーバイズした症例である。」との脚注文を欄外に記載しており(乙第一四号証三五頁)、昭和五五年六月頃同原稿を原告に見せてその承諾を得たうえで福村出版に送付したものであるが、原稿が横書きのものであつたのに組版が縦組でなされたためか、右脚注が脱落したまま発行されてしまつた。被告【A】も、当時被告【B】が子宮体部癌、血清肝炎のため入退院を繰り返し(乙第一七号証)、その看病と家事に忙殺されて校正に十分な時間を割くことができず、右脚注の脱落を見落してしまつた。
3 原告は、昭和五五年一〇月頃周囲の者から、原告が発表した「Y子の症例」は被告【B】が扱つた症例ではないかとか、原告が同被告の症例を盗用して発表した等と噂されていることを聞き、自分で「遊戯療法入門」を購入して初めて、
「【D】の症例」が原告の扱つた症例である旨の脚注が脱落していることを知つた。
そこで、原告は同年一二月になつて、被告【A】に宛てて、「遊戯療法入門」の「【D】の症例」には原告が扱つた症例であることの脚注が脱落しており、周囲の者の間で原告が被告【B】の症例を盗用したと噂されて困つている旨の書簡を送つた。同被告は、右書簡で初めて前記脚注の脱落を知り、同月二一日原告宛ての書簡(甲第四号証の二)を以て、前記脚注脱落の経緯を説明し、自分の手落ちで原告が批難される結果となつて迷惑をかけたことを佗び、「【D】の症例」(Y子の症例)のことで原告に何か言う人がいたらこの手紙を見せてその人々に説明して下さいと申し入れたうえ、「心理療法入門」の再版時には右脚注を必ず明記すると約束した。
このように右脚注脱落問題に一段落がみられたためか、原告と同被告との関係は以前の円満親密さを取り戻した。すなわち、原告は、その後も昭和五七年一〇月までの間、週一回被告【A】の研究室に出向いて同被告の指導の下、同研究室を訪れる児童に対し遊戯療法を施こしていたが、その際四季折々の弁当を作り同被告に持参提供し、昭和五六年二月から昭和五七年九月までの間数回にわたり、同被告の自宅で開催された遊戯療法の研究会に参加して症例を発表するなどして同被告から指導を受け、昭和五六年夏頃同被告に対し大学で心理学を専攻している娘の研究についての相談指導を仰ぎ、同被告から関係文献のコピーの送付を受け(乙第一〇号証)、昭和五七年夏頃同被告から「遊戯療法の実際」(仮題)と題する著書へ掲載する論文の執筆を依頼されてこれを承諾し、昭和五七年八月被告夫妻をコンサートに招待する旨の手紙(乙第一一号証)を出している。
4 被告【A】は昭和五七年一〇月二〇日株式会社創元社発行の「遊戯療法の世界」(甲第三号証)を著述したが、同著の七八頁と一二一頁の二個所に、「筆者の【D】の症例では……」との記述があり、いずれも脚注を以て、その引用した「筆者の【D】の症例」が被告【A】執筆の前記「心理療法入門」中の「【D】の症例」の記述を指すものであることが示されていた。
もつとも、右「筆者の」の三文字は同著の原稿(乙第一五号証)にはなく、創元社の社員【G】が、前後の文章の続き具合からみて読者によく解るだろうと速断して、同被告に無断でその初校ゲラに挿入したところ、同被告が再校を学生に任せ自分で目を通さなかつたため、印刷仕上りには右三文字が挿入されて発刊されてしまつたものであるが、その初版発刊時点では前記「心理療法入門」は第一刷の分が末だに販売中であり、「【D】の症例」が原告の担当した症例である旨の脚注が挿入されず脱落したままとなつていたので、読者には、右「筆者の【D】の症例」として引用された前記「心理療法入門」の中の「【D】の症例」は、被告【A】の著述物であるような誤解を生むこととなつた。
被告【A】は、昭和五七年一〇月二五日右「筆者の」が加入されている事実を知り、直ちに創元社に対して厳重抗議するとともに在庫品の回収を命じ、原告に対しても同年一一月三日付の書簡(甲第六号証の二)で謝罪した。創元社も、直ちに在庫品を回収して切り替えし法により「本症例は【E】氏の症例である。」と明記して訂正するとともに(乙第二一号証)、同年一二月二〇日第二刷(重版)を発行して同様の訂正を行う一方、原告も福村出版を通じて右「心理療法入門」の第一刷の残部四〇三部を回収して買取つた。
原告は、「心理療法入門」の原稿に被告ら主張の脚注が書かれてあつたことには疑問があると主張する。しかし、原告自身本人尋問中で、「被告【A】から『【D】の症例』の原稿を見ておいてくれと言われたので、原稿を見たら注が入つていて、『本症例は【E】(大阪教育大学研修員)が担当したものである』と書かれていた」旨、明確に供述していること(原告の昭和五九年三月二三日付本人調書一五丁ないし一七丁)、同被告は、京都大学での講義で原告に「Y子の症例」を発表させ、又、大阪教育大学での講義で担当者が原告であることを明示して「【D】の症例」を紹介していること、同著でも他の症例B、Cについては、原告の担当であることを明示していること(一一六頁注)などに照らせば、前認定のとおり組版の誤りから脚注を脱落させてしまつたことが優に認められ、むしろこれらの事実から、被告【A】において、原告など弟子の研究成果を自己ないし被告【B】のそれの如く横取りしようとするような卑賎な気持から発したものでないことがひとまず諒解できるのであつて、原告の挿疑は理由のないものといわなければならない。
三 被告らの不法行為責任について1 被告【A】 前認定の事実によると、被告【A】著述の「心理療法入門」の「【D】の症例」(九四頁から一一六頁)のうち九四頁から一一四頁の二行目までの部分は、原告の著作物である「Y子の症例」の全部引用というべきものであるに拘らず、その引用であることの明示を欠き、次いで同被告著述の「遊戯療法の世界」の中には、右「Y子の症例」の引用著作物である「心理療法入門」中の「【D】の症例」の引用部分において、依然として右「【D】の症例」が「Y子の症例」の引用であることが示されず、かえつてそれが被告【A】の著作物であるものとして引用されたものであり、同被告の右両著述は、前者はそれ自体で、後者は前者と相俟つて、原告がその著作物「Y子の症例」につき有する氏名表示権(著作権法19条)を侵害したものということができる。
もつとも、前認定の事実によれば、被告【A】はもともと故意に「Y子の症例」の担当者が自己ないしは妻【B】であるとして発表しようなどという意思はなく、
前者においては原稿に担当者が原告である旨の脚注を付記しておいたものが組版の段階で脱落していたことに気付き得ず、後者においては出版社員の勝手な裁量によつて「筆者の」の三文字が挿入されたものであるが、前者は著者としても右脚注の脱落の有無は事が他人の研究成果にかかわるものである以上細心の注意が必要であつたというべきであり、とくに横組みを意識した横書原稿として右脚注を欄外に書いておいたところ縦組みとなつていたのであるから、その脚注の組版挿入個所との関係で通常の注意を以てすればその脱落に気付き得たというべきであり(そのことが原告側に前記原稿の脚注が後に欄外に書き加えられたのではないかとの疑念を抱かしめる由縁でもある。しかし横書の書物であつてはその脚注が当該頁の下欄に記載される例は少くなく、被告【A】がこれにならつて原稿もそういう体裁としたとの弁明をにわかに排斥できない)、また、後者は「筆者の」と付加されたことにより、そこに引用された「【D】の症例」が同被告の著作物であることが強調された効果はあるものの、それによつて始めてその意味が明らかとなつたのではなく、原稿の段階で「【D】の症例」の註記として、その出典が前記被告【A】による「心理療法入門」中の「【D】の症例」であることを既に示しているものとみられる(そうみれば、右三文字の追加は被告【A】の原稿が意図したところと逆方向に改変したというものでは決してなく、むしろ客観的にはその趣旨を明確にしたといえなくもない)ところ、前認定のとおり、その時点では販売中の「心理療法入門」初版本には「【D】の症例」につき先の脚注脱落のままであることを知つていたのであるから、何ら注釈を加えず前認定のような形で右「心理療法入門」を引用すれば、先の「【D】の症例」における原告の著作者氏名表示権の侵害の上塗りとなる結果を招来するであろうことに気付きえたと認められる。
よつて、被告【A】は、右原告が「Y子の症例」につき有する氏名表示権(著作権法19条)を過失によつて侵害したものであり、原告に対する不法行為による損害賠償責任を免れないものというべきである。
もつとも、原告と被告【A】との間では、前述のとおり【D】の症例の脚注脱落問題は一段落したことが認められるが、それは原告から同被告に対して差し当つては脚注脱落を問題としないというにすぎず、前認定の事実によつても、原告が同被告に対して有する著作権侵害による損害賠償請求権等を放棄ないしは免除したものとまでは認められない。
なお、被告【A】は原告に「【D】の症例」の確定原稿を見せてその承諾を得たうえ福村出版に送付し、同出版は右原稿(但し脱落した脚注の部分はそうではない)に基づき「心理療法入門」を出版したのであるから、原告が「Y子の症例」の著作に対して有する同一性保持権(同法20条)を同被告が侵害したものとは認められず、又、原告の著作である「Y子の症例」の引用の方法(同法32条1項48条1項1号)についても、原告の扱つた症例である旨の脚注が脱落していた点は違法であるが、それ以外は何ら違法な点はない。
2 被告【B】 被告【B】は「心理療法入門」中の「【D】の症例」の部分については全く関与しておらず、被告【A】の過失によつて原告の症例であることを示す脚注が脱落し、原告の氏名表示権が侵害され、又原告の著作の引用の方法が違法となつたのであり、原告の著作権が侵害されたことについて被告【B】に故意・過失があつたものとは認められないので、同被告には責任がない。同書の奥付に、その第2章が被告【A】・【B】の両名により執筆されたことを示す記載があるが、証拠上本件不法行為を構成する記述部分につき被告【B】の執筆分担部分でないことが認められる以上、右記載をもつて同被告に共同不法行為者としての責任を問うことはできない。
五 慰藉料、謝罪広告の掲載、弁護士費用の請求について1 「心理療法入門」中の被告【A】執筆部分は三二頁あり、うち「Y子の症例」の引用部分は二一頁に及び、その細部にわたる文章の表現方法に至るまでほぼ同一内容であるから、明確に原告著「Y子の症例」の転記であることを示すべきであつた(この点では、むしろ被告【A】の原稿のように「本例は【E】が担当し筆者がスーパーバイズした症例である。」としただけでは不十分であり、「本例は【E】が担当し筆者がスーパーバイズした症例であり、以下の記述は【E】が執筆した『Y子の症例』の症例報告に基づくものであるが、読者に解りやすくするために筆者が一部改変したり短縮して要約した部分もある。」旨脚注に明記するのが正確であろう。)のにこれを怠り、又、「遊戯療法の世界」については、それが発行された時点で販売中の「心理療法入門」第一刷は、未だ「【D】の症例」が原告の担当した症例である旨の脚注が脱落したままであつたのに安易にこれをそのまま引用して誤解を招くなど、被告【A】には原告の著作者人格権、ひいてはその研究成果を尊重しようとする配慮に欠けるところがあつたとみられてもやむを得ないものがある。
しかも、原告本人尋問の結果及び証人【H】の証言によると、原告は、「心理療法入門」が発行された頃周囲の者から、「原告が発表した『Y子の症例』は被告【B】が扱つた症例ではないか。」等と噂され、「遊戯療法の世界」が発行された頃周囲の一部の者から、「とうとう原告は被告【A】に『Y子の症例』を金で売つた。」等と批難され、更に「Y子の症例」の著作権侵害問題が新聞で報道された(後記2参照)後は一部の者から、「原告はヒステリー患者、更年期障害で、被告らはひどい目にあつている」等と言われて批判を受け、さまざまな迷惑を蒙つていることが認められる。
2 しかし乍ら、他方成立に争いのない甲第八号証、同じく乙第一九、二〇号証、
原告及び被告【A】両本人尋問の結果によると、本件の発生にからんで、次のような事実のあることが認められる。すなわち、被告【A】は昭和五七年一一月一〇日の教授会で助教授から教授への昇任が決定された。ところが、同月一七日の毎日新聞(乙第一九号証)に、「弟子の研究成果横取り」、「問われる学者の良心」、
引用明示せず出版」等の見出しの下、原告、被告【A】の実名こそ伏されているものの、「心理療法入門」の【D】の症例の脚注脱落問題、「遊戯療法の世界」で筆者の【D】の症例として紹介されていることについて取り上げられ、学者として批判されても仕方のないケースである、出版社のミスという弁明は著作権に対する認識に欠け、学者として無責任な態度としか思えないとの論評が加えられた記事が掲載された。更に同月二一日の読売新聞(乙第二〇号証)にも、「教え子の論文借用」、「教授昇進に待つた」、「名前明記の約束ホゴ」の見出しの下、同被告の実名、写真入りで「心理療法入門」「遊戯療法の世界」が取り上げられ、同被告が、
実際に研究を担当した原告の名を著書に明記すると約束して、著書の二分の一にあたる部分を下書きさせながら、二回にわたつて約束を果さず、自分の研究のように発表した、大阪教育大学平野分校の養護教育教室は、同被告の教授昇進を事実上ストツプさせることを申し合わせた、こうしたケースはほとんどなく、とかく批判の多い研究者のモラルに大学自身がエリを正したものといえそうだとの記事が掲載された。又、昭和五八年二月二四日付の「OKDニュース・NO155号」(大阪教育大学広報委員会発行)(甲第八号証)の中で、「【A】問題について」と題する特集が掲載され、被告【A】には原告の著作権あるいは実践活動を尊重しようとする配慮が基本的に欠けていたとして、同大学の複数の関係者によつて、同被告の学者としての姿勢にさまざまな角度から批判が加えられ、同被告自身も、自己の著作に関して慎重な配慮を欠いた結果関係者に多大の迷惑をかけたことをお佗びし、研究者として特に障害児教育に携わる者として基本的な配慮に欠けていたことを深く反省すると述べて、謝罪した。そして被告【A】は「Y子の症例」の著作権侵害問題が原因で教授会で教授昇任決定が取消されてしまつた。
3 右1の事実によれば、被告【A】の過失は必ずしも軽いものではなく、原告の蒙つた精神的打撃も少くはないと認められるけれども、右2の事実によれば、被告【A】は大学の内外で学者としての態度まで遡及した批判を受けて、既に相当の社会的制裁を受けており、しかも被告【A】は、「Y子の症例」の著作権侵害問題が表面化するや、直ちに、「心理療法入門」の第一刷の在庫約四〇〇冊を回収して買取り、「遊戯療法の世界」も回収して本症例は原告の症例であると明記して訂正し、著作権侵害行為の回復措置を講じ、又、「遊戯療法の世界」の中で「筆者の【D】の症例」となつていることを知るや、直ちに原告に対して謝罪の手紙を出したことなど諸般の事情を考慮すれば、原告の損害を補填するにはもはや謝罪広告の掲載はその必要性に乏しく、被告【A】に対し慰藉料として金五〇万円の支払を命ずることを以て足りると思料する。
成立に争いのない乙第七ないし第九号証によれば、被告【A】は、本訴係属前の示談交渉において原告に対し、迷惑料の支払(初め三〇万円、後にその増額を申し出る)を提案し、かつ、示談書の写しを郵送料等の費用同被告負担の下に原告が関係者に配布するか、又は原告作成の関係者リストに従い右示談書を同被告が配布することを申し出たが、原告が右申し出に応ぜず本訴を提起したことが認められるので、同被告の不法行為と原告の弁護士費用の出捐との間には相当因果関係が認められない。
六 以上の認定・判断によれば、被告【A】は原告に対し、慰藉料五〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日(昭和五八年六月一四日)から完済まで年五分の割合により遅延損害金の支払義務があり、原告の本訴請求は右の限度で理由があるので認容し、その余はいずれも理由がないので棄却することとして、民訴法89条92条本文、196条1項を各適用のうえ、主文のとおり判決する。
追加
謝罪広告「私達は共同執筆により、【C】編「心理療法入門」福村出版一九八〇年の九四ページから一一四ページにおいて「【D】の症例」と題する症例報告を掲載しました。この部分は【E】氏が芦屋市立教育研究所編「研究集録第二〇集」(昭和五一年三月)に「教育相談-教育相談症例報告-Y子の症例」と題して掲載された部分を引用したものですが、「心理療法入門」中には引用であることを明記していませんでした。また、【A】の執筆した「遊戯療法の世界」創元者(昭和五七年一〇月)の七八ページと一二一ページにおいても、この症例を「筆者の【D】の症例」と表現して引用しました。そのため、この症例が【B】の担当によるものと誤解されることなり、【E】氏にさまざまな御迷惑をおかけすることになりました。そこで本紙面をかりて【E】氏におわびするとともに、あらためて前記事実を明らかにすることといたします。」奈良市<以下略>【A】【B】
裁判官 潮久郎
裁判官 紙浦健二
裁判官 徳永幸蔵