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事件 平成 13年 (ネ) 601号 書籍発行差止等請求控訴事件
控訴人 A
訴訟代理人弁護士 山下幸夫
被控訴人 B
被控訴人 株式会社日本経済新聞社
両名訴訟代理人弁護士 光石忠敬
同 光石俊郎
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2002/01/30
権利種別 著作権
訴訟類型 民事訴訟
主文 本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 控訴人 (1) 原判決を取り消す。
(2) 被控訴人らは、原判決別紙目録記載の書籍のうち、同別紙一覧表A記載部分をすべて削除しない限り、同書籍を発行し、販売し又は頒布してはならない。
(3) 被控訴人らは、控訴人に対し、連帯して、金225万1891円及びこれに対する平成10年3月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(4) 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人らの負担とする。
(5) 仮執行宣言 2 被控訴人ら 主文と同旨
事案の概要
本件は、被控訴人Bが執筆し、同株式会社日本経済新聞社が出版している「Cとソニースピリッツ」との題号の書籍(被控訴人書籍)中の「エピローグ」部分は、控訴人の執筆に係る「夕刊フジ」の連載記事「デジタル・ドリーム・キッズ/ソニー燃ゆ」中の第65回「天才を送った日」との題号の掲載記事(控訴人著作物)を複製又は翻案したものに当たり、被控訴人書籍の発行、販売及び頒布は、控訴人の著作権(複製権翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権同一性保持権)を侵害するものであるとして(翻案権侵害は当審で追加した予備的主張)、控訴人が、被控訴人らに対し、被控訴人書籍の出版の差止め及び損害賠償を求めている事案であり、控訴人の請求をいずれも棄却した第1審判決に対し、控訴がされたものである。
本件の前提となる事実、争点及びこれに関する当事者の主張は、次のとおり、当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要」のとおり(ただし、原判決5頁5行目の「掲載された。」の次に「したがって、控訴人は、控訴人著作物の著作権者である。」を加え、同19頁2行目の「二五九分の二のに当たる」を「二五九分の二に当たる」に改める。)であるから、これを引用する。
1 控訴人の主張 (1) 依拠性について ア 原判決は、被控訴人Bが、被控訴人書籍の執筆前に控訴人著作物に接する可能性があったことを認めながら、依拠性を認めるためには、控訴人著作物と被控訴人書籍の各記述部分との間に著作物としての同一性が存在することを要するとして、結局、依拠の有無についての判断を示していない。しかし、このような判断は、本来別個の要件である同一性の要件と依拠性の要件を混同する点で誤っているばかりでなく、依拠性に関する控訴人の立証の機会を奪うものといわざるを得ない。
イ 控訴人著作物は、平成10年1月21日に執り行われた株式会社ソニーの創業者で同社最高相談役のC氏のソニーグループ葬(以下「本件葬儀」という。)の模様を叙述したものであるが、被控訴人書籍中、本件葬儀の模様を叙述した部分が、控訴人著作物に依拠していることは、以下の点から明らかである。
まず、被控訴人書籍には、控訴人著作物に依拠することなく執筆されたとは考えられないほど共通した内容及び表現が含まれている。すなわち、原判決別紙一覧表B欄2の、@D元首相が本件葬儀に出席していたとの事実に反する記述、
A「カラープロジェクション」及び「カラーモニター」との表現、B本件葬儀の出席者についての記述、C「隣室で」との表現、同3の、D「敬虔なクリスチャンだった」との表現、E「宗教色の・・・強くない」との表現、F「映像と音楽」との表現、同4の、G「午前11時55分の献灯で式が開始された」との表現、H時間の表記、I「祭壇の左端に置かれたグランドピアノ」との表現、J「ショパンの『葬送行進曲』」、同5の、K「葬送行進曲とともに」との表現、L「制服姿のボーイスカウト」との表現、M「Eの胸に抱かれた」との表現、N「祭壇一番上に安置された」との表現、O「黒い布で覆われ、十字架をかけられた遺骨を納めた箱」との表現、P「それを見下ろすように飾られた大きな遺影」及び「飾られたCの遺影は、首を少し左側にかしげ、頬づえをつくように左手を頬に添えて微笑んでいる」との表現、同6の、Q「会葬者・・・による黙祷が1分間」との表現、R「ハワイで病気療養中」との表現、S「メッセージをF夫人が代読した」との表現、<21>「今日、ここにいなくてはならない人、一番初めに葬儀委員長として弔辞を読まなければならない人、それは私の夫であるGでございます」との表現は、いずれも同表A欄の対応する被控訴人書籍の記述と同一又はほぼ同一であり、このことは、被控訴人Bが控訴人著作物に依拠して被控訴人書籍を執筆したことを裏付ける重要な間接事実となるものである。
また、控訴人は、平成9年12月19日に死去したC氏に対する哀悼の意を込めて、「夕刊フジ」に連載していた「デジタル・ドリーム・キッズ/ソニー燃ゆ」の番外編として、同月23日から27日まで4回にわたり「C追悼緊急特別編」を執筆し、その後も、平成10年1月30日から2月18日までの間、計13回にわたり本件葬儀に関する記事を執筆した。当時、本件葬儀についてこのように詳細に記述した記事は、ソニー株式会社が作成した広報資料(甲5)以外にはなかったこと、控訴人の執筆に係る「夕刊フジ」の上記連載記事は、当時、ソニー関係者に周知であったことを考えると、「ソニーウォッチャー」を自称する被控訴人Bが、被控訴人書籍を執筆するに当たり、控訴人著作物を入手してこれに接したであろうことは疑いの余地がない。
他方、被控訴人Bは、本件葬儀に自ら参列しなかったことを自認しており、しかも、被控訴人Bが被控訴人書籍を執筆するに当たって参考にしたというソニー株式会社広報室作成のビデオ(乙3の1)は大幅に編集されているものであって、これから本件葬儀の詳細な時間の推移を認識することはできないから、被控訴人書籍が控訴人著作物に負っていることは明らかである。
(2) 複製権の侵害について ア 判断基準について 複製とは、既存の著作物の創作的な表現形式をそのまま利用し、又はこれに多少の修正、増減、変更をするが、新たな創作的な表現形式を加えないものであるから、既存の著作物の創作的な表現形式全体の同一性は損なわれず、これが維持されたものが作成されることをいう。その判断基準としては、控訴人著作物における表現形式と、被控訴人書籍における表現形式とを対比して、共通する表現形式と、異なる表現形式とを把握した上で、この両者の創作的な表現形式としての価値の存否及び程度をそれぞれ検討し、両者の創作的価値の相関関係を考慮して、既存の著作物としての創作的な表現形式全体の同一性を判断することとなる。言語の著作物については、個々の用語や一文ごとに微視的に分析して検討すると、個性を表出することができる表現形式の選択の幅が狭い場合であっても、ある程度のまとまりとして総合して評価すると、その表現形式の選択の幅は格段に広がっていき、著作者の個性が何らかの形で表れていると見られる場合が多くなるから、その創作性の認められるまとまりとして把握することのできる部分を複製して利用する行為は著作権侵害を構成すると解すべきである。
本件においても、控訴人著作物全体と、被控訴人書籍245頁1行目〜248頁末行(以下「被控訴人書籍対比部分」という。)をそれぞれのまとまりとして、比較検討する必要があり、これを対比したのが別表である。なお、別表の下線部は用語が同一又は類似の部分、太字部分は用語が同一又は酷似している部分である。
イ 構成の同一性 上記の観点から、まず、控訴人著作物の構成を見ると、@本件葬儀の日時・場所等、A会葬者の数、B本件葬儀への主要な参加者名と所属、C隣室の状況、D本件葬儀の形式、EC氏の遺影の情景、FC氏の遺影の下の状況、GC氏が文化勲章を授与されていること、H本件葬儀の進行役、I献灯で式が開始されたこと、J本件葬儀の冒頭の状況、K葬送行進曲が流れ、それをH会長の夫人が演奏したこと、LC氏の遺骨の入場の状況、M遺骨を納めた箱の状況、N黙祷の状況、OG名誉会長のメッセージをF夫人が代読したこと、Pメッセージの前置き部分の紹介、QF夫人のメッセージの内容が会場の参列者と著者の涙を誘ったこと、以上の記述順序の構成となっている。本件葬儀の模様をこれほど詳細に記述した文章は、
被控訴人書籍を除いては他になく、上記のような構成、特に、遺影に関するE、Fや遺骨に関するMを選択したことに独創性があるというべきである。
他方、被控訴人書籍対比部分の構成は、別表控訴人記事欄(8)の遺影に関する記述に相当する部分が別表被控訴人書籍欄(ト)、(ナ)に移動されているほか、ほとんど同一である。
ウ 独創的な表現の対比 控訴人は、C氏及びG氏らの創業者が経営者だった時代の株式会社ソニーの元従業員であり、両名からは多大な影響を受け、その思い入れは格別である。
このような背景から、本件葬儀に対しても控訴人の思い入れは深く、このことが控訴人著作物にも色濃く反映され、通常の記事では触れられることはないと考えられる遺影や遺骨の描写(別表控訴人記事欄(8)、(9)、(18)、(19))は、極めて独創性が強いものとなっている。
また、控訴人著作物の記述中、別表控訴人記事欄(6)の「カラープロジェクションとカラーモニターを通して葬儀に参加した」、同(7)の「宗教色のさほど強くない『映像と音による葬儀』だった」、同(8)の「遺影は、首を少し左側にかしげ、頬づえをつくように左手を頬に添えて微笑んでいる」、同(13)の「献灯で式が開始された」、同(18)の「制服姿のボーイスカウト日本連盟の隊員たちに守られて、子息のEの胸に抱かれたCの遺骨が入場」、同(19)の「それを見下ろすように飾られた大きな遺影」との表現は、控訴人の印象、評価、感想等が込められた表現であり、独創性があるものである。
上記のような独創的な表現部分において、被控訴人書籍の表現は、要旨、言い回し、用語が同一であるか又は類似している一方、被控訴人書籍対比部分中、控訴人著作物の記述と異なる部分(別表被控訴人書籍欄(イ)〜(オ)、(キ)、(サ)、
(ソ)、(チ)、(ネ)、(ニ)、(ノ)(下線部を除く。)、(フ)〜(ヨ))は、控訴人著作物に記述されている事項について説明を付加したにすぎないものや、客観的事実を記載したもの、広く知られていた公知の事実というべき内容、あるいはF夫人のメッセージをそのまま引用する部分等であるから、被控訴人Bの著作物としての創作性がない部分というべきである。
エ 以上のとおり、被控訴人書籍の記述は、控訴人著作物の記述から多少の修正、増減、変更はあるものの、控訴人著作物の創作的な表現形式全体の同一性は損なわれずにこれが維持されているというべきである。そして、被控訴人書籍が控訴人著作物に依拠していることは前記のとおりであるから、被控訴人書籍は控訴人著作物の複製物に当たる。
(3) 翻案権の侵害について ア 控訴人は、複製権の侵害の主張のほか、当審において、予備的に翻案権の侵害の主張を追加した。
翻案の判断基準についても、複製について上述したのと同様、控訴人著作物における表現形式と、被控訴人書籍における表現形式とを対比して、共通する表現形式と、異なる表現形式とを把握した上で、この両者の創作的な表現形式としての価値の存否及び程度をそれぞれ検討し、両者の創作的価値の相関関係を考慮して、既存の著作物としての創作的な表現形式上の特徴の同一性の有無を判断する必要がある。
これを本件について見るに、被控訴人書籍対比部分中、控訴人著作物の記述と異なる部分(別表控訴人記事欄(イ)〜(オ)、(キ)、(サ)、(ソ)、(チ)、(ネ)、(ニ)、
(ノ)(下線部を除く。)、(フ)〜(ヨ))に新たな創作性があるとしても、著作物としての創作的な表現形式の特徴には同一性があり、被控訴人書籍から控訴人著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるというべきであるから、仮に、複製権の侵害が成立しないとしても、翻案権の侵害が成立する。
2 被控訴人らの主張 (1) 依拠性について 控訴人は、原判決の依拠性に関する判断は、本来別個の要件である同一性の要件と依拠性の要件を混同し、依拠性に関する控訴人の立証の機会を奪うものである旨主張するが、複製権の侵害を否定する場合、同一性の要件と依拠性の要件のいずれか一方でも充足しないことが示されれば足りるのであるから、控訴人の上記主張は失当というべきである。
(2) 複製権の侵害について 控訴人は、控訴人著作物全体と被控訴人書籍対比部分をそれぞれのまとまりとして比較検討する必要がある旨主張するが、その具体的な主張は、一つずつの文章に分断して同一性をいうにすぎない。むしろ、控訴人のいう「まとまり」として両者を対比した場合、これが実質的に同一でないことは明らかである。
(3) 翻案権の侵害について 控訴人著作物の記述中、創作性があるといえるのは、別表被控訴人書籍欄(19)の「遺骨を収めた箱は・・・遺影のなかのC自身の手のひらにすっぽる入る大きさであった」との部分だけであるが、被控訴人書籍には当該部分に対応する記述はなく、したがって、翻案権の侵害はおよそ問題とならない。
当裁判所の判断
1 複製権の侵害について (1) 控訴人は、まず、被控訴人書籍の原判決別紙一覧表A欄の各記述部分は、
これと対応する控訴人著作物の同B欄の記述部分を複製したものである旨主張するが、両者は著作物としての同一性を有しておらず、前者が後者の複製物に当たるということができないことは、以下のとおり訂正、削除するほか、原判決の関係部分の判示(33頁9行目から43頁6行目まで)のとおりであるから、これを引用する。
ア 原判決38頁5行目から39頁2行目までを削る。
イ 同41頁10行目の「『ここに・・・」から42頁2行目までを「当該共通する記述は、F夫人の発言内容を引用する部分であって、やや不自然な表現を修正している部分があるとはいえ、当該修正部分が新たな創作性を付け加えるようなものであるとは到底認められないから、創作的な表現部分を同一にするとはいえない。」に改める。
ウ 同42頁3行目の「被告書籍」から7行目の「右の点を含めて、」までを削る。
(2) 構成の同一性について ア 次に、控訴人は、控訴人著作物全体と被控訴人書籍対比部分をそれぞれのまとまりとして比較検討する必要があるとした上、控訴人著作物の構成には独創性があり、被控訴人書籍対比部分の構成は、一部を除き控訴人著作物と同一である旨主張する。確かに、控訴人著作物と被控訴人書籍対比部分の各記述内容を、順を追って対比すると、いずれも、C氏の死亡日時及び死因、本件葬儀の日時及び場所、主な会葬者の紹介(政界、財界、電機業界の順)、隣室の模様、本件葬儀の形式、本件葬儀の開始、葬儀委員長H氏の夫人Iによる葬送行進曲の演奏、遺骨の入場及び祭壇への安置、会葬者による1分間の黙祷、G氏の夫人Fによるメッセージの代読という流れで構成されており、その構成において大部分が共通するということはできる。
イ しかし、控訴人著作物も、被控訴人書籍対比部分も、ともに本件葬儀の模様を客観的に叙述するという共通する明確な主題を有することは明らかであるところ、このような主題に基づいて叙述しようとした場合、冒頭にC氏の死亡日時及び死因の記述に始まり、続いて本件葬儀のアウトラインとなる日時及び場所、主な会葬者、会場の様子、葬儀の形式といった事項を記述する構成を採ることは、客観的事実を型どおりの常識的な順序で記述したものであって、そこに創作性を見いだすことはできない。そして、これに続く叙述は、本件葬儀の式次第に沿って時系列的に記述するにすぎないといわざるを得ず、このことは、ソニー株式会社作成の「Sony Times 故Cファウンダー・最高相談役ソニーグループ葬特別号」(甲5)の記述の内容及び順序に照らしても明らかである。したがって、このような記述の内容及び順序に表現上の創作性があるとは到底認めることはできない。
ウ また、記述対象の取捨選択に関しては、別表控訴人記事欄と被控訴人書籍欄の各記述の対比から明らかなように、被控訴人書籍対比部分は、控訴人著作物で取り上げられていない内容として、C氏の晩年の様子(別表被控訴人書籍欄(ウ))、C氏が経営者としての「顔」だけでなく、本格的な幼児教育の研究に取り組むなどの幅広い「顔」を持っていたとの記述(同(エ))、C氏が財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長に就任して以来のボーイスカウトとの関係に触れている記述(同(チ))、遺影について「普段からあまり怒ることのなかったC氏の優しい眼差しで溢れた写真である」との記述(同(ニ))、G氏が病気療養中であることについて具体的に説明する記述(同(ノ)、夫人の代読したG氏のメッセージを具体的に引用している記述(同(フ)〜(ヨ))等を含む一方、控訴人著作物の記述中、遺影の下の天皇陛下から贈られた花や勲章について触れている記述(別表控訴人記事欄(9))、Jアナウンサーが進行役を務めたとの記述(同(12))、献灯時に流された音楽や祭壇に点灯する様子に具体的に触れている記述(同(14))、黙祷の間に流された音楽に触れている記述(同(21))、夫人の代読とされたG氏のメッセージは、実際には夫人が綴ったものであったとの記述(同(23))、上記メッセージが読み上げられた際、
「会場のあちこちで目頭を熱くする光景が見られた」との記述(同(24))については、いずれも控訴人著作物に対応する記述がなく、記述対象の取捨選択において相当程度異なっている。そして、これらの記述対象の取捨選択は、本件葬儀の模様を客観的に叙述するノンフィクションの著作物としては、その創作性を有する部分であると解されるから、被控訴人書籍対比部分と控訴人著作物の構成は、記述対象の取捨選択という観点から見ても、創作性が認められるような特徴的な表現部分に同一性は見いだせない。
なお、控訴人は、遺影や遺骨に関する記述を選択したことに独創性がある旨主張するが、本件葬儀の会場において、C氏の遺影がひときわ目立つ大きさで祭壇の正面に飾られていたこと(前掲甲5及び平成10年1月21日付け日本経済新聞夕刊の「故C氏グループ葬」との見出しの記事(甲8)の写真参照)、遺骨の入場が本件葬儀のいわば重要な見せ場の一つであったと解されること(前掲甲5参照)からすると、むしろ遺影や遺骨について触れない方が不自然というべき事項にすぎず、これを取り上げたこと自体に創作性があるとはいえない。
(3) 独創的な表現の対比について ア 控訴人は、控訴人著作物の独創的な表現において、被控訴人書籍の表現は同一であるか又は類似しており、被控訴人書籍対比部分中、控訴人著作物の表現と異なる部分は創作性がない旨主張するので、以下検討する。
イ 控訴人が控訴人著作物の独創的な表現であると主張する表現のうち、まず、遺影及び遺骨の描写について見るに、この点の控訴人書籍の表現は、「正面祭壇に飾られたCの遺影は、首を少し左側にかしげ、頬づえをつくように左手を頬に添えて微笑んでいる。その遺影の真下には、天皇陛下から贈られたカスミソウや菊花の白い花が飾られ、贈正三位の勲章が並べられた。」(別表控訴人記事欄(8)、(9))、「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウト日本連盟の隊員たちに守られて、子息のEの胸に抱かれたCの遺骨が入場、祭壇一番上に安置された。黒い布で覆われ、十字架をかけた遺骨を収めた箱は、それを見下ろすように飾られた大きな遺影のなかのC自身の手のひらにすっぽり入る大きさであった。」(同(18)、(19))というものであるのに対し、被控訴人書籍のこれに対応すると考えられる表現は、「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウトの少年隊員に先導させた格好で、長男・Eの胸に抱かれたC氏の遺骨が入場してきた。C氏とボーイスカウトとの関係は、彼が昭和六十年、七十七歳の時、財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長に就任して以来である。遺骨を収めた箱は、祭壇の一番上に安置された。骨箱は黒い布で覆われ、十字架がかけられていた。それを見下ろすかのように、微笑むC氏の大きな遺影が飾ってあった。遺影の中のC氏は、首を少し左に傾げ、左手を頬に添えていた。普段からあまり怒ることのなかったC氏の優しい眼差しで溢れた写真である。」(別表被控訴人書籍欄(タ)〜(ニ))というものである。
この両者の表現を対比するに、C氏の遺影についての描写中、「首を少し左側にかしげ」と「首を少し左に傾げ」(前者が控訴人著作物で後者が被控訴人書籍。以下この項において同じ。)、「左手を頬に添えて」と「左手を頬に添えて」、「それ(注、骨箱)を見下ろすように飾られた大きな遺影」と「それ(注、
同)を見下ろすかのように、微笑むC氏の大きな遺影が飾ってあった」との各表現、遺骨の入場についての描写中、「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウト日本連盟の隊員たちに守られて」と「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウトの少年隊員に先導された格好で」、「子息のEの胸に抱かれたCの遺骨が入場」と「長男・Eの胸に抱かれたC氏の遺骨が入場」、「黒い布で覆われ、十字架をかけた遺骨を収めた箱」と「骨箱は黒い布で覆われ、十字架がかけられていた」との各表現は、部分的には同一であるか又は類似しているということができる。
しかし、純然たるフィクションとして創作されたものであれば格別、控訴人著作物も、被控訴人書籍も、ともに本件葬儀という共通の歴史的事実を取り上げたノンフィクションであることを踏まえて、その創作的な表現部分の同一性を考える必要があり、上記の同一又は類似する部分に係る控訴人著作物の表現は、いずれも遺影の様子及び遺骨の入場シーンの様子を比較的客観的に描写した部分であって、着眼点や具体的な表現においても、ありふれた慣用的な表現にとどまり、表現上の創作性がない部分であるといわざるを得ない。他方、控訴人著作物の上記表現中、「遺影のなかのC自身の手のひらにすっぽり入る大きさであった」との部分、
被控訴人書籍中の「C氏の優しい眼差しで溢れた写真である」との部分については、いずれも表現上の創作性を看取することができると解されるが、前者の表現部分に対応する部分において、被控訴人書籍の具体的な表現は全く異なるものとなっている。さらに、控訴人著作物においては、遺骨の入場シーンの描写に先立って遺影の様子を叙述しており、両者は独立した描写となっているのに対し、被控訴人書籍においては、遺骨が入場して、祭壇に安置されたとの描写に続いて、「それを見下ろすかのように、微笑むC氏の大きな遺影」との表現を通じて、すなわち、遺影の中のC氏の視線を介して、一連の流れの中で遺骨から遺影の描写へと転じているものであって、このような創作的な構成において控訴人著作物とは全く異なるものとなっている。
したがって、遺骨及び遺影の描写中、控訴人著作物の創作的な表現部分において、被控訴人書籍の表現がこれと同一であるとも、類似するともいうことはできない。
ウ 次に、控訴人は、控訴人著作物中の「カラープロジェクションとカラーモニターを通して葬儀に参加した」(別表控訴人記事欄(6))、「宗教色のさほど強くない『映像と音楽による葬儀』だった」(同(7))との表現についても、独創性がある旨主張する。
しかし、これに対応する被控訴人書籍の表現は、「カラープロジェクションやカラーモニターに見入りながら、Cの冥福を祈った。」(別表被控訴人書籍欄(ケ))、「葬儀の形式それ自体は宗教色のあまり強くなく、むしろAVメーカー『ソニー』を育てたC氏に相応しい『映像と音楽』で彩られていた。」(同(コ))というものであって、両者を対比すると、まず、前者の表現部分については、「カラープロジェクション」、「カラーモニター」との共通の用語を用いているほか、共通ないし類似する表現があるとはいえず、特に、控訴人著作物における「・・・を通して葬儀に参加」という創作的な表現部分は、被控訴人書籍に対応する表現がない。また、後者の表現部分については、ともに宗教色が薄いことをいう点及び「映像と音楽」との用語を象徴的に使用している点で類似するということはできるが、
前掲の日本経済新聞夕刊記事(甲8)にも、「正午に始まった葬儀は、トランジスタラジオの開発など『音と映像の世界を作り上げたCさんにふさわしいお別れの会を』との趣旨で、宗教色は薄く、歌や故人のビデオ映像を盛り込んだ内容となった」と記載されていることに照らすと、上記の類似点に係る控訴人著作物の表現は、本件葬儀の特色として関係者の共通の認識をいう表現にすぎないというべきであって、独自の創作性を有するということはできない。
エ また、控訴人は、被控訴人書籍対比部分中、控訴人著作物の記述と異なる部分(別表被控訴人書籍欄(イ)〜(オ)、(キ)、(サ)、(ソ)、(チ)、(ネ)、(ニ)、(ノ)(下線部を除く。)、(フ)〜(ヨ))には創作性がない旨主張する。確かに、被控訴人書籍の上記各記述を個々に取り上げた場合、表現上の創作性は比較的乏しいものと解されるが、本件葬儀の模様を客観的に叙述するノンフィクションの著作物としては、記述する対象の取捨選択という観点から、その創作性を基礎付けるものであることは、上記(2)で述べたとおりである。
(4) 以上のとおり、原判決別紙一覧表の各記述部分の対比においても、また、
控訴人著作物全体と被控訴人書籍対比部分とをそれぞれのまとまりとして対比しても、被控訴人書籍は控訴人著作物の内容及び形式を覚知させるに足りないといわざるを得ず、著作物としての同一性を肯定することはできない。したがって、複製権の侵害をいう控訴人の主張は、依拠性について判断するまでもなく、理由がないというべきである。
2 翻案権の侵害について 言語の著作物翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいい、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらないと解される(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁)。これを本件について見るに、原判決別紙一覧表の各記述部分の対比においても、また、控訴人著作物全体と被控訴人書籍対比部分とをそれぞれのまとまりとして対比しても、そもそも表現上の本質的な特徴の同一性が維持されていないか、表現上の創作性がない部分において同一又は類似の表現があるにすぎず、被控訴人書籍に接する者が控訴人書籍の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるといえないことは、上記1の認定及び判断に照らして明らかである。
したがって、翻案権の侵害をいう控訴人の主張は、依拠性について判断するまでもなく、理由がないといわざるを得ない。
3 著作者人格権(氏名表示権同一性保持権)の侵害について 被控訴人書籍が控訴人著作物の複製物又は翻案に係る二次的著作物に当たるとはいえないことは上記のとおりであるから、著作者人格権(氏名表示権同一性保持権)の侵害をいう控訴人の主張も理由がない。
4 結論 以上のとおり、控訴人の被控訴人に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。
よって、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法67条1項本文、61条を適用して、主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 篠原勝美
裁判官 長沢幸男
裁判官 宮坂昌利