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事件 昭和 59年 (ネ) 2293号
裁判所のデータが存在しません。
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 1985/10/17
権利種別 著作権
訴訟類型 民事訴訟
主文 一 原判決主文第三項を次のとおり変更する。
1 控訴人は被控訴人に対し金一三八万円及びこれに対する昭和五四年九月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被控訴人のその余の請求を棄却する。
二1 控訴人のその余の控訴を棄却する。
2 原判決主文第二項は請求の減縮に基づき次のとおり変更された。
控訴人は、別紙第一目録一ないし八記載の絵画を撮影したフイルム及び同目録一ないし一二記載の絵画の印刷用原版並びに別紙第二目録記載の書籍中の別紙第一目録一ないし一二記載の絵画の複製物を掲載した部分を廃棄せよ。
三 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを三分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。
事実及び理由
当事者の求めた裁判
一 控訴人 「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人の本訴請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決。
二 被控訴人 「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求め、本訴請求のうち別紙第一目録記載の絵画を撮影したフイルムの廃棄を求める請求を同目録一ないし八記載の絵画を撮影したフイルムの廃棄を求める範囲に減縮した。
当事者の主張
一 請求の原因1 被控訴人は、故【A】(フランス国籍、日本名【B】、以下「【A】」と略称する場合がある。)の妻であり、フランス国籍を有する。
2 被控訴人は、一九六八年一月二九日、【A】の死亡により、唯一の相続人として、同人の著作物に係る著作権を承継取得し、その著作物につき、日本国において、ベルヌ条約(パリ改正条約)及び日本国著作権法による保護を受けるものである。
3 控訴人は、昭和五四年九月一〇日を初版第一刷の発行日として、別紙第二目録記載の書籍(以下「本件書籍」という。)を発行し、これに被控訴人が著作権を有する【A】の著作物である別紙第一目録記載の絵画(以下「本件絵画」という。)を複製して掲載した。
4 控訴人は、本件絵画のうち、別紙第一目録一ないし八記載の絵画を撮影したフイルム並びに本件絵画全部の印刷用原版を所有している。
5 控訴人は、著作権侵害になることを知りながら、ないしは少なくとも過失により知らないで本件絵画を複製して掲載した本件書籍を一部の定価金四八〇〇円で合計一万八九七三部発行し、内一万七五二五部販売した。
被控訴人は、控訴人による本件絵画の右複製により、その通常使用料に相当する金額の損害を被つた(著作権法第114条第2項)。右通常使用料に相当する金額は、【A】の作品「眠れる美女」を週刊新潮に掲載する著作物使用料として金二〇万円が支払われていることに鑑みても、本件絵画一点につき、金二〇万円を下らないから、右損害額は金二四〇万円を超える。
6 被控訴人は、本件絵画を複製することを許諾する意思を全く有しておらず、このことは控訴人も熟知していた。しかるに、控訴人は、この被控訴人の明確な意思をあえて無視して、本件絵画を複製し、本件書籍に掲載したもので、被控訴人はこれにより感情利益を著しく傷つけられた。
被控訴人が右感情利益の侵害によつて被つた無形の損害は、被控訴人が本件訴訟の提起及び維持、本人としての出廷並びに弁護士費用を含む訴訟諸費用の出費等を余儀なくされていることをあわせ考えると、金一〇〇万円を下らない。
7 よつて、被控訴人は、控訴人に対し、
(一) 複製権侵害行為である本件絵画の複製行為並びに複製権侵害行為によつて作成された物である本件書籍の頒布行為の各停止及び予防の請求として、本件絵画の複製並びに本件書籍の頒布の差止め、
(二) もつぱら本件絵画の複製行為に供された器具である本件絵画を撮影したフイルム(但し、当審において請求を減縮した別紙第一目録九ないし一二記載の絵画に関するものを除く。)及び本件絵画の印刷用原版並びに複製権侵害行為を組成し、かつ、該複製権侵害行為によつて作成された物である本件書籍中の本件絵画の複製物を掲載した部分の廃棄、
(三) 前記5の財産的損害額の内金一一六万円及び前記6の感情利益侵害による精神的損害額金一〇〇万円、
合計二一六万円の損害賠償並びに右金員に対する本件不法行為の日である昭和五四年九月一〇日以降支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払、
を求める。
二 請求の原因に対する認否及び主張1 請求の原因1ないし3の事実は認める。
同4の事実中、控訴人が本件絵画全部の印刷用原版を所有していることは認める。
同5の事実中、本件書籍の定価、製作部数、販売部数については認めるが、控訴人に著作権侵害の故意又は過失があること、本件絵画の複製によつて被控訴人が受けるべき通常使用料相当額は否認する。
同6の事実は否認する。
2 差止並びに廃棄請求について 著作権法第112条第2項は、著作権侵害の停止又は予防の請求をするに際し、
「侵害の行為を組成した物、侵害の行為によつて作成された物又はもつぱら侵害の行為に供された機械若しくは器具の廃棄その他の侵害の停止又は予防に必要な措置を請求することができる。」と規定しているが、同項に規定する必要な措置としての差止・廃棄請求権は、差止めや廃棄を求めて侵害の停止、予防を図らなければならない必要性のあることをその発生要件とするものである。
しかしながら、本件絵画の複製利用が適法引用に該当しないとしても、このような過剰引用は、本来自由利用が許されるべき場合の一として、「著作権の制限」の款に規定されている条項(第32条)の要件を満さなかつた結果として、著作権者の許諾がなかつたことに帰し、権利侵害となつたものにすぎないから、その違法性は微弱であり、しかも被控訴人は後記3において述べるようにほとんど現実的損害を被つていないのであるから、差止めや廃棄を求めてまで、侵害の停止、予防を図らなければならないほどの必要性があるとはいえない。
3 損害賠償請求について 本件絵画の複製利用が適法引用に該当せず、被控訴人の著作権を侵害しているとしても、右侵害によつて、被控訴人が現実に被つた損害はきわめて微々たるものである。
まず、精神的損害については、本件書籍は、きわめて文化的価値の高い美術書であり、本件書籍に収録された美術史家【C】の論文「近代洋画の展開」(以下「【C】論文」という。)も、【B】の業績を称えこそすれ、決して批判したり、
誹謗したりしたものではないから、本件絵画の複製物が本件書籍に掲載されたからといつて、【B】の名誉、声望が害されるおそれは全くなく、被控訴人に精神的損害が認められる余地はない。
また、財産的損害についても、一般に、画家の場合、ある画集に作品が掲載されるということは、それだけその画家なり作品なりが評価されたということを意味し、名声が高まるという効果を生じ、同時に絵画の市場価格も上がるという関係にあるものであり、また、作品が掲載されることによつて、同一画家の他の画集の売上げが減じたり、印税収入が減少するという関係にもない。要するに、画家にとつては、美術書に作品が掲載されるということは、プラスにこそなれ、決してマイナスになることはないのである。そうであるからこそ、被控訴人を除いては掲載拒否の例を聞いたことがなく、他の画家や遺族はすべて快く掲載を許諾して、許諾料も要らないという場合が多いのである。したがつて、被控訴人には本件絵画の複製物が本件書籍に掲載されたことによる財産的損害は認められない。しいていうならば、著作権法第114条第2項に規定する通常受けるべき金銭の額に相当する額が損害と解せられないこともないが、その額は、控訴人が本件書籍の鑑賞図版について他の画家に支払つた一点につき金一万円の許諾料を出るものでない。
原告の主張するいわゆる通常使用料一点につき金二〇万円は週刊新潮に対する掲載許諾料に依拠するものであるが、週刊誌と本件書籍のような美術書とでは発行部数に大きな開きがあり、本件書籍の発行部数は一万八九七三部であるのに対し、週刊新潮の発行部数はこの数十倍の五、六十万部程度であるから、週刊新潮に対する掲載許諾料をもつて本件書籍に対する掲載許諾料とすることはできない。
したがつて、本件絵画の複製についての使用料相当額は合計金一二万円を上まわるものではない。
三 抗弁1 適法引用 本件絵画は、公表された著作物であり、本件絵画の複製物は、本件書籍に収録された【C】論文中に、補足図版として引用されたもので、その引用は、公正な慣行に合致し、かつ、引用の目的上正当な範囲内で行なわれたものであるから、著作権法第32条第1項の規定により許容された引用に該当し、したがつて、被控訴人の著作権を侵害するものではない。すなわち、
(一) 一般に引用とは、「自らの著作物の中に他人の著作物の全部ないし一部を挿入し、利用すること」を意味する。本件書籍に掲載されている絵画の複製物は、
鑑賞を目的とした図版、すなわち鑑賞図版、及び【C】論文を補足する目的で掲載した図版、すなわち補足図版とに区別され、本件絵画の複製物は、【C】論文中に補足図版として使用されたものであるが、【C】論文は、読者に論文を正確に理解させるのに必要な限りにおいて、その都度必要な絵画を個別的に掲載しているものであるから、本件絵画の複製物が右の引用に該当するかどうかの判断は、個々の絵画の複製物について【C】論文との関係を具体的に検討してなされなければならない(後記(三)参照)。
その場合、本件絵画の複製物が鑑賞性を有するからといつて「引用」の関係が成り立たないとすることは誤りである。鑑賞性は絵画等の美術著作物に本質的に伴う属性であるから、引用のために美術著作物を複製した場合であつても、当該複製物に鑑賞性が生ずるのは当然であり、鑑賞性を伴わない複製物引用などそもそも存しないといえるからである。
なお、本件絵画は、公表された著作物であり、引用の許容される著作物の種類には限定がないから、美術の著作物もその対象となりうる。
(二) ところで、引用が公正な慣行に合致し、かつ引用の目的上正当な範囲内で行われたものとして許容されるためには、@引用著作物と被引用著作物とを明瞭に区別して認識できるような表現上の体裁をとること、A右両者間に、前者が主、後者が従の関係があること、B引用に必要性及び必然性があること、C必要最少限度の引用であること、との要件を具備しなければならない。
本件書籍への本件絵画の複製物引用は、被引用著作物が絵画であるから、引用著作物と明瞭に区別して認識しうるので、@の要件をみたす。
しかし、Aの要件についていえば、主従関係という概念は両著作物が同一の性質を具有しているものであることを前提にしたものであつて、全く性質の異なる言語著作物(論文)と美術著作物(絵画)との間には、主従関係ははじめから成立する余地がないのみならず、言語著作物と美術著作物とはそもそも量的に比較しえないものであるから、その主従関係を問題にするのは適切でないというべきである。この場合において、Aの要件は、次の要件である「引用に必要性及び必然性があること」(前記B)と実質的に全く同一であると考えるべきである。
右の「引用に必要性及び必然性があること」という要件は、言語著作物を説明するため、その資料、材料として美術著作物が利用されているという客観的関係が存するということを意味していると解される。これを本件に即していうならば、
【B】の作品を一度もみたことのない読者にも、【C】論文の意味を真に理解させるためには【B】作品を何点か掲載することが必要不可欠な関係にあるのであるから、右の要件をみたすものというべきである。
次に「最少必要限度の引用であること」(前記C)という要件は、引用は、その目的との関連で必要な限度に止まるべきものであるということであつて、ある一つの事柄を説明するのに引用される美術著作物の複製物はその図版の大きさ、あるいは点数において社会観念上許容される限度を逸脱してはならないということである。ただ、美術著作物の性質上、その複製物はある程度の大きさで掲載しないと著者の意図したものが視覚を通じて読者に伝わらず、引用の目的が達成されないという結果に終わるおそれがあるから、引用される美術著作物の複製物の大きさは、相当程度にまで大きいものが許容されると考えるべきである。
叙上の適法引用の要件を具備するかどうかについても、引用の成否について述べたと同様に、【C】論文との関係を個々の絵画について具体的に検討して判断すべきであるし(後記(三)参照)、また、右絵画の複製物が鑑賞性を有しているからといつて、
適法引用に当たらないとすることは正当でない。
(三) 本件絵画一二点の複製物は、これを個々に検討してみると、いずれも【C】論文の中に挿入して利用されているから、それぞれ引用に当たることは明らかである。そして、右引用がそれぞれ適法引用である所以を個別的に述べると、次のとおりである。
(1) 「室内」(別紙第一目録一) 「室内」は、【C】論文中の第三章「モンパルナスの日本人」という表題の下に象徴的に挿入したもので、これによつて読者に在外画家の生活の雰囲気の一端を感じとつてもらうことを意図したものであり、【C】論文の説明のための資料としての意味は、この限りでは若干乏しいことは否めない。しかし、他面、【B】のモチーフの一つとして静物画、室内画があるが、この中にも大きく分類して卓上静物とより広い視野から描写した室内静物の二種類があり、この双方を示さないと【B】の静物画の画風を充分伝えられないこと、及びこの分野に関する同人の創意にはきわめて独特のものがあり、変化に富んでいることを示したいとの配慮もあつて、
「ドルドーニユの家」(別紙第一目録七)とともにこの「室内」を掲載したものである。このことは、【C】論文中の、「『アコーデオンのある静物』(挿55)、
『猫のいる静物』(挿59)、『ドルドーニユの家』(挿60)、『室内』(挿54)など室内静物画にも、つぎつぎと佳作が生まれている。」(第一五二頁第一行ないし第四行)との記述からも推測することができる。
(2) 「アコーデオンのある静物」(別紙第一目録二)、「猫のいる静物」(同目録六)、「ドルドーニユの家」(同目録七) これらの作品については、「室内」について前述したことがそのままあてはまる。すなわち、右作品は【B】の「素晴しい白地」を説明するための材料として掲載されたものであり、【B】の主要なモチーフの一つである室内画、静物画のうちの卓上静物の例として「アコーデオンのある静物」と「猫のいる静物」が、より広い視野から描写した室内静物の例として「ドルドーニユの家」が「室内」とともに選ばれたのである。
これらの作品は、いずれも【B】の描写力の卓抜さを示しており、特にテーブルの板目の再現、卓上の器物、布などのだまし絵的表現(トウロンプ・ルイーユ)が素晴しく、これを文章の説明として読者に充分理解させる必要から、かなりの大きさをもつて掲載されたものである。
(3) 「巴里風景」(別紙第一目録三) 【C】論文中の「アンリ・ルツソーの作風から影響を受けた暗鬱な『巴里風景』を連作した」(第一五一頁下段第一行、第二行)との記述の説明として右作品が選ばれた。「連作」と記述していることからわかるように、大正六、七年頃【B】は多数の巴里風景を描いているが、それらの作品全体に共通してアンリ・ルツソーの影響が色濃いのであり、そのことを読者に理解させるための資料として、本作品が掲載されている。
(4) 「五人の裸婦」(別紙第一目録四)、「舞踏会の前(同五)、「私の夢」(同八) 【C】論文には、第一五一頁下段第九行以下に、【B】が、「素晴しい白地」によりパリで称賛を博し、決定的な成功を治めた旨の記述があるが、これらの作品は、その例として選ばれ、「素晴しい白地」の説明(第一五二頁第五行ないし第二六行)を読者に真に理解してもらうための重要な資料として掲載されたものである。
また、裸婦は、【B】芸術のライト・モテイーフであるが、これにも単一像と群像の二種類があるため、前者の例として「私の夢」が、後者の例として「五人の裸婦」と「舞踏会の前」が選ばれた。いずれも「素晴しい白地」と流麗な線描を特色としており、このことは相当程度の精度をもつ図版を示されない限り理解できないものであり、もとより文章だけでは意を尽さないのである。このため、右三つの作品が掲載されたのである。
(5) 「猫」(別紙第一目録九) この作品については、所収ページに具体的記述はなされていない。
しかし、「猫」は、【C】論文中の第五章「帝国美術院改組の波紋」という表題の下に掲載されているが、これは格別文章による解説はなされていなくとも、右作品に描かれている一四匹の猫の乱舞する姿は紛擾した美術界を皮肉つた【B】のモチーフなのであり、それ故にこそ前記表題の下に象徴的に挿入したのである。
【C】論文には、「一四名の会員(うち洋画家は【D】と【E】)が、いつせいに辞表を提出した」(第一七九頁上段第三三行、第三四行)との記述があつて、暗に、猫を一四匹描いた引用図版との関連性が指摘されており、かなり周知の当該事実について殊更に解説文がなくても論文と「猫」との関係は充分明らかであり、
「猫」は、一種の寓意図として利用されたものといえる。
なお、この作品については、帝国美術院改組問題とは別に、紀元二千六百年奉祝美術展覧会に出品された各画家の「それぞれの特色を発揮した作品」の一つ(第一八七頁第一八行ないし第二〇行)として記述されている。
(6) 「血戦ガダルカナル」(別紙第一目録一〇) 右作品は、【C】論文に、「極端に暗い色調」の「細密描写」が戦争記録画の一種の流行としてひろまる契機となつた旨(第一九二頁第七行ないし第一三行)の記述があり、これを説明するために必要不可欠な資料として掲載されたものである。
(7) 「十二月八日の真珠湾」(別紙第一目録一一)、「シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)」(同目録一二) 【C】論文には、「第一回大東亜戦争美術展に特別陳列された陸海軍作戦記録画中には、陸・海軍省よりさきに選出されて従軍した各作家が粒選りの力作をそろえ、観客を感動させた。」(第一九一頁第二八行ないし第三〇行)との記述があり、他の作品とともに【B】の右二つの作品が掲載されている。
ここでは、「粒選りの力作」である所以を明らかにする必要があり、そうである以上右【B】作品は、その戦争記録画の中で占める位置の重要性からして不可欠のものであつた。けだし、戦争記録画の中で【B】作品は断然秀れており、むしろ他の作家をリードし、ここでも画才の非凡さを示しているといえるが、とりわけ主題を構築するスケールの大きさと躍動する人物の千変万化の姿態を描出しきる表現力の確かさに特徴があるため、前者の例として、「十二月八日の真珠湾」、後者の例として、「シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)」を掲げたのである。
以上のとおり、本件絵画一二点の使用は、いずれも適法引用に当たるものである。
2 権利濫用 仮に、本訴絵画の利用が形式的には著作権侵害に当たるとしても、被控訴人の本件請求は、著作権の正当な権利行使の範囲を逸脱したものであつて、権利濫用として排斥されるべきである。
(一) 近代日本の美術史を体系的に編さんすることの公共的意義はきわめて高いものがあり、控訴人はかかる崇高な使命感から「原色現代日本の美術」を刊行するという企画を実現させた。
本件書籍は、右「原色現代日本の美術」第七巻に当たり、編集委員は一人である【C】が著作したものである。【B】が活躍した時代は、丁度本件書籍で取り扱つた時代区分に合致するだけでなく、流れ込んでくる海外の潮流に深くかかわつた作家の代表的な一人として、【B】が日本の美術史上省くことのできない存在であつたことは、広く認められているところである。
(二) そこで、控訴人は、【B】を最重要作家の一人としてその作品を鑑賞図版として掲載することを企画し、控訴人会社第一出版部美術編集長【F】は、再三に亘り礼を尽して、被控訴人に対し、【B】作品を本件書籍中に鑑賞図版として掲載することの許諾を求めた。
ところが、被控訴人は、日本及び日本人ないし日本の美術界に対する悪感情と偏見から、正当な理由なくこれを拒否した。
これに対し、控訴人は、「【B】画伯だけ特別扱いにして別個の画集にしてもよい。とにかく被控訴人の意向に添つた形で出版する意思は充分あるので、具体的に協議したい。何とか協力して欲しい。」旨懇請したが、遂に被控訴人の許諾を得るに至らなかつた。
被控訴人がこのように複製を許諾しなかつたことは、公けの文化財ともいうべき【B】作品を恣意により死蔵させる行為というべきである。被控訴人がきわめて恣意的に複製許諾を拒否したのは、今回が始めてではなく、被控訴人が展示や複製許諾について問題を多発させていることは、美術界では広く知られており、殆ど常識化しているといつてよい。このため、【B】作品が一般向けの美術集などに掲載されている例は、他の著名画家に比してはるかに少なく、作品が死蔵されているに等しい。
(三) 控訴人としては、【B】作品を鑑賞図版として掲載することの許諾が最終的に得られなかつたため、やむなく鑑賞図版として掲載することを断念し、【C】論文への引用のみにとどめることにした。すなわち、【C】論文において、【B】が活躍した時代における「モンパルナスの日本人」の作家活動を論評するに当たり、その中心的存在をなした【B】をとりあげ、その作家活動について研究を行なうとともに、その作品についてもこれを紹介、論評している関係で、【B】作品の一部である本件絵画の複製物引用したのである。
(四) ところで、本件絵画の複製利用は、被控訴人が正当な理由なく掲載を拒否したことに端を発しているうえ、これによつて被控訴人の蒙る損害は、前述(第二、二、3)のとおり、全くないか、あるとしてもほとんど無視できる程度のきわめて軽微なものにすぎない。
これに対し、補足図版としての引用という形で利用せざるをえなかつたとしても、【B】作品の利用によつて生じた新たな著作物である本件書籍の社会的、歴史的な価値は、きわめて高度のものがあり、その国民一般への貢献は計り知れない。
例えば、各地に設けられている公私立美術館が展覧会開催に当たつて、作品の選定や所蔵先、所蔵者の連絡先を調査するのに「原色現代日本の美術」が唯一の資料となつているためか、控訴人会社の編集部は美術館からの問いあわせにかなりの時間を割かれるというのが現状である。
(五) このように、仮に本件絵画の複製が形式的には著作権侵害に当たるとしても、それはひとえに被控訴人が正当な理由なくきわめて恣意的に掲載を拒否したことに起因しており、しかも被控訴人には全く損害が発生していないか、あるいはきわめて軽微なものしかないにも拘らず、文化的所産である著作物を私物化し、きわめて高い社会的文化的価値を有する本件絵画の複製、本件書籍の頒布の差止・関係物件の廃棄及び損害賠償の請求をすることは、もはや正当な権利行使の範囲を逸脱したものと評すべく、本訴請求は権利濫用として排斥されるべきものである。
(六) ことに、差止・廃棄請求についていえば、著作権者が単に複製を許諾しないというにとどまらず、すすんで著作権侵害を理由に差止・廃棄請求権を行使した場合において、右行使の必要性及び著作権者の受けるべき利益(私益)の程度と、
差止の対象となる複製物の有する公共的利益ないし差止等の結果生ずべき公共的損失や侵害者の不利益の程度とを比較衡量して、前者と後者が著しく均衡を失し、後者の方が甚だしく大であるときは、右請求権の行使は、権利濫用に当たるというべきである。
四 抗弁に対する認否及び反論1 抗弁1の事実中、本件絵画が公表された著作物に該当することは認め、本件絵画の複製物が本件書籍に収録された【C】論文中に補足図版として引用されたことは否認する。
控訴人が本件絵画の複製物を本件書籍に収録したのは、【C】論文への引用の心要性に基づくものではなく、本件書籍の編集上の目的に基づくものである。すなわち、本件書籍の編集に当たつては、補足図版もまた、本件書籍の視覚化の素材とされ、読者が楽しく見ながら論文も読みたくなるための材料として、また、抵抗感の少ない本づくりの手段として利用されたものである。
仮に本件書籍における本件絵画の複製利用の態様に合致する美術著作物の利用例が過去にもあつたとしても、わが国においては、美術著作物の引用につき、公正な慣行が形成される基盤を欠いており、このような状況下での事例の、公正さの保障はどこにもない。
2 同2は争う。
著作権者は、著作物をどのような内容、形態で出版するかについて、自由な選択権を与えられている。被控訴人は、本件書籍のような内容、形態で、本件絵画の複製利用がなされることは、【A】の意思に反するものと信ずるが故に、許諾を与えなかつたものである。文化的所産はそれにふさわしい態様においてのみ利用を許諾しようというのが被控訴人の信念である。控訴人の主張は、出版社の意図を著作権者に押しつけ、出版社は、著作権者の意思や信念を無視して出版活動をなしうるものとする横暴極まる主張である。
証拠関係(省略)
理 由一 請求の原因1ないし3の事実及び控訴人が本件書籍を一部の定価金四、八〇〇円で合計一万八九七三部発行し、内一万七五二五部販売したことは、当事者間に争いがない。
二 そこで、控訴人主張の適法引用の抗弁について判断する。
1 著作権法第32条第1項は、「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」と規定しているが、ここに「引用」とは、報道、批評、研究等の目的で他人の著作物の全部又は一部を自己の著作物中に採録することであり、また「公正な慣行に合致し」、かつ、「引用の目的上正当な範囲内で行なわれる」ことという要件は、著作権の保護を全うしつつ、社会の文化的所産としての著作物の公正な利用を可能ならしめようとする同条の規定の趣旨に鑑みれば、全体としての著作物において、その表現形式上、引用して利用する側の著作物と引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができること及び右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められることを要すると解すべきである。
そして、右主従関係は、両著作物の関係を、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量並びに被引用著作物の採録の方法、態様などの諸点に亘つて確定した事実関係に基づき、かつ、当該著作物が想定する読者の一般的観念に照らし、
引用著作物が全体の中で主体性を保持し、被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど引用著作物に対し付従的な性質を有しているにすぎないと認められるかどうかを判断して決すべきものであり、
このことは本件におけるように引用著作物が言語著作物(【C】論文)であり、被引用著作物が美術著作物(本件絵画の複製物)である場合も同様であつて、読者の一般的観念に照らして、美術著作物が言語著作物の記述に対する理解を補足し、あるいは右記述の例証ないし参考資料として、右記述の把握に資することができるように構成されており、美術著作物がそのような付従的性質のもの以外ではない場合に、言語著作物が主、美術著作物が従の関係にあるものと解するのが相当である。
控訴人は、本件の如く引用著作物が論文、被引用著作物が絵画である場合には、
論文と絵画とは同一の性質を具有しないものであるのみならず、量的に比較しえないものであるから、その間の主従関係ははじめから成立する余地がなく、又はこれを問題にするのは適切ではなく、この場合の主従関係の要件は、引用に必要性及び必然性があることを要するとすることと実質的に同一であるというべく、したがつて、適法引用に該当するためには、引用著作物と被引用著作物とを明瞭に区別して認識できるような表現上の体裁をとることのほか、右の引用に必要性及び必然性があることを要し、かつ、必要最小限度の引用であることとの要件を具備しなければならないと主張する。
しかしながら、前述した主従関係は引用著作物が論文、被引用著作物が絵画である場合にも成立しうるものであり、また、主従関係の判断は、単に引用著作物と被引用著作物とを量的に捉えてなすべきものでないこと前述のとおりであるから、控訴人の主張は前提において失当であるし、また、著作者が著作に当たり、他の著作物の引用を必要とするかどうか、あるいは引用に必然性があるかどうかは、著作物が著作者の自由な精神的活動の所産であることからすれば、多分に著作者の主観を考慮してせざるをえないことになり、これを判断基準として採用することは客観性に欠ける結論に到達する虞れがあり、相当とはいえない。
また、控訴人が適法引用のもう一つの要件として主張する「最小必要限度の利用であること」は、その限度を著しく越える場合には、引用著作物の主体性、被引用著作物の付従性を失わせる場合があるという意味で、前述した主従関係の判断において考慮すれば足りることであつて、これをもつて別個の要件とすべき理由はない。
ところで、本件絵画がいずれも公表された著作物であることは当事者間に争いがないから、以下、本件書籍への本件絵画の複製物の掲載が著作権法第32条第1項の規定する要件を具備する引用に該当するか否かについて検討する。
2 控訴人による「原色現代日本の美術」全一八巻の刊行とその目的及び編集方針、本件書籍の規格、収録絵画の時代範囲、図版(その解説を含む。)と本文(【C】論文を主とする。)とに大別される構成とその具体的内容、特に【C】論文の骨子、本件絵画複製物の本件書籍への掲載に至る経過、本件書籍における右複製物のサイズ、色彩、割付、【C】論文の【B】及び本件絵画に関する記述内容、
両著作物の配置関係等については、次のとおり付加訂正するほか、原判決第一四丁表第三行ないし第二一丁裏第七行説示のとおりであるから、ここにこれを引用する。
(一) 原判決第一四丁表第三行の「成立に争いのない甲第三及び第四号証の各一、二」を「成立に争いのない甲第一号証、第三及び第四号証の各一、二」と訂正し、同丁表第六行の「第七号証」の次に「(甲第一五、第一六号証は原本の存在も争いがない。)」を加入し、同第一六丁表第六行の「登録」を「登載」と、同丁表第一〇行の「四色以上」を「原則として五色」とそれぞれ訂正し、同丁裏第四行の「印刷適性の高い」の次に「特漉」を加入し、同丁裏第七行の「【G】「筆」」を「【G】「海」」と、同丁裏第九行の「波斬」を「波斯」とそれぞれ訂正し、同第一七丁裏第一〇行、第一一行の「いえば」の次に「、戦争記録画は別として、」を加入し、同丁裏第一一行の「六点ほど」を「七点」と訂正し、同第一八丁表第二行の「など」を削除する。
(二) 同第一九丁表第四行ないし同丁裏第三行を、「(5) 本件絵画の複製物は、【C】論文の「第三章 モンパルナスの日本人」の章に、「室内」(別紙第一目録一)が約六分の一ページ弱の大きさで表題の下に、「アコーデオンのある静物」(同目録二)が約四分の一ページ、「巴里風景」(同目録三)、「五人の裸婦」(同目録四)が各六分の一ページの大きさで三点一ページに、「舞踏会の前」(同目録五)、「猫のいる静物」(同目録六)、「ドルドーユユの家」(同目録七)、「私の夢」(同目録八)が各三分の二ページの大きさで一ページに各一点宛、以上いずれもカラー図版で、かつ、表題の下に割付けられた「室内」を除いては各該当ページの上部に割付けて掲載されており、【C】論文の記述はその各ページの下部約三分の一を占めるにすぎない。次に、「第五章 帝国美術院改組の波紋」の表題の下に「猫」(同目録九)が約八分の一ページの大きさで、「第六章 戦争記録画」の章に、「血戦ガダルカナル」(同目録一〇)が約八分の一ページの大きさで表題の下に、「十二月八日の真珠湾」(同目録一一)は約二分の一ページの大きさで、「シンガポールの最後の日(ブギ・テマ高地)」(同目録一二)が約三分の一ページの大きさで、一ページに各一点宛、以上いずれもモノクローム図版で、かつ、表題の下に割付けられた「猫」、「血戦ガダルカナル」を除いては各該当ページの上部に割付けて掲載されており、【C】論文の記述はそのページの下部約三分の一を占めるにすぎない。」と訂正する。
(三) 同第二〇丁裏第一〇行の「同章にも他の章にもない。」を「同章の末尾部分に、紀元二千六百年奉祝美術展覧会に出品された各画家の「それぞれの特色を発揮した作品」の一つとして記述されている以外には、見当たらない。」と訂正し、
同二一丁裏第六行の「色調の」の次に「表現の」を加入する。
(四) 同第二一丁裏第七行の次に、次のとおり付加する。
「しかしながら、本件絵画の複製物のうち、【C】論文の当該絵画に関する記述と右複製物とが同じページに掲載されているものは、「アコーデオンのある静物」、
「シンガポール最後の日(ブギ・テマ高地)」の二点にすぎず、その余の一〇点はいずれも当該絵画に関する【C】論文の記述とは異つたページに記載されている。」3 以上の認定事実によれば、【C】論文は、本件書籍が対象とする時代の洋画について、その歴史を概観する美術史であり、この時代の洋画の歴史を読者に理解させる目的で洋画作品を採録し、論文中でこれらの作品に言及し(特に、採録されていない作品についても言及している。)その場合、作品名と登載番号を併記して読者に参照の便宜を図つているものであり、このことは本件絵画についても同様である(「猫」についても、これに言及する前記認定のような文章がある。なお、前掲甲第一号証、検甲第一号証によれば、同作品の複製物がその表題の下に掲載された「第五章 帝国美術院改組の波紋」という章は、冒頭の「美術界あげての空前の混乱」の項で、昭和一〇年に始まつた帝国美術院改組問題をめぐる美術界の大きな混乱の経緯を詳述していることが認められるが、本件書籍が予定した読者層を基準にして考えると、同作品が、右論述との関係で控訴人主張のような寓意図として利用されているものとは断じ難い。)。
そして、【C】論文は言語著作物、本件絵画は美術著作物であるという両著作物の性質の相違及び前記認定のような本件絵画の掲載の方法から、本件絵画と【C】論文とは明瞭に区別して認識しうるものと認められる。
そこで、進んで主従関係の点について判断するに、【C】論文は、前記のような美術史の記述としての性質、内容を有し、洋画の歴史を読者に理解させる目的で当該洋画作品である本件絵画の複製物を掲載したのであるから、本件絵画の複製物が【C】論文に対する理解を補足し、同論文の参考資料として、それを介して同論文の記述を把握しうるよう構成されている側面があることは否定できない。
しかしながら、前記認定事実によれば、本件絵画の複製物のうちカラー図版は特漉コート紙を、また、モノクローム図版は特漉上質紙を用いており、各図版の大きさも、最も小型のものでも約八分の一ページであり、大型のものは約三分の二ページと、鑑賞図版のうちの数点に勝る大きさであり、また、本件絵画の複製物のうち三点を除く他のものは、大小様々の大きさではあれ、一ページに一点の割合で掲載されており、その掲載場所も、そのうち三点は表題の下に、他の九点は、各該当ページの約三分の一を占めるにすぎない【C】論文の上部に前記認定のサイズで割付けられているものであり、更に、前掲甲第一号証、検甲第一号証によれば、前記用紙は、ともに印刷適性の高い上質紙であり、特にカラー図版については色数こそ四色以下に止めたが、「原色」美術全集を標榜する関係から、その紙質の開発に苦心したところであつたことが認められ、叙上の本件書籍の紙質、図版の大きさ、掲載の配置、カラー図版の色数に関する各事実と前掲検甲第一号証中の本件絵画の複製物としての仕上り状態を総合すれば、右複製物は、モノクローム図版のものも含め、いずれも美術性に優れ、読者の鑑賞の対象となりうるものとなつており、本件絵画の複製物の掲載されたページを開いた【C】論文の読者は、同論文の記述とは関係なく、本件絵画の複製物から美的感興を得、これを鑑賞することができることができるものであり、本件絵画の複製物は、読者がその助けを借りて【C】論文を理解するためだけのものとはいえないものと認めるのが相当である。もとより、印刷技術の精巧化及び紙質の改良が進んでいる現在においても、絵画の複製における原作の忠実な再現は容易に解決することができない問題であり、厳密な美術鑑賞の観点からは別異の評価がなされるかもしれないが、本件書籍が想定する幅広い読者層の一般的観念に照らせば、本件絵画は十分に鑑賞性を有すると認めるべきである。
ここで、本件書籍中の鑑賞図版との対比における本件絵画の鑑賞性について付言するに、鑑賞図版は特漉アート紙を用い、色数も原則として五色が使用されており、また、八八点中の数点の例外を除き補足図版よりも大きく複製され、一頁ないし二頁に一点、稀に一頁に二点の割合で登載されていて、鑑賞性において当然勝つていること前記認定のとおりであるが、それは本件絵画の複製物を含む補足図版の鑑賞性との相対的差異にすぎないものというべきであり、鑑賞図版との対比において本件絵画の複製物の鑑賞性が否定されるいわれはない。
このように本件絵画の複製物はそれ自体鑑賞性を有することに加え、それが【C】論文に対する理解を補足し、その参考資料となつているとはいえ、右論文の当該絵画に関する記述と同じページに掲載されているのは二点にすぎないこと前記認定のとおりであつて、右論文に対する結び付きが必ずしも強くないことをあわせ考えると、本件絵画の複製物は【C】論文と前叙のような関連性を有する半面において、それ自体鑑賞性をもつた図版として、独立性を有するものというべきであるから、その限りにおいて【C】論文に従たる関係にあるということはできない。
控訴人は、鑑賞性は絵画等の美術著作物に本質的に伴う属性であるから、絵画の複製物が鑑賞性を有しているからといつて適法引用に当たらないとすることはできない旨主張する。
絵画等の美術著作物において、鑑賞性がきわめて重要なことは、その性質上当然であり、このことはその複製物についても同様であるが、それ故にこそ、鑑賞性のある態様で論文等の言語著作物に絵画等の美術著作物の複製物引用することが当然許容されるとすることは、その美術著作物についての著作権保護を危くするものであることが考慮されなければならない。しかも、絵画等の美術著作物であつても、これを被引用著作物として収録する場合一部引用その他の方法によつて鑑賞性を備えていない態様のものにすることは困難とはいえないから、鑑賞性を問題にすると美術著作物の引用は不可能となるということもできない。それ故、控訴人の前記主張は採用できない。
4 以上を要するに、本件絵画の複製物は【C】論文に対する理解を補足し、同論文の参考資料として、それを介して同論文の記述を把握しうるよう構成されている側面が存するけれども、本件絵画の複製物はそのような付従的性質のものであるに止まらず、それ自体鑑賞性を有する図版として、独立性を有するものというべきであるから、本件書籍への本件絵画の複製物の掲載は、著作権法第32条第1項の規定する要件を具備する引用とは認めることができない。
三 そこで、被控訴人の本訴各請求権の成否について判断する。
1 差止並びに廃棄請求について 控訴人の適法引用の抗弁が理由がない以上、控訴人が本件書籍に本件絵画の複製物を掲載した行為は被控訴人の著作権を侵害したものというべきである。そして、
著作権者は、著作権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができ(著作権法第112条第1項)、右請求をするに際し、侵害の行為を組成した物、侵害の行為によつて作成された物又はもつぱら侵害の行為に供された機械若しくは器具の廃棄その他の侵害の停止又は予防に必要な措置を請求することができる(同条第二項)ところ、控訴人が本件絵画の複製物を掲載した本件書籍を合計一万八九七三部発行し、内一万七五二五部販売した事実が存在する以上現在における権利侵害及び将来に亘る侵害のおそれがあるというべきであるから、被控訴人は控訴人に対し、複製権侵害行為である本件絵画の複製行為の停止及び予防のため、@ 右複製行為の差止め、A 右権利侵害行為を組成し、かつ、右行為により作成された物である本件絵画の複製物を掲載した本件書籍の頒布の差止め、B もつぱら本件絵画の複製行為に供された器具である別紙第一目録一ないし八記載の絵画を撮影した控訴人所有のフイルム及び控訴人が所有する本件絵画全部の印刷用原版(右フイルムが控訴人の所有であることは控訴人において明らかに争わないから自白したものとみなす。また、右印刷用原版が控訴人の所有であることは当事者間に争いがない。)並びに右複製権侵害行為を組成し、かつ、右行為により作成された物である本件書籍中の本件絵画の複製物を掲載した部分の廃棄をそれぞれ請求することができるというべきである。
控訴人は、著作権法第112条第2項に規定する必要な措置としての差止・廃棄請求権は、差止めや廃棄を求めて侵害の停止、予防を図らなければならない必要性のあることをその発生要件とするところ、本件絵画の複製使用のような過剰引用というべき事案においては、違法性が微弱であり、これにより被控訴人の被る現実的損害も軽微であるから、差止や廃棄を求めてまで侵害の停止、予防を図らなければならないほどの必要があるとはいえない旨主張する。
控訴人の右主張は、立論の基礎を著作権法第112条第2項に置くが、主張の趣旨は、同条第一、二項に規定する請求権の双方についていわゆる必要性のあることを要件とするものと解される。しかしながら、著作権法第112条第1項は、著作権者に、
著作物に対する排他的独占的権利である著作権に基づく一種の物権的請求権として、侵害の停止又は予防を求める請求権を認めたものであり、その所以は、文化的所産としての著作物についての権利保護を全うするためには、単に、侵害行為に対する損害賠償請求権を認めるのでは足りず、その侵害を可及的速やかに停止させるとともに、侵害の危険をも未然に防止する必要があることによるのであつて、同条第二項は、第一項の規定による請求と同時に、侵害の停止又は予防に必要な具体的措置を請求することができることを規定したものであり、右規定の趣旨及び文言に照らし、第一項の侵害停止等の請求には、著作権の侵害行為が存するか、又は侵害の具体的危険が存すれば足り、侵害者の故意、過失等の主観的要件を必要とするものではなく、また、権利侵害の違法性が高度な場合にのみ限定して認めるべきものでもなく、かつ、侵害行為の停止等によつてうける加害者側の損失と被害者側の利益とのいわゆる比較衡量によつてその請求の当否を決すべきものでもない。この点は、現行法上明文の規定を欠く個人の自由、名誉、身体、健康、生活等の一般的な人格的利益ないし権利の侵害に対する差止請求とは、その成立要件を異にするといわなければならない。そして、第一項の侵害停止等の請求と同時になされる侵害の停止又は予防に必要な措置の請求は、侵害の停止又は予防に必要な限度でなされるのであるから、その措置が侵害の停止又は予防に必要なものであるかどうかについては判断することを要するが、その措置を求める請求権の成否が控訴人の主張する必要性の有無、具体的には、違法性の強弱や損害の多寡によつて左右されるものではない。したがつて、控訴人の前記主張は失当といわなければならない。
2 損害賠償請求について(一) 控訴人が本件絵画の複製物を本件書籍に掲載するに至つた前記認定事実によれば、本件書籍に本件絵画の複製物を掲載した控訴人の行為は、適法引用にあたらないのに適法引用にあたると誤信した過失により被控訴人の本件絵画についての著作権を侵害したものというべきである。そこで、以下に、当該不法行為による損害及びその額について判断する。
(二) 成立に争いのない甲第二三及び第二四号証、第四四ないし第四七号証、乙第二二ないし第二四号証並びに原審における被控訴人本人尋問の結果及び当審における証人【F】の証言によれば、控訴人は本件書籍を含む「原色現代日本の美術」の鑑賞図版に掲載した著作権の対象となる絵画については、掲載許諾料として一点金一万円支払い、補足図版については支払をしなかつたこと、一方、訴外株式会社新潮社は、被控訴人の許諾を得て、同社が発行する週刊新潮(昭和六〇年四月四日号)に【B】の作品「眠れる美女」の複製物をダブルページの大きさで掲載したが、その著作物使用料として被控訴人に対し金二〇万円を支払つたこと、被控訴人が著作権管理を委託しているフランス・グラフイツク及び造形美術普及協会(ADAGP)の日本代理店である株式会社フランス著作権事務所が定めた料率表(出版及び視聴覚関係者用、一九八三年一月一日現在)によると、一般的なカラートランスパレンシー4×5(10×12.5cm)期間六ケ月の使用料(貸出料を含む)は、四分の一ページ及びそれ以下金二万七〇〇〇円、二分の一ページ及びそれ以下金三万一〇〇〇円、四分の三ページ及びそれ以下金三万三〇〇〇円、一ページ大金三万六〇〇〇円、白黒プリント13×18は、代金一八〇〇円のほか、使用料は、
四分の一ページ及びそれ以下金一万一〇〇〇円、二分の一ページ及びそれ以下金一万五〇〇〇円、四分の三ページ及びそれ以下金一万六〇〇〇円、一ページ大金一万八〇〇〇円であること、控訴人は、昭和五九年一一月控訴人発行の日本大百科全書にエツシヤーの作品二点を四分の一ページ白黒プリントで掲載するについて株式会社フランス著作権事務所に対し合計金三万七五〇〇円を支払つたことが認められ、
ほかに右認定を左右するに足りる証拠はない。
被控訴人は、本件絵画の複製については被控訴人が受けるべき通常使用料に相当する金額(著作権法第114条第2項)は、前掲「眠れる美女」を週刊新潮に掲載する著作物使用料として金二〇万円が支払われていることに鑑みても、本件絵画一点につき金二〇万円を下らない旨主張する。
しかしながら、本件書籍は、前述のとおり、明治時代以降の近代日本の美術史を体系的に編さんした美術全集の一巻であるのに対し、週刊新潮は、大衆娯楽的内容の週刊雑誌であり(このことは当裁判所に顕著な事実である。)、その販売部数も本件書籍が前述のとおり一万七五二五部であるのに対し、成立に争いのない乙第二一号証の一、二によれば、週刊新潮は毎号約六〇万部に達するものと認められるから、週刊新潮に掲載する著作物使用料として二ページ大一点金二〇万円が支払われた事実をもつて、直ちに右金額が本件絵画の複製について被控訴人が受けるべき通常使用料に相当する金額とは認め難い。
一方、控訴人は、右通常使用料相当額は絵画一点につき金一万円が相当である旨主張する。
控訴人の主張は、「原色現代日本の美術」の鑑賞図版に掲載した絵画の掲載許諾料が一点金一万円であることを理由とするものであるが、右金額は、著名画家の作品の複製物の使用料として著しく低額にすぎ、また、カラー図版、モノクローム図版の別、図版の大きさに関係なく一点当りの使用料を定めるのは、合理性を欠くというべきである。
当裁判所は、前記認定の諸事実に鑑み、著作権法第114条第2項に規定する本件通常使用料相当額は、株式会社フランス著作権事務所の一般使用料率を参考にして、これに【B】が世界的な評価を受ける著名な画家であること、本件書籍が美術全集であり、その販売部数が一万七五二五部であることを斟酌し、カラー図版について、(A)四分の一ページ及びそれ以下金五万円、(B)二分の一ページ及びそれ以下金六万円、(C)四分の三ページ及びそれ以下金七万円、モノクローム図版については、(D)四分の一ページ及びそれ以下金二万円、(E)二分の一ページ及びそれ以下金三万円、(F)四分の三ページ及びそれ以下金三万五〇〇〇円と認めるのを相当とする。
ところで、前記認定事実(二2(二))によれば、本件書籍に掲載された本件絵画の複製物のうち、「室内」(別紙第一目録一)、「アコーデオンのある静物」(同目録二)、「巴里風景」(同目録三)、「五人の裸婦」(同目録四)はいずれも(A)に、「舞踏会の前」(同目録五)、「猫のいる静物」(同目録六)、「ドルドーニユの家」(同目録七)、「私の夢」(同目録八)はいずれも(C)に、
「猫」(同目録九)、「血戦ガダルカナル」(同目録一〇)はいずれも(D)に、
「十二月八日の真珠湾」(同目録一一)、「シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)」(同目録一二)はいずれも(E)に該当するから、結局本件絵画の複製により被控訴人が通常受けるべき使用料に相当する額は、合計金五八万円と認めるのが相当である。
(三) 被控訴人は、請求の原因6において、感情利益の侵害による損害賠償を請求するところ、その趣旨は、弁論の全趣旨に徴し、控訴人の本件著作権侵害行為によつて被控訴人の被つた精神的損害に対する慰藉料(民法第709条第710条)を請求するものと解される。
そして、本件に顕われた諸般の事情、特に被控訴人は、控訴人の再三の懇請に応ぜず、【B】作品の本件書籍への掲載を明確に拒否していたのに拘らず、本件絵画の複製物が本件書籍へ掲載されたこと、その結果、【B】は世界的な評価を受けるべき画家であつて日本の絵画の流れの中で位置づけることは許されないとする被控訴人の感情が著しく傷つけられたこと(この点は後に認定する。)、本件訴訟の提起及び維持のため渡日し法廷に出廷するなど精神的負担が大きいと推測されることに鑑みると、控訴人の本件著作権侵害により被控訴人が被つた精神的苦痛を慰藉するに相当する額は金八〇万円と認めるべきである。
(四) したがつて、控訴人は被控訴人に対し、本件著作権侵害による損害賠償として合計金一三八万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五四年九月一〇日以降支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
四 権利濫用の抗弁について 前記認定事実によれば、「原色現代日本の美術」全一八巻は、明治時代以降の近代日本の美術史を体系的に編さんしたものであり、本件書籍はその第七巻であつて、関東大震災(大正一二年)以降太平洋戦争の終結(昭和二〇年)までの日本人画家による主観主義的な写実あるいはフオーヴイズムの流れに立つ洋画を対象としたものであり、合計一万七五二五部販売され、美術に関心を有する読者の鑑賞と理解に寄与したものと認められる。
そして、前掲甲第一号証、第一五及び第一六号証、乙第一号証、及び成立に争いのない甲第二七号証の一ないし四並びに原審における証人【C】の証言、被控訴人本人尋問の結果によれば、【B】は、本来粗目な麻布地であるカンヴアスの地肌を陶器の肌や和紙の質感さながらの乳白色の精妙なマテイエールに加工し、その上に浮世絵を思わせるような流麗な線描をもつて画像を表現した点に特質をもつエコール・ド・パリの画家として、世界的に高く評価され、第二次世界大戦前後日本に滞在したほかは、大正時代から昭和四〇年代にかけてパリを中心に制作活動をつづけたことが認められるから、控訴人が前記企画のもとに「原色現代日本の美術」を編さんするに当つては、【B】を欠くことのできない最重要作家の一人として、その絵画を掲載する方針で臨んだことは当然のことと理解しうるところであるが、控訴人の再三の懇請にも拘らず、【B】作品を右美術全集に掲載することについて被控訴人の承諾を得られなかつたことは、控訴人自ら認めるところである。
そこで、被控訴人の不承諾の理由となつた考え方とこれに対する一般の反応をみるに、成立に争いのない甲第二六号証、第三三号証の一、二、第三四号証の一ないし三及び原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、【B】は、生前、日本では同人の許諾なく個展が開催されたり画集が出版されていると指摘し、また、日本における【B】に対する批評、研究が浅薄であると批判し、日本の美術界全体に対し不信感を抱いており、被控訴人もそのような考え方を受け継いで、【B】作品の著作権問題に対処してきたが、本件書籍への本件絵画の掲載についても、世界的に評価された画家である【B】を単に日本の絵画の流れの中で位置づけるものと不満に思い、再三にわたる控訴人の懇請を受け入れず、掲載に応じなかつたことが認められ、また、成立に争いのない乙第二及び第三号証、第八号証、第九号証の一ないし五、第一〇号証の一、二、第一一号証の一、二の各一ないし三、第一二号証の一ないし四、第一五号証の一ないし四、第一八号証(乙第八号証は原本の存在も争いがない。)によれば、被控訴人は日本における【B】作品の展示、出版物への掲載等について前記のような態度を一貫してとり続けたため、国内の美術館において予定した【B】作品の展示を取り止めたり、展覧会において【B】作品の複製物を掲載したカタログの頒布などを取り止めたり、出版社において美術出版物への【B】作品複製物の掲載を中止することを余儀なくされるという事態が発生し、日本の美術界の一部にこれが被控訴人の個人的感情に基づくものとの批判もあつたことが認められる。また、前掲甲第二七号証の一ないし四、成立に争いのない甲第二八号証、第三〇ないし第三二号証の各一ないし三によれば、被控訴人が美術全集、美術史書、美術雑誌、教師用美術指導書等に【B】作品の掲載を承諾した事例も少くないことが認められるが、これらの承諾事例のすべてが不承諾事例と違つて、【B】作品の正当な評価と取扱い方をしているので承諾を与えたと断ずることができるか疑問の残るところである。
しかしながら、被控訴人の前記のような考え方ないし態度が美術界の一部において納得されない場合があり、また、被控訴人の諾否の基準が現実において完全には貫かれなかつたとしても、そのことによつて、被控訴人の【B】作品についての著作権を侵害することが許容されるということはありえない。もし、文化的価値の高い著作物が死蔵されるべきでないとして、著作権者の許諾なしにその利用が許容されるならば、権利として保護する必要性の高い著作物ほど、その侵害が容易に許容されるという不当な結果を招来しかねない。著作権法は、同法第1条所定の目的のもとに、著作権を権利として保護すると同時に、その保護期間を限定し、かつ、適法引用等著作物の公正な利用に意を用いた規定を設けており、著作権の保護期間内であつても、法の定める公正な利用の範囲内であれば、著作権者の許諾を要せず、
著作物を利用することができるものとしているのであり、このような法の仕組みのもとにおいては、著作権者の許諾もなく、公正な利用の範囲をも逸脱して著作物を複製し、著作権を侵害する行為があつた場合にこれを公けの文化財あるいは文化的所産の利用の名のもとに許容すべき法的根拠はない。しかも、被控訴人は頑に複製物の掲載を拒否しているのではなく、現に数種の美術関係出版物に【B】作品の複製物が掲載されていることは前記認定のとおりであり、【B】作品を死蔵させているとすることは当たらない。また、控訴人の本件著作権侵害行為によつて被控訴人の被つた損害は、前記三2において説示するとおりであつて、軽微なものとすることはできない。
したがつて、本件書籍の出版が前述するような文化的意義を有するものであつても、それが著作権侵害行為に該当する以上、前記認定の事情のもとにおいて、被控訴人が著作権侵害を理由に、控訴人に対し本訴を提起し、侵害の停止等必要な措置を請求し、かつ、侵害によつて被つた損害の賠償を請求することは、法律上認められる正当な権利の行使であつて、これをもつて権利濫用とすることはできない。控訴人の抗弁は以上の認定事実と相容れない事実に立脚し、独自の見解のもとに権利濫用を主張するものであり、とうてい採用することができない。
五 以上の次第であるから、被控訴人の本訴各請求のうち、前記三1記載の本件絵画の複製及び本件書籍の頒布差止請求並びに本件書籍中の本件絵画を掲載した部分等の廃棄請求は、正当としてこれを認容すべく、前記三2記載の損害賠償請求は、
金一三八万円及びこれに対する昭和五四年九月一〇日以降支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当としてこれを認容すべく、その余の部分の請求は失当としてこれを棄却すべきである。
したがつて、原判決中前記三1記載の請求を認容した部分、及び前記三2記載の請求について右認容額の支払請求を認容した部分はいずれも相当であるが、右金額を越える支払請求を認容した部分は失当であるから、本件控訴はその限度において理由があり、民事訴訟法第386条の規定により原判決主文第三項を変更すべく、
その余の本件控訴は失当であるからこれを棄却し、なお、被控訴人が当審においてなした請求の減縮に基づき原判決主文第二項は本判決主文第二項2のとおり変更されたことを明らかにし、訴訟費用の負担につき同法第96条第89条第92条の各規定を適用して主文のとおり判決する。
裁判官 蕪山厳
裁判官 竹田稔
裁判官 濱崎浩一