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関連ワード 著作物性 /  創作性 /  創作的表現 /  著作者 /  模様 /  同一性 /  類似性 /  著作者人格権 /  氏名表示権 /  同一性保持権 /  複製権 /  ビデオ /  著作権侵害 /  差止 /  損害賠償 / 
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事件 平成 11年 (ワ) 26366号 書籍発行差止等請求事件
原告 【A】右原告訴訟代理人弁護士 山下幸夫
被告 【B】
被告 株式会社講談社右代表者代表取締役 【C】 右被告ら訴訟代理人弁護士 美勢克彦
裁判所 東京地方裁判所
判決言渡日 2000/12/26
権利種別 著作権
訴訟類型 民事訴訟
主文 一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
原告の請求
一 被告【B】及び同株式会社講談社は、別紙目録記載の書籍のうち、別紙一覧表A欄記載部分をすべて削除しない限り、右書籍を発行し、販売し又は頒布してはならない。
二 被告【B】及び同株式会社講談社は、原告に対し、連帯して、金二三一万四四三一円及びこれに対する平成一〇年七月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、被告らの負担とする。
四 仮執行宣言
事案の概要
本件は、被告【B】(以下「被告【B】」という。)が執筆し、同株式会社講談社(以下「被告会社」という。)が出版している別紙目録記載の書籍(以下「被告書籍」という。)は、後記著作物について原告が有する著作権及び著作者人格権を侵害したものであるとして、原告が、被告らに対し、出版の差止め及び損害賠償を求めている事案である。
一 争いのない事実等(末尾に証拠を掲げた事実以外は、当事者間に争いがない。) 1 原告は、【D】の筆名で、ノンフィクションなどの執筆活動を行っている者である(甲一、二、五の一ないし一八)。
2 被告【B】は、経済誌編集者、週刊誌記者等を経て、現在、ノンフィクション作家として活動している者で、被告書籍を著作した。なお、同被告には、主な著書として、「復讐する神話―松下幸之助の昭和史」(文藝春秋)、「覇者の誤算(上・下)」(日本経済新聞社)、「井深大とソニースピリッツ」(日本経済新聞社)などがある。
3 被告会社は、雑誌及び書籍の出版等を目的とする株式会社であり、被告書籍を出版した。
4 平成一〇年一月二一日、株式会社ソニーの創業者で、同社最高相談役であった【E】氏の葬儀(ソニーグループ葬)が行われた。原告は右葬儀に参列して取材し(甲一、弁論の全趣旨)、その模様を訴外株式会社産業経済新聞社発行の「夕刊フジ」の連載記事「デジタル・ドリーム・キッズ/ソニー燃ゆ」において、第六五回「天才を送った日」(以下「原告著作物」という。)として執筆し、同記事は、
同年一月二九日付け(同月二八日発行)「夕刊フジ」に掲載された。
なお、原告が、この連載記事に加筆、訂正した書籍が、後日、「ソニー燃ゆ」(産経新聞ニュースサービス、平成一〇年一二月二〇日発行)として出版されている(甲二)。
5 被告会社は、平成一〇年七月一四日、被告書籍の初版第一刷を発行し、現にこれを販売している。
6 被告書籍には別紙一覧表A欄記載の記述が、原告著作物には同B欄記載の記述がそれぞれ存在する(甲一、乙一)。
二 争点 1 被告らによる複製権侵害の成否(被告書籍は、原告著作物の複製権を侵害するか。) 2 被告らによる著作者人格権侵害の成否三 当事者の主張 1 原告の主張 (一) 被告らによる著作権(複製権)侵害 被告書籍のうち別紙一覧表A欄記載の各記述部分は、以下に指摘するように、それぞれ原告著作物の同B欄記載の各記述部分と完全に同一であるか、ほとんど同一である。しかも被告【B】は、被告書籍の原稿の作成に当たり、原告著作物に接する機会があったから、被告書籍の前記各部分は、原告著作物の前記各対応部分を複製、盗用したものであることが明らかであり、被告書籍の発行、頒布及び販売は、原告が原告著作物について有する著作権(複製権)を侵害するものである。
(1) 別紙一覧表2の記述部分について @原告著作物と被告書籍は、「政界」「財界」「電機業界」からの各出席者というその分類の仕方も、出席者の選択及びその表示も、その順序も全く同一である。被告【B】が被告書籍を執筆する際に材料としたという株式会社ソニーの広報部門作成のビデオを見ても、他にも著名な人物が多数映し出されているにもかかわらず、これらの者の氏名は被告書籍には記載されていない。また、同ビデオには、被告書籍中に記述されている経団連名誉会長【F】氏の姿は、どこにも映っていない。A当日、【G】元首相は葬儀に出席していなかったところ、原告が会場で似た人物を見間違って原告著作物に記載したが、その後同氏が出席していないことが確認された。しかるに、被告書籍には同氏が出席していた旨記載されている。B経団連名誉会長(【F】氏)と日商名誉会頭(【H】氏。原告著作物では「名誉会長」と記載しているが、「名誉会頭」の誤記である。)とを併記する場合、経団連名誉会長を先に記載するのが通常であるところ、原告著作物ではこの点を誤って記載していた。被告【B】は、その著作「井深大とソニースピリッツ」(日本経済新聞社刊)において原告著作物と同様の順序で記載しているため、原告が、原告著作物を複製・盗用していると抗議したところ、同被告は被告書籍では右順序を入れ替えている。しかし、同被告は、同被告と右日本経済新聞社とを被告とする別訴においては、ソニー広報センター作成のビデオに【H】氏がアップで映っていることや被告【B】が同氏と面識があり敬意を抱いていたことから同氏を先に表示したと主張しており、それが原告からの抗議によって簡単に順序を変更するという対応をとるのは、いかにも不自然である。C被告書籍には、「カラープロジェクション」「カラーモニター」などの原告著作物中に見られるのと全く同一の表現が使用されている。このうち「カラープロジェクション」というのは極めて特異な用語であるし、「カラーモニター」も一般的でない用語である。D被告書籍には、原告著作物と全く同一の「(参列者が)モニターを通して葬儀に参加した」との表現が見られる。以上のような点から、被告書籍は、原告著作物に依拠したと考えざるを得ない。
(2) 別紙一覧表3の記述部分について @被告書籍には、原告著作物と全く同一の「敬虔なクリスチャンだった」との表現が見られる。【E】氏がクリスチャンであることは事実としても、
「敬虔なクリスチャン」かどうかは、原告の同氏に対する肯定的評価の表れであり、そこには原告の感情が表現されている。A原告著作物の「宗教色のさほど強くない」という表現と被告書籍の「宗教色のあまり強くなく」という表現は、ほとんど同一である。B被告書籍の「映像と音楽」という表現は、原告著作物の「映像と音楽(による葬儀)」という表現と全く同一である。
(3) 別紙一覧表4の記述部分について @被告【B】は、その著作「井深大とソニースピリッツ」(日本経済新聞社刊)において、献灯の式が始まった時刻を午前一一時五五分、「葬送行進曲」が流れた時刻を正午と記載していたところ、これは原告著作物と全く同一である。
被告らは、ソニー広報センターが作成した資料及びビデオから右のように記載したとし、ただし被告書籍では無用な争いを避けるために午前一一時五五分に始まった献灯の式「につづいて」「葬送行進曲」が流れた、と訂正したと本訴では主張しているが、前記ビデオでは献灯の式が始まった時刻が午前一一時五五分であることは全く確認できない。また、「葬送行進曲」が流れた時刻は正午でなく、午前一一時五八分であったことが原告の後の取材で判明している。いずれにせよ被告らの主張は不自然である。これらから見て、被告書籍が原告著作物に依拠したものであることは、明らかである。A被告書籍の「献灯で式が始まった」との表現は、原告著作物の「献灯で式が開始された」との表現とほぼ同一である。B被告書籍の「祭壇の左隅に置かれたグランドピアノ」との表現は、原告著作物の「祭壇の左端に置かれたグランドピアノ」との表現とほぼ同一である。C被告書籍の「葬送行進曲」という表現は、原告著作物のそれと全く同一である。この点、「ショパン、ピアノソナタ第二番第三楽章葬送行進曲」(前記ビデオ)、「ショパン葬送行進曲」(ソニー広報センターが事前に配付した式次第)、「ピアノソナタ第二番第三楽章葬送行進曲」(同センターが葬儀後作成した資料)など、同じ曲についても様々な表現がある中で、被告書籍が、原告著作物と全く同一の表現を用いているのは、原告著作物に依拠したものと考えるのが合理的である。
(4) 別紙一覧表5の記述部分について @被告書籍の「葬送行進曲とともに」という表現は、原告著作物のそれと全く同一である。実際には右曲が演奏された後に遺骨が入場するのであり、右表現は客観的事実に反している。にもかかわらず被告書籍が原告著作物のそれと全く同一の表現をしているのは、原告著作物に依拠したものと考えるのが合理的である。A被告書籍の「制服姿のボーイスカウト」という表現は、原告著作物のそれと全く同一である。B被告書籍の「【I】の胸に抱かれた」という表現は、原告著作物のそれと全く同一である。C被告書籍の「(遺骨を納めた箱は)祭壇のいちばん上に安置された」という表現は、原告著作物の「祭壇一番上に安置された」との表現と全く同一である。D被告書籍の「(骨箱は)黒い布で覆われ、十字架がかけられていた」という表現は、原告著作物の「黒い布で覆われ、十字架をかけた(遺骨を)」という表現とほぼ同一である。E被告書籍の「それを見下ろすかのように、
微笑む【E】氏の大きな遺影が飾ってあった。遺影の中の【E】氏は、首を少し左に傾げ、左手を頬に添えていた」という表現は、原告著作物の「‥‥それを見下ろすように飾られた大きな遺影」及び「(正面祭壇に)飾られた【E】の遺影は、首を少し左側にかしげ、頬づえをつくように左手を頬に添えて微笑んでいる。」との表現と全く同一である。これだけ同じ表現が被告書籍中にあるのは、原告著作物に依拠したからであると考えるのが合理的である。
(5) 別紙一覧表6の記述部分について @被告書籍の「会葬者全員による黙祷が一分間(捧げられた)」という表現は、原告著作物の「会葬者(三千数百人)による黙祷が一分間(、行われた)」との表現とほぼ同一である。A被告書籍の「(ちょうど)ハワイで病気療養中(であった)」という表現は、原告著作物の「ハワイで病気療養中の‥‥」という表現とほぼ同一である。B被告書籍の「夫人の【J】が【K】のメッセージを代読することになったのである」という表現は、原告著作物の「(【K】名誉会長からの)メッセージを【J】夫人が代読した」という表現とほぼ同一である。C被告書籍の「今日、ここにいなくてはならない人、一番初めに葬儀委員長として弔辞を読まなければならない人、それは私の夫である【K】でございます。」という表現は、原告著作物のそれと全く同一である。しかし、この表現は実際の【J】氏の発言「今日、ここに一番いなくてはならない人、一番初めに葬儀委員長として弔辞を読まなくてはならない人、それは私の夫である【K】でございます。」とは異なっている。原告の右表現は、原告が夕刊フジ紙に掲載する際に手を加えたものだが、
葬儀後にソニー広報センターから配付された資料には収録されていない部分であり、他方、ビデオにはそのまま収録されている部分である。にもかかわらず実際の発言を一部修正した原告の表現と全く同一になっているのは、被告【B】がビデオを見て被告書籍を執筆したと主張していることが不自然であることを裏付けるとともに、同被告が原告著作物に依拠したことを何よりも示している。
このように、被告書籍は原告著作物に依拠して執筆されたものである。これに対し、被告らは、被告書籍は原告著作物と類似性もなく、被告【B】は原告著作物には接していないと主張する。しかし、原告著作物と被告書籍の類似点が多々あることは明らかである。また、@原告著作物の周知性、Aソニーウォッチャーを自称する被告【B】が、ソニー関係者に周知であった原告著作物を入手して閲覧しないことはマスコミ界の常識に反していることから、同被告が原告著作物に接していないことは考えられない。
(二) 被告らによる著作者人格権の侵害 被告らは、被告書籍を発行して公衆に提示するに当たり、前記侵害部分に原告の氏名表示をすることを怠っているが、これは原告が原告著作物について有する著作者人格権のうち氏名表示権を侵害するものである。また、被告らが、原告の有する著作者人格権のうち同一性保持権を侵害したものであることも明らかである。
(三) 被告らの共同不法行為 被告【B】は故意により、また被告会社は、当初は過失により、平成一一年四月ころ原告が被告会社に対して著作権侵害の旨を通告してからは故意により、
両者共同して前記(一)及び(二)の侵害行為に及んだものであるから、被告らは共同不法行為者として、連帯して原告が前記侵害行為によって被った損害を賠償する義務がある。
(四) 原告の損害について (1) 財産的損害 被告書籍の発行部数は二万部であり、販売価格は一部一六〇〇円であるところ、その一部当たりの販売に伴う純利益は、被告【B】分が右販売価格の一〇パーセントに当たる一六〇円であり、被告会社分が同一八パーセントに当たる二八八円である。そして、被告書籍のうち、原告著作物を複製した部分は、二三五頁のうちの約三頁分である。したがって、少なくとも右被告らの純利益分の合計額の二三五分の三に当たる一一万四四三一円が原告の損害と推定されるべきである。
(2) 慰謝料 被告らの前記著作権及び著作者人格権に対する侵害行為により受けた原告の精神的損害を金銭に評価すると二〇〇万円を下らない。
(3) 弁護士費用 本件侵害行為と相当因果関係のある弁護士費用は二〇万円が相当である。
2 被告らの主張 (一) 被告【B】が原告著作物に依拠していないことについて 被告【B】には原告著作物に接する機会はなく、原告著作物に依拠して被告書籍中の原告の指摘する部分を叙述したものではない。同被告は、ソニー株式会社の全面的な協力の下に独自の取材をして右部分を叙述したものであり、原告著作物から得なければならない情報は皆無であり、その必要もなかった。
(二) 別紙一覧表A欄及びB欄の記述の同一性について 複製権が侵害されたというためには、原告著作物の表現形式上の本質的特徴が、被告書籍に直接感得しうる程度に再現されていなければならない。しかるに、原告著作物、被告書籍はいずれも【E】氏の葬儀という社会的事実の記述で、
ノンフィクションの分野に属するものである。したがって、いわゆる五W一Hというものは、事実の記述、ノンフィクションである以上、共通にならざるを得ないのであり、著作物としての保護範囲、すなわち、五W一Hの選択、配列に関する表現形式上の本質的特徴部分も必然的に制限されたものとならざるを得ない。また、対比に当たっても、原告著作物の表現形式上の本質的特徴部分、創作的特徴部分を感得できる「一連」の「ひとまとまり」の記述と、かかる原告著作物の特徴部分がそのまま再現されていると考えられる被告書籍の「一連」の「ひとまとまり」の記述とを対比するのでなければ、そもそも複製権侵害を主張することすらできない。原告著作物全体と被告書籍の「【E】の死を悼む人々」との見出し下の記述を対比すれば、両著作物が、事実の記述、ノンフィクションとして、その表現形式上の本質的特徴部分が全く異なること、個々の対比箇所について類似していないことは明白である。
しかるに原告が行っている対比は、原告著作物の中から、五W一Hに属する葬儀の時期、場所、出席者は誰かといった個々の事実、素材そのものについて対比しているにすぎない。また、葬儀の模様についても、進行次第や誰が何を言ったかといった、事実の記述、ノンフィクションである以上共通にせざるを得ない素材たる「事実」に関する記述がほとんどである。さらに、別紙一覧表の対比部分には、そもそも著作物たり得ない断片的記載も多々存在する。
以下に述べるとおり、別紙一覧表A欄とB欄の各記述部分は、全く類似していない。
(1) 別紙一覧表2の記述部分について この箇所は、参列者の氏名に関する部分である。かかる著名な葬儀の参列者のメイン会場の人数、氏名、副会場の参列者数等を記述したにすぎない原告著作物に著作物性があるとは考えられない。原告著作物と被告書籍で共通しているのは、いずれも客観的事実にすぎない。参列者の名前が共通するから著作権侵害であるというに等しい原告主張は誤りである。しかも、右参列者の氏名と肩書きだけを記述した箇所においてすら、原告著作物と被告書籍では、具体的な記述、参列者の肩書き及びその記述方法、参列者として挙げる人物名が異なっている。
また、主会場に入りきれなかった会葬者が「カラープロジェクション」や「カラーモニターを通して葬儀に参加した」との記述は、類型的表現であり、創作的表現でない。その余の部分にも異なる部分がある。
(2) 別紙一覧表3の記述部分について ごく短い一文にすぎず、「【E】が敬虔なクリスチャンであったこと」「葬儀の形式が宗教色のそれほど強くない映像と音楽によるもの」だったという客観的事実に関する単語と形容詞が共通するにすぎない。文章の流れ、論理も異なるし、一覧表では明らかでないが、被告書籍では同表摘示部分に続いて「どこか晴れやかな雰囲気をかもし出していたものの、だからといって荘厳さを損なうものでもなかった」と記述しており、原告著作物とは具体的表現、受ける印象が異なっており、類似性はない。
(3) 別紙一覧表4の記述部分について 原告著作物は葬儀の模様を逐次記述しているが、被告書籍は一部省略して必須部分のみを記述しているのであり、取り出している箇所も表現も異なっている。特に被告書籍は、事実をそのまま逐次述べているのであり、原告著作物の創作的表現といい得る箇所との同一性は皆無である。
(4) 別紙一覧表5の記述部分について 原告は、別紙一覧表5記載の各記述部分を対比するに際して、原告著作物における記載順序を入れ替えて、被告書籍と対比しており、適当でない。原告著作物について著作権侵害を主張する以上、原告著作物の表現形式上の本質的特徴部分が、被告書籍から感得できるかどうかが問題となる。しかるに原告は、原告著作物では先に記載されている部分である別紙一覧表B欄の後の方に掲げられた部分を、同表5のA欄の被告書籍の末尾の部分と対比し、原告著作物には、右の記述部分に引き続く記述部分があり、その次に同表4のB欄の記述部分が記述されているにもかかわらず、これらの記述を一切「中略」として、それに引き続く記述部分を、被告書籍の対比部分と対比している。かかる恣意的な対比はそもそも一連の原告著作物との対比とすらなり得ない。原告著作物のあるがままを被告書籍と対比すれば、類似性など皆無であることが明らかである。
【E】氏の遺影について、被告書籍は、ビデオの構成と同様に記述しているが、原告著作物では描写の順序が逆である。その他、一覧表では省略されているが、原告著作物には、遺影の下に天皇陛下から贈られた花や勲章が並べられたこと、文化勲章を授与された時のことなどが述べられているが、被告書籍にはかかる記述はない。ボーイスカウトや子息の【I】の胸に抱かれた遺骨のこと、遺骨を納めた箱のことなどの描写については、「語」や「語句」は一部共通するものの、具体的な記述としては全く異なっている。また、「(遺骨を納めた)箱は、手のひらにすっぽり入る大きさであった」というやや文学的な表現は被告書籍にはない。以上のとおり、同欄5の記載については、文章のつながり、構成、順序、表現のいずれにおいても原告著作物と被告書籍は異なっており、類似性は皆無である。
(5) 別紙一覧表6の記述部分について そもそも共通する部分自体がほとんど存在しない。【K】夫人【J】の前置き部分は、そもそも著作権侵害を主張し得ない部分であるし、ビデオに撮影されていた部分である。右前置き部分の削除、修正についても通常行われる作業にすぎない。別紙一覧表6の記述部分については、類似性は皆無である。
当裁判所の判断
一 著作権の存否等について 原告著作物を原告が著作し、その著作権を有すること、及び、被告【B】が被告書籍を執筆し、被告会社がこれを発行したことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 争点1(被告らによる複製権侵害の成否)について 原告は、被告書籍のうち別紙一覧表A欄記載の各記述部分は、原告著作物の同B欄記載の記述部分の複製に当たると主張するので、この点につき検討する。被告書籍のうち別紙一覧表A欄記載の各記述部分が、原告著作物の同B欄記載の記述部分の複製に当たるというためには、被告【B】が原告著作物に接し、これに依拠して同A欄記載の各記述部分を執筆したこと、及び、右各記述部分が原告著作物の対応部分と著作物としての同一性、すなわち著作物の本質的特徴を感得しうる程度の同一性を有することを要するというべきである。
1 被告【B】が原告著作物に依拠する機会を有していたか 被告らは、被告【B】が原告著作物には接していないと主張し、原告著作物に依拠したことを争うところ、前記第二、一の「争いのない事実等」の欄に記載のとおり、原告著作物は平成一〇年一月二八日発行の夕刊フジ紙に掲載されたものであるが、同紙は首都圏において広く販売されているもので、容易に入手することができるものであり、他方、被告書籍は、前記争いのない事実記載の出版の時期からすると、原告著作物が平成一〇年一月二八日発行の夕刊フジ紙に掲載された時点以降に執筆されたものであるから、同被告が被告書籍執筆前に原告著作物に接する可能性はあったものと認められる。被告【B】が原告著作物に依拠して右各記述部分を執筆したと認めるには、同被告が原告著作物に接する可能性を有していたことに加え、原告著作物と被告書籍の右各記述部分との間に、前記のような同一性が存在することを要するものというべきである。そこで、以下、この同一性の存否につき検討する。
2 原告著作物と被告書籍の同一性について 原告著作物と被告書籍の右各記述部分が同一性を有するか否かは、原告著作物と被告書籍の著作物としての態様、叙述内容、叙述形式等を参酌のうえ、原告著作物と被告書籍の各記述部分の表現形式を対比して、被告書籍における記述部分から、原告著作物における記述部分の本質的特徴を感得しうるか否かによって決すべきである。
(一) 原告著作物と被告書籍の内容等について 甲一、五の一ないし一八、乙一に、前記争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。
原告は、夕刊フジ紙に、平成九年一〇月一三日号から、「デジタル・ドリーム・キッズ/ソニー燃ゆ」と題した、ソニー株式会社の歴史等に関する記事を連載していた。原告著作物は、ソニー株式会社の最高相談役・名誉会長【E】氏が平成九年一二月一九日死亡したことから、平成一〇年一月二一日に行われた葬儀(ソニーグループ葬)の模様を、第六五回「天才を送った日」と題して叙述したものである。原告著作物における右社葬の模様を記載した部分の表現は、葬儀という歴史的事実をテーマとしてこれを客観的に表現するというその性質上、さほど執筆者の個性を強く出すことなく、事実をありのままに記載した叙述が多い。
被告書籍は、ソニー株式会社の【L】社長をテーマの中心に据えて、同社に比較的最近起こりつつある変革等を叙述したものである。原告著作物との類似を原告により指摘されている部分は、被告書籍の本文二三〇頁中の四頁少々を占める「【E】の死を悼む人々」と題する部分である。右部分は、前記葬儀(ソニーグループ葬)の模様を叙述したもので、執筆者の主観を交えることなくやはりありのままに記載した叙述が多い。このように原告著作物と被告書籍のうち原告指摘の部分は、同一事実を対象として叙述したもので、事実を客観的に記述するという表現態様も共通している。
(二) 別紙一覧表A欄及びB欄記載の各記述部分の類否について 右(一)の認定によれば、原告著作物と被告書籍は、いずれも【E】氏の葬儀という同一の歴史的事実を対象として、これを客観的に記述するという内容・表現態様の論稿であるから、記述された内容が事実として同一であることは当然にあり得るものであるし、場合によっては記述された事実の内容が同一であるのみならず、具体的な表現も、部分的に同一ないし類似となることがあり得るものである。
このような点を考慮すると、原告著作物と被告書籍の右各記述部分が著作物として同一性を有するというためには、原告著作物の右記述部分における本質的特徴、すなわち創作性を有する表現の全部又はその大部分が被告書籍に存在することを要するものというべきである。そこで、以下、このような観点から、原告著作物中の別紙一覧表B欄の部分と、これとほとんど同一であると原告の主張する被告書籍中の同A欄記載の記述部分の同一性を検討する。
(1) 別紙一覧表2の記述部分について 原告著作物における別紙一覧表2のB欄の記述部分は、葬儀に参列した各界の著名人の顔ぶれを紹介するとともに、葬儀会場の状況すなわち主会場に加えて、その様子を中継する映像機器の設置された隣室が会場として用いられたことを述べる内容である。被告書籍における対応部分も、右と同内容を述べるものであるが、葬儀の事実を伝えるに当たって列席者を記すのは一般的なことであり、政界、
財界及び電機業界から列席者として記述された人物も、各界における経歴、著名度からすれば当然の人選であって、その点に創作性が介入する余地はない。また、葬儀会場が主会場と隣室に分かれていたことも、単なる事実の記載の域を出るものではない。
もっとも、参列者のうち、【G】元首相については、弁論の全趣旨によれば、【G】氏本人は出席しておらず、代理者が出席していたものであるところ、
葬儀を取材した原告は、その際【G】氏に似た人物を見かけたことから、【G】氏本人が出席したものと思い込んでそのように原告著作物に記載したと認められるが、本件全証拠によっても、被告【B】が素材とした資料中に【G】氏本人の出席を明らかにするものが存しないのに、被告書籍中にも【G】氏が出席した旨記載されている。また、主会場に入りきれなかった参列者が隣室で葬儀に参列するために、主会場の様子を映像機器を用いて隣室に中継するという方法がとられたが、当該機器を示す名称としては、原告著作物、被告書籍の双方において「カラープロジェクション」「カラーモニター」の語が用いられている。
しかしながら、参列者の中に【G】氏本人を含めるかどうかという点は、事実としてどうであったかはともかく、何ら創作性に係わるものではなく、また、「カラープロジェクション」「カラーモニター」の語が当該機器を示す語として必ずしも一般的でなかったとしても、右の語を用いることが創作的表現となるものではない。
右のとおり、原告著作物における別紙一覧表2の記述部分については、
創作的表現であって被告書籍の対応部分にも共通して用いられているものは認められない。
(2) 別紙一覧表3の記述部分について 原告著作物における別紙一覧表3のB欄の記述部分は、【E】氏がクリスチャンであったこと、葬儀はキリスト教式であったが宗教色は強くないこと、映像と音楽中心の葬儀であったことなどを述べる内容であり、被告書籍の対応部分も右と同内容を述べるものであるが、葬儀の事実を伝えるに当たってその形式を記述することは一般的なことであり、また、文章も短く、創作的表現は認められない。
原告は、「敬虔なクリスチャン」なる表現が原告著作物と被告書籍において共通して用いられていることを指摘するが、「敬虔」は、宗教信仰者について一般的に用いられる慣用的表現であるから、この語を用いることをもって創作的表現ということはできない。
(3) 別紙一覧表4の記述部分について 原告著作物における別紙一覧表4のB欄の記述部分は、葬儀の冒頭の状況を伝えるもので、献灯と、それに引き続いての「葬送行進曲」のピアノ演奏、その演奏者、ピアノの位置等を述べる内容であり、被告書籍の対応部分も右と同内容を述べるものであるが、葬儀の事実を伝えるに当たって献灯等の様子を記述することは一般的なことであり、また、文章も短く、原告著作物の右部分に創作的表現は認められない。
また、原告著作物には、「時計の針が正午を指したとき、」「【M】はピアニストを紹介しなかったが」などと被告書籍にはない表現がいくつか見られ、
原告著作物と被告書籍は表現も相当異なっている。
なお、甲四、弁論の全趣旨によれば、被告【B】が、同被告の前著「井深大とソニースピリッツ」の後、原告の抗議を受け入れて、無用な争いを避けるために、被告書籍では、献灯による式の開始に「つづいて」右演奏が始まったとの表現に改めたことが認められ、原告はこれを不自然であると主張するが、右経緯に特段不自然な点はないというべきである。また、「葬送行進曲」という語は、ショパン作の当該ピアノ曲を指す名称として広く用いられているものであるから、被告書籍がこの語を用いていることが、原告著作物への依拠をうかがわせるものではない。
(4) 別紙一覧表5の記述部分について 原告著作物における別紙一覧表5のB欄の記述部分は、前記葬送行進曲に合わせて、ボーイスカウト隊員に先導されて遺骨が入場したこと、遺骨の置かれた状態、大きな【E】氏の遺影が飾ってあること、その遺影の表情などを述べる内容であり、被告書籍の対応部分も右と同内容を述べるものであるが、葬儀の事実を伝えるに当たって遺骨や遺影の状況を記述することは一般的なことであり、原告著作物においては、具体的表現としても、遺骨を納めた箱の大きさを「遺影の中の【E】自身の手のひらにすっぽり入る大きさであった」と表現する点に創作性を認め得るものの、その他の部分には創作性は認められない。そして、原告著作物において遺骨を納めた箱の大きさを表現する右記述については、被告書籍にこれと対応する表現は存在しない。
(5) 別紙一覧表6の記述部分について 原告著作物における別紙一覧表6のB欄の記述部分は、一分間の黙祷の後、ハワイで療養中の同社名誉会長【K】氏の夫人がメッセージを代読したことを述べる内容であり、被告書籍の対応部分も右と同内容を述べるものであるが、葬儀の事実を伝えるに当たって黙祷の様子や弔辞の内容を記述することは一般的なことであり、原告著作物においては、具体的表現としても、右メッセージについて、
「【K】氏自身の書いたものではなく、彼の意をくんで夫人が綴ったものであった」とする部分に創作性を認め得るとしても、その他の部分には創作性は認められない。そして、原告著作物におけるメッセージに関する右記述部分については、被告書籍にこれと対応する表現は存在しない。
なお、原告は、【J】夫人の実際のメッセージの前置きは「今日、ここに一番いなくてはならない人、一番初めに葬儀委員長として弔辞を読まなくてはならない人、それは私の夫である【K】でございます。」であり、これは前記乙五のビデオで確認できるのに、原告著作物と同一の「今日、ここにいなくてはならない人、一番初めに葬儀委員長として弔辞を読まなければならない人、それは私の夫である【K】でございます。」という表現が被告書籍中に存在することを指摘するが、「ここに一番いなくてはならない」という言い方は日本語の表現として不自然であり、この中から「一番」を削除したことをもって、直ちに原告著作物への依拠を認めることはできない。
(三) 以上によれば、被告書籍中には、【G】元首相の出席に関する部分や葬儀会場に設置された映像機器について「カラープロジェクション」「カラーモニター」の語を用いた点など、被告【B】が被告書籍執筆に際して原告著作物を参考にしたことをうかがわせる部分もないではない。
しかし、右の点を含めて、別紙一覧表2ないし6の各B欄記載の記述部分の多くは、葬儀という事実を伝えるに当たって一般的に記述する事項について、いかなる者が記述しても同様な表現にならざるを得ないような慣用的表現ないしありふれた表現により記述されたものであり、原告著作物中の創作性が認められるような特徴的表現部分については、いずれも被告書籍中にはこれと対応する表現は存在しない。これらのことからすれば、被告書籍における別紙一覧表A欄記載の各記述部分と原告著作物における同B欄記載の各記述部分とは、著作物としての同一性を有していないものといわなければならない。
そうすると、被告書籍における別紙一覧表A欄記載の各記述部分は、原告著作物における同B欄記載の各記述部分を複製したものとは認められない。
三 争点2(被告らによる著作者人格権侵害の成否)について 右二に判示のとおり、被告書籍における別紙一覧表A欄記載の各記述部分と原告著作物における同B欄記載の各記述部分とは、著作物としての同一性を有しているということはできないので、右同一性を前提として、氏名表示権及び同一性保持権の侵害をいう原告の主張は、その前提を欠き、いずれも理由がない。
四 以上によれば、原告著作物についての著作権(複製権)及び著作者人格権の侵害を理由とする原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。
よって、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結の日 平成一二年六月八日)
裁判長裁判官 三村量一
裁判官 村越啓悦
裁判官 中吉徹郎
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