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関連ワード 創作性 /  独自性 /  著作者 /  表現方法 /  地図 /  翻案 /  同一性 /  類似性 /  著作者人格権 /  氏名表示権 /  複製権 /  引用 /  著作権侵害 /  差止 /  損害賠償 / 
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事件 平成 9年 (ワ) 442号 謝罪広告等請求事件
原告 【A】右訴訟代理人弁護士 伊藤真
被告 【B】こと【C】 右訴訟代理人弁護士 古賀正義
同 吉川精一
同 喜田村 洋一
同 林陽子
同 小野晶子
同 二関辰郎
裁判所 東京地方裁判所
判決言渡日 2001/03/26
権利種別 著作権
訴訟類型 民事訴訟
主文 一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
請求
一 被告は、別紙目録一記載の小説を出版し、販売その他頒布し、又は、第三者をして出版し、販売その他頒布させてはならない。
二 被告は、原告に対し、朝日新聞、讀賣新聞、毎日新聞、産経新聞の各紙の全国版朝刊社会面に別紙目録二記載の謝罪広告を同目録記載の掲載条件で各一回掲載せよ。
三 被告は、原告に対し、月刊「文藝春秋」の目次頁に別紙目録三記載の謝罪広告を同目録記載の掲載条件で一回掲載せよ。
四 被告は、原告に対し、金六五〇万円及びこれに対する内金一五〇万円については平成九年一月三一日から、内金五〇〇万円については平成一一年一月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
事案の概要
本件は、被告が執筆した小説の出版、頒布行為が、原告の著作した著作物について原告が有する著作権(複製権翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権)並びに人格権を侵害するなどと主張して、原告が被告に対して、出版等の差止め、損害賠償の支払及び謝罪広告を求めた事案である。
一 前提となる事実(証拠を示した事実を除き、当事者間に争いはない。) 1 当事者 原告は、筑波大学留学生センター教授であるが、昭和一六年、旧満州国の「新京」(現在の中華人民共和国吉林省長春市)に生まれ、幼少時に中国革命戦争下の共産党軍(八路軍)の長春包囲戦に巻き込まれ、長春を脱出する際に国民党軍と八路軍の間に設けられた「子」(チャーズ)において脱出を許されるまでの数日間凄惨な状況の中に置かれたという自らの体験をもとに、後記2記載のとおりの各作品(以下「原告各著作物」という場合がある。)を著作した。
被告は、小説作家であり、後記3記載のとおり被告小説を執筆した。
2 原告各著作物 (一) 「不条理のかなた」 原告は「不条理のかなた」を著作し、右作品は、昭和五八年三月、第四回読売「女性ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞優秀賞を受賞した。右作品は同年一一月、読売新聞社から出版された(「こぶしの花」(第一七刷)中の七九頁ないし一四六頁に収録されている(甲一)。)。
同作品中の著作権を侵害されたと主張する部分は、別紙対照表(以下「対照表」という。)一及び四の上段のとおりである。
(二) 「知られざる子」 原告は「知られざる子」を著作した。右作品は、昭和五八年八月、月刊誌「文藝春秋」九月特別号の特別企画である「されど、わが『満州』」の体験記の一つとして執筆されたものである。右「されど、わが『満州』」は、昭和五九年三月に単行本として出版され、「知られざる子」は、同書の一六〇頁ないし一六二頁に収録されている(甲一三、一四)。
同作品中の著作権を侵害されたと主張する部分は、対照表一の上段39項のとおりである。
(三) 「 子 出口なき大地」及び「 子上巻」 原告は、「子 出口なき大地」を著作し、右作品は昭和五九年、読売新聞社から単行本として出版され、その後平成二年、「子上巻」(書名は 子「上」とされているが、「上巻」と表記する。その他の書籍も同様である。)として文春文庫から出版された。
「子 出口なき大地」は、第一章ないし第四章の本文部分に、「あとがき」及び「主な参考文献」を加えた作品であり、総頁数は第一刷では二六七頁である(甲二)。「子上巻」は、「第一部長春篇」第一章ないし第四章の本文部分に、「長春篇あとがき」及び「地図(長春・満州)」を加えた作品であり、総頁数は第二刷では二八六頁である。後者の内容は、「長春篇あとがき」以降を除いて、
前者と同様である(甲四の一)。
右各作品中の著作権を侵害されたと主張する部分は、対照表一ないし四(「子上巻」は四のみ)の上段のとおりである。
(四) 「続 子 失われた時を求めて」及び「 子下巻」 原告は、昭和六〇年、「続 子 失われた時を求めて」を著作し、右作品は平成二年、読売新聞社から出版され、その後同年に「天津編」を加えた上で、「子下巻」として文春文庫から出版された(甲三、四)。
「続 子 失われた時を求めて」は、第一章ないし第五章の本文部分に、「序章」及び「あとがき」を加えた作品であり、総頁数は第一刷では二三八頁である(甲三)。「子下巻」は、「第二部延吉篇」第五章ないし第九章の本文部分及び「第三部天津篇」第一〇章の本文部分に、「延吉篇あとがき」、「あとがき」、「主な参考文献」及び「地図(延吉・天津・満州)」を加えた作品であり、
総頁数は第二刷では二八五頁である(甲四)。後者の内容は、加筆した部分以外は、前者と同様である。
右各作品中の著作権を侵害されたと主張する部分は、対照表四の上段のとおりである。
3 被告小説 (一) 被告は、月刊「文藝春秋」昭和六二年五月号から平成三年四月号までに、「大地の子」と題する小説を連載して発表した(甲六)。同作品は、被告により加筆された上、平成三年に株式会社文藝春秋から四六判の単行本として出版され(甲五)、さらに平成六年文春文庫(一巻ないし四巻)から出版された。なお、単行本と文庫本の内容は同一である(以下、月刊「文藝春秋」掲載の作品を「被告小説(月刊誌)」と、単行本掲載の作品を「被告小説(単行本)」という。また、両者を合わせて単に「被告小説」という場合がある。)。
(二) 被告小説(単行本)は、上巻(第二八刷は三六三頁)、中巻(第二六刷は二八一頁)、下巻(第二六刷は五〇一頁)からなり、上巻は第一章ないし第一四章から構成され、中巻は第一章ないし第一二章から構成され、下巻は第一章ないし第二〇章の本文部分並びに「あとがき」及び「取材協力・参考文献」から構成されている。下巻「参考文献」の「満州開拓団、逃避行、残留孤児」の欄には、原告各著作物中の「子 出口なき大地」(読売新聞社)のみが挙げられている。
各作品中の著作権を侵害したと主張する部分は、対照表一ないし四の下段のとおりである(被告小説(月刊誌)は、一、三及び四)。
二 争点 1 対照表一(複製権侵害及び翻案権侵害の有無) (原告の主張) (一) 被告は、原告各著作物に依拠して、対照表一記載のとおり、原告記述部分(上段)と実質的に同一又は類似する被告記述部分(下段)を用いて、被告小説を執筆したのであるから、被告は、同対照表原告記述部分について有する原告の複製権及び翻案権を侵害した。右の原告各著作物と被告小説の対応関係は、対照表一記載のとおりである。
(二) 複製、翻案について 被告小説では、@原告各著作物中の具体的表現が、そのまま、あるいは、言い換えられながら、多数利用され、A原告各著作物中の具体的な情景や登場人物の具体的動作などの描写が、同一の着眼点、同一の視点から、同一の順序で、
記述されている。したがって、被告小説(被告記述部分)は原告各著作物(原告記述部分)を複製したものというべきである。
また、被告小説では、原告各著作物において、個性的に表現された具体的な情景や登場人物の具体的動作などの描写が、内容を変えることなく記述されているのであるから、被告小説(被告記述部分)は原告各著作物(原告記述部分)を翻案したものというべきである。
(三) 依拠性について 被告小説は、以下のとおり、原告各著作物に依拠して執筆された。
「不条理のかなた」については、前記のとおり、原告が執筆した同作品は、昭和五八年三月、読売「女性ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞優秀賞を受賞して話題になり、同年一一月に出版された。また、右作品の所収された「こぶしの花」の書籍は、原告から「されど、わが『満州』」の文藝春秋編集担当者に献本されている。
「知られざる子」については、日本で 子の詳細が紹介されたのは、文藝春秋昭和五八年九月特別号の特集「されど、わが『満州』」の中の「知られざる子」であり、これにより 子に関する事実を述べた同作品は反響を呼んだ。被告はその前年の同誌九月増刊号で「『不毛地帯』とシベリヤ」を執筆しているので、翌年の九月号特別号も被告に送られているはずで、その際、被告は、同作品を閲読しているはずである。
「子 出口なき大地」については、前記一3(二)記載のとおり、被告小説(単行本)下巻「参考文献」の「満州開拓団、逃避行、残留孤児」の欄に挙げられているので、これに依拠したことは明らかである。
「続 子 失われた時を求めて」については、原告から文藝春秋の編集者に寄稿された。
なお、被告小説は、同じ文藝春秋に連載されているところ、その執筆に当たり、文藝春秋の編集部がプロジェクトを組んで文献収集に協力したということであるから、文藝春秋の編集部が被告に「不条理のかなた」及び「続 子 失われた時を求めて」も提供しているはずであり、被告はそれらも読んでいるはずである。
ところで、被告は、昭和五九年に中国社会科学院外国文学研究所日本文学研究組に招聘されて訪中し、その際「宋慶齢について書いてくれ」と言われたときに、初めて、中国に関して書く題材が浮かんだと述べているが、信用できない。
そして、被告が独自の取材に基づいて被告小説を執筆した根拠とする昭和五九年六月の取材ノートには信憑性がなく、後追い取材としてされたものにすぎない。被告は、昭和五八年八月に「知られざる子」を、同年一一月に「不条理のかなた」を読んで、被告小説に関する基本的着想を得たというべきである。
(被告の反論) 対照表一の原告記述部分のうちには、創作性の認められないものがある。
例えば、原告記述部分37項については、翌朝に目をさますという人間の通常の行動を描写するのに「翌朝目を覚まして」という表現を用いるのは当然であって、このような表現には創作性はない。
対照表一の4項、8項、9項、13項ないし15項、17項ないし19項、21項ないし23項、25項、26項、28項ないし30項、33項、34項、36項、38項、41項、44項、45項などは、原告記述部分と被告記述部分を見比べただけで、両者が同一でなく、又は類似しないことは明白である。
また、以下の観点から、対照表一における原告記述部分と被告記述部分とは同一性又は類似性がないことは明らかである。すなわち、対照表一の2項を例にすると、広く中国での日常的な生活、又は歴史的な事実を描写する場合に、類似する表現が用いられるのは当然のことである。例えば、中国人は生ものを食べず、炒め物にすることが多いが、炒め物をする場合には、肉、野菜、油、ニンニク、唐辛子などが一般に選ばれているから、市場ないし店の様子を描写するのであれば、似通った表現になるのは当然であり、これをもって両者の表現が同一であると解することはできない。また、対照表一の11項を例にすると、長春を脱出して孟家屯方面へ行くには南方へ行くしかないというように、一つの歴史的事実を描く場合には、
そこで取り上げられる対象又は内容が似通ったものとなることは当然である。同一の歴史的事実を扱った著作物の類似性の判断の場合、個々の歴史的場面を取り出して、その表現の類似性を比較するのではなくて、個々の事実の取り上げ方、表現方法、全体の構成など、著作物としての創作部分における表現を比較すべきであり、
そうすると、創作的部分において、両者は同一性又は類似性がない。
さらに、対照表一における被告記述部分は、被告自身が行った取材に基づいて被告が創作したものであり、原告各著作物に依拠したものではない。
2 対照表二(翻案権侵害の有無) (原告の主張) 「子 出口なき大地」と被告小説(単行本)のストーリーないし場面の展開は、対照表二記載のとおりである。
対照表二のとおり、被告小説(単行本)は、主人公陸一心らが、
子に向かう場面から子を脱出するまでの具体的な場面展開において、「 子 出口なき大地」の具体的な場面展開を、そのままないし一部入れ替えて利用したものであり、両者のストーリーは、同一であるか、類似している。被告小説は、これを読む一般人をして「子 出口なき大地」の同場面に関する表現を想起させる程度に類似しているといえるから、被告小説(単行本)は、「子 出口なき大地」を翻案したものである。
なお、被告小説(単行本)が、原告著作物「子 出口なき大地」に依拠して執筆されたことは、前記1(三)記載のとおりである。
以上のとおり、被告が対照表二の被告のストーリーないし場面の展開を用いて被告小説(単行本)を執筆した行為は、原告の原告著作物「子 出口なき大地」に係る翻案権を侵害する。
(被告の反論) 被告小説において描かれた、長春を出て、
子を通過して南方の孟家屯方面へ脱出するというルートは、同じ状況に置かれた多くの人がたどったルートであり、原告の一家以外にも同様の体験をした者は多数存在する。そのような同種の体験をした者を描くとき、この者が目にし、耳にしたものが似通ったものとなったり、たどったルートが同一となったり、味わった苦難が類似のものとなったりするのは当然である。現に、原告各著作物より三〇年以上も前に発表された子に関する【D】「あら野の白鳥」などの体験手記(乙九及び一〇)の中には、原告各著作物や被告小説の中で描かれているものと類似の内容が散見される。このように、同一の歴史的事実を取り上げた作品が、ある程度類似することは当然であるから、翻案権侵害の成否を問題とする場合には、後発の作品が先行の著作物と異なる独自の創作的な価値を有するか否かにより判断すべきである。
この観点から「子 出口なき大地」と被告小説とを比較する。
「子 出口なき大地」では、 子で、原告らが同行していた工場の技術者の遺族が脱出を許されず、置き去りを余儀なくされたことがテーマとされている。
これに対し、被告小説では、国府軍下の人心荒廃を背景として、長春駅前で人さらいが陸一心を人身売買するが、その場を通りかかった陸徳志が陸一心を助けることになる。また、長春脱出行の過程で子を通過する際、 子の死線を共に越え、運命を分かち合うことにより、それまで、養父である陸徳志を「々(パーパ)」(父さん)と呼ぶことのなかった陸一心が、ようやく「々(パーパ)」と呼ぶことになる。被告は、
子の様子自体を描こうとしたのではなく、「 々!(パーパ!)」の一言を真実の叫びとするために、
子の場面を描いたのである。
被告小説では、長春を脱出して子を越えるという単なる歴史的事実が表現されているのではなく、右に述べたテーマに沿って描写がされている。
このように、「子 出口なき大地」及び被告小説における 子の場面は、同じ歴史的事実を基礎としているが、全く別のテーマから描写されているのであり、根本的な差異が存するから、対照表二で記載されたストーリー構成において似通った場面があったとしても、被告小説が「子 出口なき大地」を翻案したとはいえない。
のみならず、被告による子に関する描写は、独自の取材に基づくもので原告各著作物に依拠したものではないから、その意味でも翻案権侵害が成立する余地はない。
3 対照表三(翻案権侵害の有無) (原告の主張) 「子 出口なき大地」と被告小説(単行本)の各構成(両者とも起承転結形式を採用している。)は、対照表三記載のとおりである。
「子 出口なき大地」においては、@「偉大な革命のために人民が血を流すエピソードを提示する。」(六二頁三行ないし七行)A「そのことから偉大な毛沢東を引き出す。」(六三頁八行ないし一〇行)B「会話体による疑問を反転として、偉大であるはずの毛沢東について、肯定的なイメージを抱かない状況へと展開させる。」(六三頁一〇行ないし一七行、以上、第一章「赤いガラス玉」)C「八路軍が子の門を開けないことに触れ、八路軍に対するかつての肯定的なイメージについて、子供を通して、想起させた後、なぜ人民の味方の八路軍が子の門を開けないのかという疑問を子供の視点から投げかける。」(一六〇頁一行ないし終わりから二行、一六二頁七行ないし一一行、以上、第三章「絶望都市・長春」)という起承転結の構成が採用されている。これに対して、被告小説(単行本)(上巻九四頁七行ないし九五頁一三行、一〇九頁終わりから二行ないし最終行、一一二頁終わりから三行ないし一一三頁八行)においても、同一又は類似の構成が用いられている。
すなわち、原告は子における出来事について、「なぜ、その八路軍が」という苦しい葛藤をし、これを「子 出口なき大地」における一つの大きな枠組みとし、右疑問を父親に投げかけるという独特の起承転結の構成を用いて叙述したところ、被告小説(単行本)において、本来そのような疑問を持つ必然性がないにもかかわらず、同一の起承転結の構成(話の展開の具体的な枠組み)が用いられている。
なお、被告小説が、「子 出口なき大地」に依拠して執筆されたことは、
前記1(三)記載のとおりである。
以上のとおり、被告が対照表三の構成を用いて被告小説(単行本)を執筆した行為は、原告の「子 出口なき大地」に係る翻案権を侵害する。
(被告の反論) (一) 原告が主張する起承転結という構成上の特徴は、以下の理由から独自性はない。
子については、原告だけでなく、多数の者も体験した。 子を描く際、その中に置かれた人がどのようなことを考え、どのような願いを持ったかについては、これを体験した者の間で似通ったところが出てくるのは当然である。
すなわち、長春市内から脱出しようとしている人々は、国民党地域を出て子内に入ったのであり、 子から脱出するためには、八路軍が守備している門を開けてもらわなければならず、関心の対象が八路軍側に向けられるのは当然である。しかも、中にいる者たちの唯一の関心は、
子の開門であるから、門をなかなか開けようとせず、
子内で多数の死者が出ていることについて八路軍側に対する不満あるいは疑問が生じるのも自然の成り行きである。さらに、国共内戦が繰り広げられた当時の時代背景の下、八路軍の最高指導者である毛沢東について毀誉双方の言及がされるのも当然であるし、毛沢東に対してある程度肯定的な評価をしていた者でも、門をなかなか開けようとしない八路軍に不満を持ち、これが毛沢東に及ぶことも自然の成り行きである。その意味で、原告が主張する起承転結という構成上の特徴は、原告独自のものではなく、創作性はない。
(二) さらに、右のような抽象的なレベルでの比較を越えて、八路軍との関わり、その否定的評価、
子を脱出する状況などを具体的に対比すれば、対照表三の原告記述部分と被告記述部分は、構成において同一性がない。
すなわち、「子 出口なき大地」では、原告及びその一家は、八路軍に対して信頼を寄せており、これが裏切られると、原告は八路軍を嘘つきと呼び、
自分を切り離そうとする。読者にとって、八路軍に対するこのような印象は、
子の脱出の場面で八路軍が技術者の遺族を切り離して、外に出さないという仕打ちをすることによって最も強まることとなる。これに対し、被告小説では、主人公及びその養父母は、それまで八路軍に対して格別の信頼感を持つことがなかったため、
主人公は子の中でも八路軍がどうして助けてくれないのかという単純な疑問を抱くだけであり、八路軍を否定するような感情を持たない。そして、主人公らが子を脱出する場面では、原告各著作物とは逆に八路軍の人道的な判断により助けられるのであって、八路軍に対する読者の印象は全く異なる。以上のとおり、対照表三の原告記述部分と被告記述部分とでは、構成において相違する。
4 対照表四(翻案権侵害の有無) (原告の主張) 原告各著作物と被告小説(単行本)の、ストーリーの流れ、素材の選択、
表現手法等の特徴は、対照表四記載のとおりである。
原告各著作物と、被告小説とは、例えば、1項(侵略戦争の問題を提起したのち、日本人に対する罵倒表現を引用し、敗戦の状況に話を転じる書き出し部分の手法)、7項(避難民を助け、その人が重病に罹る出来事の選択)、27項(思い出として、田舎の川に魚釣りに行ったことを記述する手法)等、四〇か所にわたり、ストーリーの流れ、素材の選択等において共通点が存在する。
また、被告小説には、(a)原告の特殊な事情に基づく理由で、原告各著作物に記述された事柄が、そのまま記述されている事項(24項、25項、28項、29項、30項、34項)、(b)原告が記述した描写を、そのまま他の場面にはめ込んだがゆえに歴史的な誤りなどが存在した事項(18項、24項、31項)、(c)当時の状況を取材して記述するのであれば当然に描かれるべきであるにもかかわらず、原告各著作物に記述がないために、描かれていない不自然な事項(18項、25項)、原告各著作物と、着眼点、視点において共通する点が存在する事項(1項、8項、10項、20項、27項、38項及び40項)等がみられる。
このように、被告小説の中に描かれた主人公陸一心の人生が、実は原告各著作物に表現された原告の人生そのものにほかならないといえる。
なお、被告小説が、原告各著作物に依拠して執筆されたものであることは明らかである。
以上のとおり、被告が対照表四のストーリーの流れ、素材の選択、表現手法等における共通要素を用いて、被告小説(単行本)を執筆した行為は、原告の原告各著作物に係る翻案権を侵害する。
(被告の反論) 原告は、原告各著作物と被告小説とは、ストーリーの流れ、素材の選択、
表現手法等の特徴において、四〇の共通要素がある旨主張する。しかし、右共通要素として主張する部分は、単に類似した単語が用いられている程度のものである。
原告が挙げる個々の共通要素については、その比較が誠実にされたものとは思われないものや(28項)、比較が恣意的であるもの(38項)、比較の際、対象の全体を無視して、ことさら細部だけを取り出し、しかもその対比方法も適切でないもの(10項)などがある。
原告各著作物と被告小説を、ストーリーの流れ等の観点から対比すると、
以下のとおり類似しない。すなわち、
「子 出口なき大地」における 子に関する部分は、長春市で製薬会社を営んでいた原告一家が、長春の生活一切を捨てて、製薬会社の社員やその家族と共に子に入り、苦難の後に、ほぼ全員が 子を脱出することができたが、社員の遺族については、製薬会社関係者ではないとして、
子の中に留めおかれたというのが、あらすじである。これに対し、被告小説における子に関する部分は、
戦争孤児である主人公が、かつて、日本が侵略した中国の養父母に育てられ、長春を脱出するために一家で子の中に入り、仲秋節に、開門されたため、脱出しようとしたところ、一旦は主人公が通過を拒否されるが、身代わりになろうとした養父の嘆願により、ようやく一家全員で子を通過することができたというのが、あらすじである。このように子に関する部分だけでも、原告各著作物と被告小説の、
ストーリーの流れにおける相違は明白である。しかも、被告小説は、その後、主人公が様々の苦難を経て大学に進学し、技術者となりながら、冤罪で労働改造所に送られ、再び、養父の献身的な働きによって生還し、他方、生き別れとなった妹と三〇年以上の歳月を経て再会するが、妹が程なく死亡するという悲劇に遭遇し、また、日中合作の製鉄所建設のために日本側と接触していく過程で日本の実務責任者が主人公の実父であることが判明し、実父と養父のどちらと生きていくべきか心が千々に乱れながらも、最後には「大地の子」として中国に残ることを決断するというストーリーが展開されている。このような部分は原告各著作物には全く存在しない。
以上のとおり、対照表四に関する原告著作物と被告小説とは、ストーリーの流れ、素材の選択、表現手法等の特徴において、相違する。
5 氏名表示権侵害 (原告の主張) 前記1ないし4のとおり、被告は、被告小説の中において、原告各著作物を無断で複製、又は翻案して使用しているのにもかかわらず、原告の氏名を表示していない。被告の右行為は、原告の原告各著作物に係る氏名表示権を侵害する行為である。
(被告の反論) 原告の主張は争う。
6 人格権侵害 (原告の主張) 被告は、以下に述べるとおり、原告の人格権を侵害したので、民法710条の不法行為が成立し、損害賠償責任を負う。
(一) 原告の人格に対する侵害行為 人は、人格権の一内容として、自らの心の傷(心的外傷)となっている惨事の体験及びそれを表した著作物を自己の意思に反して利用されない権利を有する。この権利は、人格権の一内容として判例上認められている氏名権や肖像権と類似した人格権の一内容として、又は、情報コントロール権としてのプライバシー権の一内容として位置付けられる。
原告が原告各著作物中において表現した中国大陸における悲惨な体験は、原告の人生に強い影響を与え、原告の心の深い傷となって、原告の人格と極めて密接に関わっており、氏名や肖像と同様の不法行為法上の保護を受けるべきものである。そして、原告の右体験をもとにした原告各著作物は、原告の人格と深く結びついているので、一般の著作物以上に、原告の意思に反して、とりわけ営利目的や娯楽目的に利用されない保護を受けるというべきである。特に、本件のように、
現存の人をモデルとして扱う場合には、その人の人格的利益を傷つけないようにする格段の注意が要求されるというべきである。しかるに、被告は、被告小説において、原告各著作物において表現された原告の悲惨な体験、これを表現した原告各著作物を原告に無断で利用したのであり、原告の有する右人格権を侵害した。
(二) 原告の父親に対する敬愛追慕の情の侵害行為 死亡した肉親について、生存者であれば重大な人格権侵害となるべき違法な行為が、出版行為等により行われた場合には、遺族は死亡した肉親に対する敬愛追慕の情を著しく侵害されることになる。したがって、このような行為は、原告に対する不法行為を構成するというべきである。
原告の父親は、
子から、同行していた技術者の遺族を連れて出すことができず置き去りにせざるを得なかったことを臨終の際に言及するほど深い心の傷としていた。この事実を本人の意に反して利用することは、原告の父親が生存していれば、原告の父親に対する重大な人格権侵害になる。原告は、父親の心の傷となった体験とそれに対する父親の強い思いに限りない哀憐と敬愛、追慕の情を抱いており、父親の臨終の際の言葉が原告各著作物を創作する強い動機となったほどである。
しかるに、被告は、被告小説を著作して公表し、その中で、
子における原告の体験を物語の山場として利用し、しかも、主人公の陸一心を連れ出すという原告各著作物とは全く逆の結論を採用して、原告の父親の心の痛みを逆手に利用し、原告の父親の痛みを吐露した原告に一層の精神的苦痛を与え、原告の父親に対する敬愛追慕の情を著しく侵害した。
(三) 参照したにもかかわらず、参考文献として表記しなかった違法行為 被告は、被告小説を著作し発表するに際し、「不条理のかなた」、「知られざる子」、「 子 出口なき大地」、「続 子 失われた時を求めて」のすべてについて、重要な参考文献としていたのに、意図的に、「子 出口なき大地」しか参考文献に掲げなかった。
その結果、
子に関して記載された貴重な資料として「 子 出口なき大地」以外の原告各著作物が存在していることがことさらに覆い隠され、人類の歴史の中から原告の苦しい歩みが抹消された。
原告は、
子で生き残った者として、歴史から抹消されていた 子という事実を公表して一人でも多くの人にその事実を知ってもらいたいとの使命感から、自らの苦しみを越えて原告各著作物を著作し発表した。原告各著作物を掲記しなかった被告の不作為により、史実を伝えようとした子の体験者ないし著作者としての全存在を否定され、原告は大きな精神的苦痛を被った。
確かに、一般の小説などにおいて、参考にした書籍等をすべて参考文献等の形で掲記する法的義務があるわけではないが、被告は被告小説の中で、「すべて事実に基づいて再構成したフィクションである」とうたい、詳細な参考文献の一覧を掲記しながら、あえて、「子 出口なき大地」以外の原告各著作物を掲記せず、原告各著作物を計画的に無視したもので、右行為には違法性がある。
(四) 虚偽の著作動機を述べた違法行為 被告は、さまざまな機会に、被告小説を着想したのは、昭和五九年に中国社会科学院外国文学研究所日本文学研究組に招聘されて訪中した時に、「宋慶齢について書いてくれ。『二つの祖国』でアメリカが書けたのに、なぜ中国が書けないのか。」と詰め寄られてハッとし、中国には戦争孤児がいるではないかと突然被告小説の発想がひらめいた旨述べている。
しかし、実際には、被告は、右以前に発行されていた「不条理のかなた」及び「知られざる子」を読み、被告小説の基本的着想を得ていたのにもかかわらず、被告はこの事実を故意に隠し、自分が着想したかのように偽っている。
原告は、被告の著作動機を偽る発言を知るにつれ、ことさらに、原告を無視する被告の態度と、
子の真の姿と死者への祈りを知ってもらう機会を失ったことに思いを致し、悲しみを覚え、多大の精神的苦痛を被った。
確かに、著作動機を明らかにする一般的義務はないが、著作動機を偽ることまで許されるはずはない。被告はことさらに、著作動機を偽る発言を繰り返しているのであり、右行為には違法性がある。
被告は、本件訴訟においても、一貫して、原告各著作物を利用したことを否認し、「子 出口なき大地」以外については、閲読の事実すら否認し、「読んでいるとの主張は妄想ともいうべき全くの憶測」とまで主張している。そのため、原告の精神的苦痛はさらに増大している。
(五) 原告の意に反し、実像をゆがめて原告各著作物を利用した違法行為 原告は、
子を実際に体験した者として、 子の事実を伝えるべきとの使命感から、実在の原告の家族や友人のことや、原告の父親が死に至るまで心の中にしまい続けたことなど、プライバシー性が極めて高く、名誉に深く関わる事実までをもあえて公表した。
しかし、被告は、原告の体験や感情などの精神活動を、被告小説の主人公らの心の動きにすり替えて表現して、いわば見せ物として利用し、しかも、女の子を男の子に、実親子を養親子に、
子から出門できなかったのを出門できたようにと、人物設定や場面設定を入れ替えて、実像をゆがめて伝えた。
一般に、私事に属する事柄をあえて公表している場合、公表されているがゆえにどのようにその事柄を利用してもいいという訳ではなく、公表の意図とそのプライバシー性に十分配慮し、心の平穏を不当に乱すことのないよう慎重に取り扱う義務があるところ、被告小説での利用の仕方は、原告の著作の意図に反する方法であることは明らかである。その結果、原告は子を公表したこと自体を後悔するほどの精神的苦痛を被った。
(被告の反論) (一) 右(一)については争う。体験を著作物に表現した場合に、著作物については著作権法による保護が及ぶが、体験それ自体についての法の保護は及ばない。また、原告の悲惨な体験をもとにした著作物が人格と深く結び付いているとしても、一般の著作物と異なる保護を受けることはない。
(二) 右(二)については争う。被告小説は原告各著作物を利用したものではない。
(三) 右(三)ないし(五)については争う。
原告は、被告が被告小説の参考文献に原告各著作物を挙げなかったこと、及び被告小説の著作動機に関して発言をしたことによって、原告が精神的苦痛を被った旨を主張する。
原告の右主張は、被告が被告小説の執筆に先だって、「子 出口なき大地」以外の原告各著作物を閲読し、これが著作動機になっていることを前提にするものであるが、被告は、「子 出口なき大地」以外の原告各著作物を閲読した事実はないので、その主張は前提において成り立ち得ない。
また、主観的な精神的苦痛についての不法行為は、以下のとおり認められない。すなわち、他者の言動により内心の静穏な感情を害された場合、社会通念上その限度を越え、かつ、その侵害の態様、程度が内心の静穏な感情に対する介入として社会的に許容できる限度を超える場合にはじめて、右の利益が法的に保護され、これに対する侵害について不法行為が成立し得ると解すべきところ、原告の主張する不利益の内容は、名誉毀損等のような客観的な損害とは異なり、全くの主観的損害でしかない。
さらに、原告は、被告小説の執筆動機に関する被告の発言を違法と主張するものであるが、執筆動機に関する発言は本来自由な言論活動に属するものであり、徒に制限すべきではない。さらに、被告の右執筆又は発言は、小説という創作自体、又はその著作動機を明らかにするものであり、原告の内心の静穏な感情を害する意図、目的でされたものでないことは明らかである。
7 損害額 (原告の主張) (一) 人格権侵害による損害 原告の精神的苦痛を金銭支払によって慰謝するとした場合、被告小説が一大ベストセラーとなり、テレビドラマ化されたなどという事情や前記6(四)のように被告が虚偽の事実を繰り返し述べて事実関係自体を否認し続けているという事情を勘案すべきであり、そうすると、原告の損害は金五〇〇〇万円を下ることはない。原告は右の内金五〇〇万円を請求する。
(二) 弁護士費用 本件訴訟を追行するに当たり、原告が原告代理人に支払うこととなる弁護士費用のうち、少なくとも金一五〇万円は、被告の不法行為と相当因果関係のある損害であり、被告はこれを原告に支払う義務がある。
(被告の反論) 原告の主張は争う。
8 消滅時効の抗弁 (被告の主張) 被告に著作権侵害があったとする不法行為に基づく損害賠償請求権は、時効により消滅している。
原告は、遅くとも、平成三年七月ころまでには、被告小説の子に関する部分を読んでいた。その上で、原告は、右箇所が「子 出口なき大地」の盗用ではないかとの疑惑を文藝春秋の担当者に述べていた。
したがって、この点を請求原因とする不法行為に関する請求権は、三年後の平成六年七月をもって時効により消滅した。
よって、被告は、右消滅時効を援用する。
(原告の反論) 被告は、現在においても、被告小説を株式会社文藝春秋から出版させているから、日々、原告の有する著作権、著作者人格権を侵害し続けるとともに、原告の人格権を侵害するなどの不法行為を継続している。原告の求める侵害予防処置としての出版の差止めの請求、謝罪広告の請求などについては、当該権利侵害が継続して行われている限り、消滅時効が進行することはあり得ない。
また、原告が被告小説(単行本)を通読したのは、平成八年三月一一日以降である。平成三年六月ころは、原告は被告小説(単行本)のごく一部(第四章の子)の部分を素読しただけである。したがって、原告が被告による著作権及び著作者人格権侵害を知ったのは、平成八年三月ころである。
争点に対する判断
翻案権侵害について 原告は、対照表一ないし四記載の点を指摘して、被告小説は、原告が原告各著作物について有する翻案権(対照表一については複製権及び翻案権)の範囲に含まれる旨主張する。すなわち、
@ 対照表二記載のとおり、ストーリー展開ないし場面展開が同一又は類似であること A 対照表三記載のとおり、起承転結という構成を採用している点で共通し、
かつ、起承転結の具体的な内容が同一又は類似であること B 対照表四記載のとおり、ストーリー全体の流れ、エピソードの取捨選択、
表現手法が同一又は類似であること(四〇か所) C 対照表一記載のとおり、個別的、具体的な記述部分の表現形式及び特徴が同一又は類似であること(五七か所、なお、対照表一においては、複製権侵害も主張している。) 著作者は、著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する(著作権法27条)。右翻案とは、ある作品に接したときに、先行著作物における創作性を有する本質的な特徴部分が共通であることにより、先行著作物の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得させるような作品を制作(創作)する行為をいう。したがって、ある作品が先行著作物に関する翻案権の範囲内に含まれる否かは、@先行著作物における主題の設定、具体的な表現上の特徴、作品の性格、A当該作品における主題の設定、具体的な表現上の特徴、作品の性格、B両者間における、ストーリー展開、背景及び場面の設定、人物設定、描写方法の同一性ないし類似性の程度、類似性を有する部分の分量等を総合勘案して判断するのが相当である。
各対照表において、原告が指摘する部分の翻案権侵害の有無については、以下二ないし五において個別具体的に検討するが、総論的な点を簡潔に述べておく。
第一に、原告各著作物は、概要、昭和二三年(一九四八年)、国民党軍の支配下にあった長春は、中国共産党軍(八路軍)が包囲して兵糧攻めにしたため、市民の多くが飢餓状態に陥ったこと、原告は、当時七歳であったが、長春を脱出する際に国民党軍と八路軍の間に設けられた「子」(チャーズ)において脱出を許されるまでの数日間凄惨な状況の中に置かれたこと、家族らは、かろうじて脱出を果たしたが、原告は、その後、栄養失調の上、結核菌に冒されたことなど戦争下での苛酷な体験を基礎に、歴史的な事実として(フィクションを交えないドキュメンタリーとして)、著作されたものである(詳細は後記認定のとおりである。なお、原告各著作物については、原告の父親に対する鎮魂、敬愛追慕の情などが執筆の動機の一つである等の特別の事情も存在する。)。このようなノンフィクションの性格を有する著作物において、歴史的な事実に関する記述部分について、文章、文体、
用字用語等の上で工夫された創作的な表現形式をそのまま利用することはさておき、記述された歴史的な事実を、創作的な表現形式を変えた上、素材として利用することについてまで、著作者が独占できる(他者の利用を排除することができる。)と解するのは妥当とはいえない。
第二に、被告小説は、日中の歴史を背景に、戦争によって捨てられた子どもである戦争孤児(いわゆる中国残留孤児)を主人公として、孤児と中国養父母との心の交流を軸として、戦火の中でも失われなかった人類愛を描こうとした大河小説である。一般に、作家は、小説を執筆するに当たって、読者に対し、最も効果的に、テーマを伝え、感動を与えることができるよう、ドラマチックなストーリー展開を案出し、各種の登場人物を創出し、人物の性格、思想、行動、人間関係等を設定するなど、知識、経験及び創造力を尽くし、創作的な工夫を凝らして、作品を完成させるものであるといえる。このように創造力を駆使して執筆される小説の性格に照らすならば、例えば、歴史的事実、日常的な事実等を描くような場合に、他者の先行著作物で記述された事実と内容において共通する事実を取り上げたとしても、その事実を、いわば基礎的な素材として、換骨奪胎して利用することは、ある程度広く許容されるものと解するのが妥当である。
そこで、このような観点を踏まえた上で、両者間における、ストーリー展開、背景及び場面の設定、人物設定、描写方法等の類似性の有無、程度を総合勘案して判断することにする。
なお、以下に、翻案権侵害等の有無について判断するが、両作品の全体的な検討から進める方が、より分かりやすいので、対照表二、三、四及び一の順で行う。
二 対照表二関係(翻案権侵害の有無)について 1 原告は、被告小説(単行本)における、主人公陸一心らが長春を脱出して子に向かう場面から 子を脱出するまでの部分(被告小説(単行本)上巻九六頁ないし一二〇頁)が、「子 出口なき大地」における同様の部分(「 子 出口なき大地」一〇二頁ないし一八三頁)と、対照表二記載のとおりストーリー展開ないし場面展開が同じであるから、被告小説の該当部分は、「子 出口なき大地」の該当部分を翻案したものであると主張する。
そこで、両者の該当部分について対比する。
2 両者のあらすじ (一) 証拠(甲二、四)によれば、「子 出口なき大地」一〇二頁ないし一八三頁の第三章「絶望都市・長春」のあらすじは、以下のとおりと認めることができる。
昭和二二年(一九四七年)一〇月、長春市が八路軍により包囲され、長春市への電気、ガス、水道の供給が遮断された。国民党政府から留用されていた原告の父親の製薬工場の機能は完全に麻痺し、工員も技術者も工場から去り、国民党政府も工場から手を引いてしまった。しかし、原告の父親の留用が解除されることはなかった。母親は長春から脱出して日本へ帰ることを望んだが、父親は、八路軍が長春に再入城するという八路軍の隊長との約束を信じて、長春市に留まることにした。しかし、何の動きもなく、食糧の補給基地まですべて遮断されて長春市は放り出されてしまった。
このころ、原告の父親の下には、五家族二三人の日本人が残っていて、
製薬原料の残りを売ったり、工場で薬や酒を作って、これらと物々交換したりして、食糧を確保し、飢えを凌いでいた。
その後、市民への食糧の補給路は完全に断たれ、長春市内の物価は日に日に急騰し、貨幣価値も暴落し、原告らの生活も苦しくなっていった。厳寒の冬が訪れると、空き家を壊して火を焚いて全家族一緒に生活し寒さを凌いだ。原告の父には甥のH(陰で白ネズミと呼ばれていた。)がいたが、白ネズミは以前から原告の父親の工場の物を横流しして私腹を肥やしていた。白ネズミはこのことが露見するのを恐れて、原告らと一緒に生活することを頑なに拒んでいた。
翌昭和二三年(一九四八年)になると、遠くから銃声が聞こえるようになり、原告らは八路軍が長春市内に入城することを期待していたが、旧正月が過ぎても八路軍は長春市に入ってくる気配を見せない。このころ、長春市内では、餓死者が続出するようになっていた。原告も、体が弱まり、以前右肘に受けた銃弾の傷から結核菌が入り込み、血膿が溜まるようになった。また、原告と仲の良かった兄の息子、【E】が亡くなった。原告らもすっかりやせ、腹だけが大きく膨らんでいる状態だった。薬品倉庫の品物も底をついたが、水飴や人工甘味料を寒天にして空腹を凌いだ。しかし、それらの物品も白ネズミの懐へと消えていった。国民党軍も落下傘による補給物資に頼らざるを得なくなる状態で、その食料物資も豊富ではなくなった。原告の家族は、父親の造った酒との物々交換で食糧を得ることは、もはや期待できなくなった。長春市民は、国民党軍が投下した食糧の拾い残しを拾うため、殺到するようになり、生き延びるために何でもしていた状況であった。
国民党軍の中には麻薬中毒者が多くおり、原告らの家に残っていたギフトール(薬品)を求めて食料との交換をしたため、これにより得た食糧で原告らは命をつないだ。交換で得た一つのとうもろこし饅頭を家族ら二二人で分け合ったりもした。家財道具との交換で食糧を得たりしたが、家財道具を求める者がいなくなり、それも困難になっていった。もっとも、城内に行くと事情が異なり、そのころめったに目にすることのない大豆や高粱がわずかながら手に入った。しかし、城内での食糧確保にしても、白ネズミが率先して引き受け、相変わらず手に入れた物資を自分だけの懐に入れていた。やがて、食物がなくなると、身の回りの物を何でも食べた。原告らは老人のようにやせ細って、極度の栄養失調状態に陥り、皮膚には潰瘍ができ、体に虫が付くようになった。
同年五月に、弟、【F】が出生した。
同年初夏になり、草花が芽吹くと、これを摘んで食べるようになったが、長春市民がむさぼり摘んだため、雑草はあっという間になくなった。春楡の葉や樹皮まで食べたが、いよいよ食べる物がなくなると、原告らは横たわったまま、
歌を歌うことで生きていることの証を求め合った。やがて兄も亡くなった。長春市内の興安大路は死の街と化し、倒れた人が放置され、犬が赤ん坊の死体を食べ、人々はその肥えた犬を食べるようになり、原告らも飼い犬を食べた。このころ原告の父親の工場の技術者M氏が亡くなる。城内には人肉市場まで現れるようになる。八路軍の城内への入城が近いとの噂を耳にした原告の父親は、望みをかけて、最後の財産を売って食糧を調達するよう白ネズミに託したが、これも裏切られ、失意の中で、ようやく長春からの脱出を決断する。
父親は、長春市長に会い、長春からの脱出を告げ、多額の餞別と食糧をもらい、長春から脱出することになる。脱出の日取りが決まり、食糧を食べて脱出のための体力をつけていたが、その直後に弟の【F】が死亡し、埋葬して出発せざるを得なくなった。原告らは長春を南下し市街の南西にある洪熙街にある子を通過することになった。原告は、やせ細り、足まで化膿しているため、歩くことも大変であったが、希望の別天地に思えた解放区目指して歩き続けた。途中、白ネズミが態度を豹変させ、原告ら家族を罵倒するといった事態もあった。
子に到着すると、柵の入り口の両脇に露店商が並ぶ光景を目にする。
原告は、ふと、母親が老太々(年取った女性)から聞いた、戦乱の世で生き抜くための中国人の知恵についての話を思い出したりした。また、露店で買い物をしようとして、【F】のお産に立ち会った産婆に出会い、財布を奪われた。
入り口の柵門には国民党軍の哨所があり、ごった返す難民に対する検問が実施されていた。出門の許可は容易に下りたが、ひとたび柵を越えたら、絶対に二度と引き返すことができないとの厳しい条件が付けられた。
原告らが子に入ると、草ひとつ生えておらず、静かであった。先に進むと、原告らは腐乱死体に群がるハエの大群に遭遇する。歩を進めるにつれ、餓死体が増えていった。国民党軍や八路軍の兵士から、荷物検査の名の下に略奪にあった。難民がたむろしている場所に着いたころに、陽は落ち、辺りは薄暗くなり、原告は厳寒の夜外で生まれてはじめての野宿を体験する。原告は、寒さにふるえ、地鳴りの無気味な音で目を覚ますが、父親の温もりに安らぎ、眠りに落ちる。
原告は、翌朝、
子に、見渡す限りの難民の群れと地面に埋まりかけの死体、人の群の間隙を埋め尽くす餓死体、あらゆる物を食べる難民があふれていることに気付いた。原告は、父親から、その場所が国民党軍と八路軍の中間地帯であり、
子は柵が二重になっていることを聞かされる。さらに、解放区への門もなかなか開かないことを日本人女性から聞かされる。
子の中は、まともな飲み水がなく、井戸水も飲めないので、雨水を沸かして飲まざるを得ない。八路軍と国民党軍による鉄条網を挟んでの銃撃戦に遭遇し、それがしばしば起こることを聞かされる。原告は、人気のない、死体の少なそうな場所で用を足そうとすると、地中に埋められたばかりの死体に気付き恐怖心を抱く。死亡した女性の胸から流れる血を乳呑み子がなめる姿に息を呑む。黙々と骨をしゃぶる男に気付き、自分が食い殺されてしまうのではないかとの恐怖を抱いた。また、新入りの難民に対する略奪行為も繰り返された。自分たちもいずれ略奪する立場に回るはずだと、他の難民から告げられる。死体を食べていると思われる光景も目にした。
このような光景を目の当たりにした原告は、信頼していた八路軍がなぜ、門を閉ざして自分たちをこのような目にあわせるのかという疑問を父親にぶつける。父親は、八路軍の隊長が残していった布片を持って日本人を出門させるよう交渉をするが、朝鮮人八路軍からは相手にされなかった。原告は、心の拠り所としていた赤い夕陽を無気味で恐ろしいものと感じるようになっていた。
再び夜になり、原告は、見上げるほどの死体の山に遭遇する。父親は、
この死体の山に祈りを捧げ、弔った(この死体の山を目の前にしたときに原告が見た幻覚が、後まで原告を苦しめることとなる。)。翌朝、八路軍の兵隊が庭掃除でもするかのようにのんびりと熊手のような物で死体を掻き集めていた。
原告の父親は、身分証明書を見せると出門の許可が下りるという話を聞き、ギフトールの特許証と長春市長の署名入りの新京製薬関係者一行の名前が記載された証明書を示して、新京製薬関係者一行の子からの出門の許可を取り付けた。いよいよ、原告ら全員が、許可されて、出門しようとした際に、M氏の遺族である未亡人とその二人の子供は、遺族は技術者ではないことを理由に出門が許されなかった。父親の懇願にもかかわらず、M未亡人とその子供達に出門の許可は与えられず、やむなく、原告ら一行は、彼らを子に置いて出ていかざるを得ないこととなる。
(二) 証拠(甲五)によれば、被告小説(単行本)上巻九六頁ないし一二〇頁、三章「この子売ります」及び四章「々」のあらすじは、以下のとおりと認められる。
八路軍による長春包囲網は日ごとに縮まり、空港が占拠された日を境にして、長春の情勢は一変し、物資が搬入できず、近郊に頼っていた糧道が断たれ、
長春市内の国府軍及び市民は兵糧攻めにあうこととなる。食糧不足が深刻化し、長春市内にある陸一心の家でも、一日一個のとうもろこし饅頭を家族で分け合って食べられればいいほどの状況になる。このころから、国府軍による略奪行為が繰り返されるようになり、陸一家も襲われる。物価は急騰し、貨幣価値は暴落した。陸徳志は煙草を作って、一心とともに売って得た金で食糧を入手した。痩せ細り腹部だけが膨らんだ兵隊が、陸一心らの煙草を一本買って吸うが、空腹のあまり息絶えてしまうということがあった。その際、陸一心は、離れ離れになった実妹のあつ子のお守袋を拾う。
間もなく、兵糧攻めを受けている国府軍に対して、飛行機での食糧投下が始まり、麻袋に詰めた米が投下された。市民は、民家に流れ落ちてきた麻袋に群がり、一掴みでも多く取ろうと争い、陸一心もその中にもぐり込んで米を拾い持ち帰ることがあった。陸夫婦らも取りに出かけるが、取れないことが多く、そのような時は、楡の葉や野草を採り、高粱酒の搾り滓と混ぜてふかし饅頭にして食べて、
命を永らえた。
八月になると、大半の市民が長春から脱出し、空き家の窓枠、扉、天井の張り板は取り去られて日干し煉瓦の壁だけが残った家が多くなり、長春は荒涼とした死の町のようになった。食糧投下もない日も多くなり、水だけの生活になった。陸一家も寝たきりで、交互に声をかけ合って起こさないと、そのまま死に至るような状況であった。ようやく、陸徳志が、長春を脱出し范家屯へ行くことを決意し、妻の淑琴も安堵する。そして、淑琴が脱出に備えて、食糧を少しずつ蓄え、出発の準備を整えていたことが分かる。八月一七日の仲秋節に子の門が開くことが多いという噂を耳にしていた陸徳志は、その日の開門に賭けて出発を決める。ところが、陸一心は、長春を出ると、実妹のあつ子と一生離れ離れになり、一緒に日本へ帰れなくなってしまうため、長春に一人残ると告げる。人さらいから救い出し、
これまで我が子同然に寝食を共にしてきた陸一心の言葉に、陸徳志は言葉を跡切らせた。(三章「この子売ります」) 陸一家は出発し、長春の町を南下したものの、なお、陸一心は、長春に留まることについての気持ちを変えようとしなかった。陸一心は、
子まで陸夫婦の荷物と飲み水を持って見送りに行くつもりはあるが、夫婦と一緒に脱出する気持ちにはなれなかった。日本人の元住宅地にさしかかると中国人が移り住んでおり、
日本人はすべて日本に引き揚げていたことが明らかになる。陸徳志は陸一心に対し、民は、戦乱の世には逃げまどうことになるが、平時になればまた戻って来ることができる、長い目でものを見ないと日本へ帰ることはできないと強く言い聞かせ、陸一心を連れて子へ入ることにする。
市の南西のはずれ、洪熙街に着くと、家財道具一式を担いだやせ細った人々の長い列ができ、その先へ進むと国府軍の兵隊が通行者を検問している場所(子)に差し掛かった。陸一家も検問を受け、一家三人で通行することの許可を受ける。一心も同行し、陸一家は子に足を踏み入れる。そこは、国府軍も八路軍も手出しをしない真空地帯であり、農民も手を掛けないため、荒れ地となっていた。
想像を超える多くの人々が子から出られず、長期間にわたり滞留していた。真空地帯のすぐ向こうには解放区があるのに、なぜ、八路軍が子を通してくれないのか、一心は疑問を感じた。
陸徳志が解放区側の子の開門状況を探りにいこうとすると、三、四人の男達に襲われ、食糧を奪い取られる。傍にいた男らから、
子では他人の物を奪わない限り生きていけないと告げられ、さらに一緒に強奪をしないかと持ちかけられた。陸徳志は、自分は教師であるとして頑としてこれを拒絶したものの、真空地帯に入って早々、衝撃を受ける。
やがて、激しい雷雨が降る。雨が上がり、陸一家が雨に濡れた服を乾かそうとすると、雨に流されて地面から現れた死体に触れ、これを目の当たりにして驚愕し、恐怖心を抱く。夜は、ものすごい数の蚊が生き血を吸おうとした。陸一心は、妹の無事を祈りつつ、陸夫婦の暖かい体の間で眠りに落ちる。
翌朝、陸一家は草を採り、これを煮て食べた。腐乱死体が積まれ、蠅が真っ黒にたかっている死体の小山を見つけた。その山は、八路軍の兵隊が整理しているように思われた。一心は、これほどの餓死者を出しながら、なぜ、毛沢東という偉い人がおり、人民解放軍と称される八路軍が解放区への門を開けて人民を救わないのか疑問を抱く。二日後の朝、開門するというデマに振り回され、体力を消耗し自滅する人の群を見かける。これにより、行き倒れの死体が増え、幼児の死体は早々に持ち去られた。食べる草さえもなく、陸一心は空腹のため、顔にまで皺ができるようになる。三日目になると、陸徳志は、新入りの難民を襲い、食糧を奪い取り、陸一家はようやく真空地帯に入ってはじめて食べ物らしい食べ物にありついた。それから、日が経ち、仲秋節も近くなるが、
子が開く気配はまったくない。
そのころには、匪賊が弱った男を殺して、鍋で煮て食する光景に出くわす。また、
陸一心も他の者から命を狙われそうになる。
仲秋節になり、ようやく子が開門することになる。陸一家は、八路軍側の子で検問を受け、出門しようとするが、検問の際、陸一心が中国人ではなく、日本人の子供であることが兵隊に露見しそうになり、疑いをかけられ出門を妨げられそうになる。陸徳志の、自分が子の中に残る代わりに、息子を出門させてほしいとの痛切な訴えを受け、兵隊の上級者らしい者が、陸徳志の行為は、共産党と解放軍の基本精神に沿ったものであるとして、ようやく一心の出門が許可される。一心はこのときはじめて、陸徳志のことを「々」と呼ぶことになる。(四章「 々」) 3 両者の比較 (一) ストーリー展開の異同 両者は、八路軍(共産党軍)による長春包囲下での長春の惨状の下、食糧が欠乏する中で、原告ないし主人公ら一家がなんとか命をつないでいくが、数々の局面を経た後ようやく長春脱出を決意し、その脱出行の過程で子に入り、
子内の惨状に直面し過酷な体験をするが、ようやく 子から脱出するという大まかな筋において、共通又は類似する。
他方、両者は、ストーリー展開において、次のような点において、大きく相違する。
すなわち、「子 出口なき大地」では、長春包囲網下での惨状に直面した原告らが、絶望都市である長春から脱出し、父親を中心として家族で助け合いながら苦難を乗り越えて、希望あふれる解放区へ向かうこと、それにもかかわらず、一行全員が子から出ることができず、技術者Mの遺族は脱出できなかったという悲劇的な結末を迎えたことなどが記述され、この事実が原告の父親を臨終の際まで苦しめたという、原告の父親及び原告の気持ちが表されている。これに対し、
被告小説では、長春脱出を望む主人公の養親夫婦に対し、主人公である陸一心は、
実妹であるあつ子と再会して共に日本に帰ることに望みをつなぎ、一人長春に留まろうとすること、陸夫婦に対して、依然として親であるとの思いを抱けないまま同行するが、
子の中での苦難を共にし、 子からの出門の際、自分の身と引き替えに陸一心を子の外へ出そうとする陸徳志の行為に、心を衝かれ、はじめて陸徳志のことを「?々」と呼ぶというストーリーが記述されている。 両者は、原告ないし主人公の置かれた立場や気持ち、これを巡る人間関係、これらに対応する具体的なストーリー展開などにおいて、大きく相違する。
(二) その他、背景及び場面設定、人物設定、描写方法等の相違点 「子 出口なき大地」と被告小説とは、次のような点で相違する。すなわち、
@ 前者においては、原告らが長春に留まったのは、原告の父親が国民党政府から留用されていたためと八路軍の隊長が再度入城するとした約束を信じていたためであるが、被告小説にはそのような理由は示されていない。
A 前者と後者では、食糧難の長春で食糧を得るための具体的方法が異なる。
B 前者においては、原告が結核菌に冒されるが、後者においては、主人公に対し、そのような状況設定がされていない。
C 前者においては、一緒に暮らす家族の中に、私腹を肥やすなどずる賢く立ち回る身内がいるが、後者においては、そのような人物設定がされていない。
D 前者においては、原告の父が長春脱出を決意すると、原告ら全員は長春からの脱出を望むが、後者においては、養父が長春脱出を決断した後も、陸一心が一人長春に留まることを望むという状況設定がされている。
E 前者においては、弟の【F】の出生とその死亡、兄の死亡などの事実があるが、後者においては、主人公の兄弟の死という場面を設けてない。
F 前者においては、飢餓状態の下、犬が赤ん坊の死体を食べたり、原告らも犬を食べたりするような場面が記述されているが、後者においては、そのような場面設定はない。
G 前者においては、長春から脱出するに当たって、父親が長春市長に会って長春からの脱出を告げ、多額の餞別と食糧をもらったということが記述されているが、後者では、脱出に備えて母が隠れて食糧を蓄えていたという異なる設定がされている。
H 前者においては、原告らが、
子に到着した際、柵の入り口の両脇に立ち並ぶ露店で、買い物をしようとしたところ、【F】のお産に立ち会った産婆に出会い、財布を奪われたことが描写されているが、後者においては、それに類した場面設定は存在しない。
I 前者においては、
子の中で、匪賊が弱った男を殺して、食べるという凄惨な情景は描写されていない(伺わせる描写はされている)が、後者においては、人を殺して鍋で煮て食べる光景を描写している。
J 前者においては、原告は、八路軍に信頼を寄せていたこと、それにもかかわらず、門を閉ざして自分たちを苛酷な目にあわせるのかという疑問を父親に投げかける記述がされているが、後者においては、主人公は、八路軍に対する特別の気持ちはなく、単に、人民解放軍との旗印を掲げている八路軍がなぜ、
子の門を閉ざしたままで、人民を解放しないのかとの疑問を抱くだけの記述がされている。
K 前者においては、原告の父親が死体の山に祈りを捧げ、弔ったこと、
原告が見た幻覚がその後も原告を苦しめたこと、死体の山を見たという体験が、後の原告の人生にとって影響を与えたことが記述されているが、後者において、死体の山に対して、特別の意味付けがされていない。
L 前者においては、
子から出門する際、父親の懇願にもかかわらず、
M氏の遺族が出門を許されなかったこと、これが後に原告の父親を臨終の際まで苦しめたことが表現されているが、後者においては、主人公の家族全員が子から脱出でき、その脱出の際に、自分の身と引き替えに一心を子から出そうとする養父の献身的な愛とこれを受けて主人公がはじめて養父を父親(々)と呼ぶことが記述されている。
M 前者においては、原告らが、難民から食料を略奪されたことは記述されていないが、後者においては、主人公一家が子の中で食糧を略奪されたことが記述されている。
N 前者においては、
子の開門に関する流言は記述されていないが、後者においては、主人公らが、
子の門が開くというデマに振り回されて体力を消耗し自滅する人の群を見かけたという場面が設けられている。
(三) 小括 以上のとおり、「子 出口なき大地」と被告小説とは、原告及び主人公が、脱出行の過程で子に入り、 子内の惨状に直面し過酷な体験をするが、
ようやく子から脱出するという大まかな筋において、共通又は類似するが、当時長春に残った者が長春包囲の下での惨状に直面し、脱出行の過程で子に入り、過酷な体験をするということは、体験者に共通したいわば一つの歴史的事実ともいうべきもので、その歴史的事実に沿った範囲内で基本的あらすじが類似しているからといって、そのことだけで、「子 出口なき大地」の創作性を有する本質的特徴部分を感得するほどに共通していると解することはできない。かえって、「子 出口なき大地」と被告小説とは、前記(一)及び(二)に記載したとおりの、ストーリー展開、背景及び場面の設定、人物設定、描写方法等の相違点があることを総合勘案すると、被告小説中の該当部分は、「子 出口なき大地」中の該当部分を翻案したものということはできない。
これに対して、原告は、対照表二記載のとおり、両者のストーリー展開に関して類似、共通する要素があることを指摘する。しかし、右対照表は、@個々のエピソードの順序が異なるにもかかわらず同一順序であると指摘している点(1項のとおり)、A順序を入れ替えた上で、同一順序であると指摘している点(上段25項と下段1項、上段1項qと下段6〜7項など)、B途中を省略した上で共通であると指摘している点(下段7項、10項、14項)などもみられること、前記のとおり、ストーリー展開に関しては相違する要素が存在すること、後記五のとおり、個別表現において類似性に乏しいことなどに照らすならば、右対照表二の指摘をもってしても、なお、前記の認定を左右することはできない。
4 以上によれば、依拠性の点を検討するまでもなく、対照表二に関する翻案権侵害は成立しない。
三 対照表三関係(翻案権侵害の成否)について 1 原告は、「子 出口なき大地」の六二頁三行ないし六三頁一七行(以上、第一章「赤いガラス玉」)、一六〇頁一行ないし終わりから二行、一六二頁七行ないし一一行(以上、第三章「絶望都市・長春」)において、原告が子における出来事を描写するに際し、「なぜ、その八路軍が」という苦しい葛藤をし、その疑問を父親に投げかけたという記述を、起承転結という構成を採用して表現したところ、被告小説(単行本)(上巻九四頁七行ないし九五頁一三行、一〇九頁終わりから二行ないし最終行、一一二頁終わりから三行ないし一一三頁八行)においても同一又は類似の構成が用いられて表現されている点において、被告小説の該当部分は、「子 出口なき大地」の該当部分を翻案したものであると主張する。
そこで、両者の該当部分について対比する。
2 両者の記述 (一) 証拠(甲二、四)によれば、「 子 出口なき大地」における原告記述部分の概要は、以下のとおりと認められる。
原告宅に八路軍の【G】という名の若い兵士が常駐するようになった。
【G】は、日本語を上手に話し、原告と親交を深めるようになった。原告は、
【G】から、共産党の赤い旗の色が、中国解放戦で血を流した人民の血の色であり、今回の戦いで血を流した原告も同志であると告げられる。また、原告と同じく赤い夕陽が好きで、夕陽を受けながら、美しい口笛を吹いて原告に聞かせてくれた【G】を仲間であると実感するようになった。しかし、夕陽が自分一人のものではなくなっていくような気がした(「起」部分、「子 出口なき大地」六二頁三行ないし六三頁七行)。
また、【G】は、原告に対して、太陽は中国共産党であり偉大な毛沢東同志であり、輝いて、自分たちを幸せにしてくれると告げた(「承」部分、「子 出口なき大地」六三頁八ないし一〇行)。
そして、原告は、【G】から「毛沢東、知ってるか」と聞かれるが、原告はそんな名前は聞いたこともない。原告は、【G】から毛沢東は太陽であると言われたことに対し、太陽は原告だけの夕陽であり、ガラス玉であり、自分一人の世界でなければならない、その中に毛沢東という知らない小父さんが入ってはならないと考え、また、原告は、太陽をガラス玉に見立てて、その向こうに未来を見ていたところ、自分の未来に不安な陰りが射しはじめたように感じた(「転」部分、「子 出口なき大地」六三頁一〇行ないし一七行)。
原告は、
子に入るまでは、八路軍が長春を包囲して食糧攻めにしていることは信じず、国民党のデマだと考えていた。しかし、
子の柵門を固く閉ざし、
子の中の惨状を引き起こしているのは、現に八路軍であると認識する。人民のために戦っていると【G】から聞かされていた八路軍が、今、
子の門を閉ざすことで、多くの人民を殺している。そこで、原告は、父親に、どうして八路軍が門を開けてくれないのかとの疑問を投げかける。そして、
子の惨状を目の当たりにした原告は、あの夕陽はもう、私の赤いガラス玉なんかじゃない、【G】さんはウソつき、人民を殺す人たちの仲間にはなりたくないと思った(「結」の部分、「子 出口なき大地」一六〇頁一行ないし終わりから二行、一六二頁七行ないし一一行)。
(二) 証拠(甲五)によれば、被告小説(単行本)における被告記述部分の概要は、以下のとおりと認められる。
陸一心は、学校の帰り道で、友人から、八路軍が入ってくると、百姓と乞食以外は皆殺しにされるとの話を聞いてぞっとする。友人と別れた後で、八路軍の捕虜が国府軍の兵隊によって処刑される場に遭遇した。八路軍の捕虜は、「毛主席万歳!」と言って絶命した(「起」の部分、上巻九四頁七行ないし九五頁三行)。
陸一心は、死を前にして、「毛主席万歳!」と叫んだ男の死に際の様子が忘れられなかった。陸一心は、
子の中で、腐乱死体が積まれた山を見かけた際、以前学校の帰りに八路軍の捕虜が「毛主席万歳!」と叫んで処刑されたことを思い出す。解放区には、そのように敬われている、毛沢東という偉い人がいることを想起する(「承」の部分、前段は、上巻九五頁四行ないし五行、後段は同巻一一三頁二行ないし六行)。
八路軍捕虜の処刑を見て帰宅した後、陸一心は、その出来事を陸徳志に話し、「毛主席って、どんな人?」と尋ねるが、母親の淑琴から、「二度と、その言葉を口にしてはいけませんよ、私たちもあらぬ疑いをかけられ、処刑されます」ときつい口調で言われる(「転」の部分、上巻九五頁六行ないし一三行)。
陸一心は、
子の中で餓死者が多数出ている様子を目の当たりにし、
「あんなに近くに解放区があるのに、なぜ、八路軍はすぐ通してくれないの」かという疑問を投げかける。また、陸一心は、以前学校帰りに公園で八路軍の兵隊が処刑されたことを思い出し、若い兵士から敬われている毛沢東という偉い人がおり、
人民解放軍と称している八路軍が、
子の門を開いて、人民を救ってくれないのか不思議で理解できなかった(「結」の部分、上巻一〇九頁終わりから二行ないし最終行、同巻一一二頁終わりから三行ないし一一三頁八行)。
3 両者の比較 (一) 右認定したように、原告記述部分と被告記述部分では、八路軍を意識するようになった契機、原告ないし主人公が八路軍に対して有した信頼ないし親密さの程度、その否定的評価、 子を脱出する状況などにおいて、大きく相違する。
すなわち、原告著作物においては、原告は、八路軍の兵士との交流を通じて八路軍に対して信頼を寄せていたこと、
子の経験を通して、 子の柵門を固く閉ざし、
子の中の惨状を引き起こしているのは八路軍であるという現実を認識して、原告の八路軍に対する信頼が大きく変わったこと、八路軍と自分を切り離そうとすること、さらに、対照表で指摘された部分の後に、八路軍が、
子の脱出の場面で技術者の遺族を残して、外に出さないという仕打ちをすること等が記述されている。これに対し、被告記述部分においては、主人公は、八路軍の兵士が「毛主席万歳!」と言いながら処刑された様子を見たこと、八路軍に対して格別の信頼感を持つことがなかったこと、主人公は子の中で、八路軍がどうして助けてくれないのかという単純な疑問を抱くだけであって、八路軍に対して、信頼を裏切られたというような格別の感情を持っていないこと、対照表で指摘された部分の後に、主人公らが子を脱出する場面では、原告各著作物とは逆に八路軍の人道的な判断により助けられること等が記述されている。
このように、原告記述部分と被告記述部分とは、起承転結を構成する具体的な要素同士を比較検討してみても、全体として類似していないというべきである。したがって、被告記述部分から原告記述部分の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することができないと解され、原告記述部分を翻案したものといえない。
(二) これに対して、原告は、対照表三記載のとおり、原告記述部分と被告記述部分は、起承転結を構成する抽象的な視点、すなわち、偉大な革命のために人民が血を流すエピソードに言及して話を起こす(起)、そこから、「偉大な毛沢東」を引き出す(承)、その後、偉大なはずの毛沢東に対し、「毛沢東、知ってるか?」という会話体による疑問を反転として、その人物に対し必ずしも肯定的なイメージを抱かない状況へと展開させる(転)、最後にそれを受ける形で、
子の中で、八路軍が「どうして、あの門を開けてくれないの?」と父親に質問することによって疑問を投げかけるという形で結ぶ(結)、という視点が共通すると指摘する。しかし、長春市内から脱出しようとしている人々が、
子に入った後、八路軍が門をなかなか開けようとせず、
子内で多数の死者が出ていることについて八路軍側に対する不満あるいは疑問が生じるのも自然の成り行きであることに照らすならば、そのような視点で文章構成がされたことに創作性があるとまではいえず、この点についての原告の主張は採用できない。
4 以上によれば、依拠性の点を検討するまでもなく、対照表三に関する翻案権侵害は成立しない。
四 対照表四関係(翻案権侵害の成否)について 1 原告は、被告記述部分のストーリーの全体の流れ、エピソードの取捨選択、表現手法(ただし、日中合弁事業や政権抗争を除いた部分)が四〇か所において、「不条理のかなた」、「子 出口なき大地」及び「続 子 失われた時を求めて」(「子」上巻及び下巻)と同一又は類似であるとして、被告小説の該当部分は、原告各著作物の該当部分を翻案したものであると主張する。
なお、対照表四における原告各記述部分は、一連の文章ではなく、原告各著作物から、別個独立した文章を抜粋した上、つなげたものである。そこで、原告指摘のストーリー全体の流れなどの同一性類似性を検討するに際しては、「不条理のかなた」、「子 出口なき大地」、「続 子 失われた時を求めて」(あるいは「子」上巻及び下巻)それぞれのストーリー全体の流れ等と被告小説のストーリー全体の流れとを対比して検討することとする。
2 ストーリー全体の流れ等 (一) 「不条理のかなた」のストーリー全体の流れ等 証拠(甲一)によれば、原告記述部分「不条理のかなた」のストーリーの概略は、以下のとおりと認められる。
原告の父親は旧満州新京(現在の長春市)に製薬会社(新京製薬)を経営していた。そのため、原告は、日中戦争終了に続いて、中国本土での国共内戦、
中国解放という歴史的流れに巻き込まれた。長春市街では国民党軍と八路軍との間で激しい市街戦が繰り広げられるようになり、原告は右腕に被弾し重傷を負うことになる。国民党軍が長春を支配するようになった以降、昭和二二年(一九四七年)から八路軍による長春包囲が敢行されるが、原告の父親が国民党政府から留用されていたため、原告らは長春に留まることを余儀なくされる。長春に留まった原告らは、食糧難の下で飢餓にあえぐことになり、家族らでこれを乗り切ろうとするが、
原告の甥っ子、原告の兄や原告の弟の【F】が相次いで死亡する。原告自身も、被弾した部位から結核菌が侵入し、極度の栄養失調がたたって体が衰弱していく。長春に留まる決心を容易に変えようとしなかった原告の父親は、食糧も尽きたことや、その甥の白ネズミの裏切り行為により、ようやく長春脱出を決意する。原告ら一行は、長春脱出行の過程で子に入り数日間留まらざるを得ず、惨状に直面するが、父親が製造していたギフトールの特許証のおかげで、出門を許可されるが、一行のうち、亡くなった技術者Mの遺族は出門を拒まれるという悲劇に遭う。この出来事が原告の父親を臨終の際まで苦しめることとなる。
子を後にした原告らは、吉林へ向けての苦しい難民行を続ける。その過程で、原告ら一行は、激しい下痢症状に襲われ、命を落としかけるが、かつて新京製薬にいた孤児の【H】に救われる。さらに、延吉に到るが、到着と同時に、原告は意識を失い、以後長期間にわたり記憶喪失が続く。原告の結核症状は進行するが、父親が月賦で購入したストレプトマイシンの投与により、ようやく快方に向かう。原告が外出できるまでに回復したころ、毛沢東が中華人民共和国成立を宣言した。このころの原告は、
子に関する記憶を喪失していた。
朝鮮戦争が勃発すると、その戦火が延吉に及ぶおそれがあったため、原告一家は天津へと向かう。天津において、原告は学校へ通い、毛沢東思想教育の洗礼を受けるが、日本帝国主義や日本軍に対する中国国民の感情を知り、また、自らも「日本鬼子!」と揶揄されることで、次第に日本民族であることの劣等感を抱き、日本を恨む気持ちを持つようになる。他方、毛沢東思想教育を受けて、次第に中国共産党へのあこがれを抱くようになり、共産党員の子供版である少年先鋒隊への入隊を望むなど、希望も抱くようになる。
しかし、このころ、原告は結核による後遺症で自分の身に障害が残っているという現実に直面する。また、幻覚症状に苦しめられるとともに、日本軍の戦時下の残虐な行為などを知るにつれ、これらとオーバーラップして子での記憶がよみがえる。原告は、日本が中国に残したこと、中国が原告に残した子という爪跡を背負って生きていかなければならないのではないかと考える。一九五三年九月に原告ら一家は、日本へと引き揚げる。
原告は、
子を明らかにすることによって、大地に倒れていった多くの人の救いのない魂へのせめてもの鎮魂歌としたかったと述懐する。悠久の時の流れにあって、原告の存在など、ほんの一瞬の幻影にすぎないかもしれないが、不条理を足場として歩んでいくしかなかった原告の足跡は、時の流れの一瞬の中にくっきりと焼き付いているはずであると結んでいる。
(二) 「子 出口なき大地」(「 子上巻」を含む。以下同じ。)のストーリー全体の流れ等 証拠(甲二ないし四)及び弁論の全趣旨によれば、「子 出口なき大地」のストーリーの概略は、以下のとおりと認められる。
「子 出口なき大地」においては、教科書問題から話を起こし、これとのからみで、以後の話を展開している。そして、終戦直前、満州国政府が揺らぎ始め、関東軍軍部首脳が司令部を引き払ってしまう様子、長春での国共内線が始まる前のソ連軍の侵攻と原告一家がソ連軍の略奪に遭う様子を描写した後、八路軍による長春包囲、
子の通過、延吉までを「不条理のかなた」の同記載部分とほぼ同様に表現している。さらに、延吉での共産主義思想の影響下で、原告の家族らが批判にさらされる様子、
子で離れ離れになったMの遺族のその後、延吉での原告の小学校生活や私生活の状況などが付加されて記述されている。
また、原告は、長い間、
子と向き合うことができずにいたが、これは、原告が中国で生まれ育ち、毛沢東思想教育を受ける中で、中国に対し自分の故里として愛着を持っていたため、その汚点を告発することに耐えられなかったからであるとともに、原告自身、
子の記憶を蘇らせるという苦痛に果たして耐えられるのかという疑問を抱いていたからである。原告は、これらを克服し、
子の記憶をたどり、その事実を明らかにしていくことを決意し、関係者や資料に接しながら、
子にまつわる事実を明らかにしていく過程がエピソードを交じえて記述されている。
さらに、原告は子について調査し、記憶を蘇らせる作業を経て、最終的に、長春が包囲され、八路軍が子の門を開けなかったことによって、 子の中で、数多くの人々が、人間としてあってはならない極限状態にまで追い込まれて餓死していったという歴史的事実を確認するが、結局、原告は、そのことについては、正当化する根拠も、歴史的意義も見い出せない。それゆえ、原告は、自分が失われた記憶をたどりながら、結局、
子、そしてその存在した中国という出口のない大地の中に迷い込んでしまったのではないか、と自問する形で結び、「続 子 失われた時を求めて」への布石としている。
(三) 「続 子 失われた時を求めて」(「 子下巻」を含む。以下同じ。)のストーリー全体の流れ等 前掲各証拠によれば、「続 子 失われた時を求めて」のストーリーの概略は、以下のとおりと認められる。
「続 子 失われた時を求めて」においては、延吉以降の原告の体験が描かれており、その内容は「不条理のかなた」の同記載部分とほぼ同様であるが、さらに、以下の記述がされている。
すなわち、原告は、延吉が好きになれず、通過駅としてやり過ごしてしまいたいとの思いを抱いていた。しかし、
子を描き出すことにより、 子により一人の人間の心が深く蝕まれ、戦後どれだけの時間が経とうとも癒されることがなく、失ったものはもう二度と戻ってこないという事実を記述するためには、延吉以降を描かなければならないとの思いを表明する。そして、原告が、過去に延吉に関わったことのある人物と接する過程で、延吉にまつわる失われた記憶を取り戻していく過程をエピソードを交えて描きながら、延吉での出来事などを紹介している。これらの作業を通じて、原告の命は延吉によって救われ、延吉がなければ今日の原告はなかったのだということに気付かされ、延吉を描いたことに意義を見出したということで話を結んでいる。
さらに、「子下巻」では、右に「天津編」が加えられており、その具体的なあらすじは「不条理のかなた」の同記載部分とほぼ同様であるが、原告は次第に幻覚症状に苦しめられるようになり、ついには入水自殺を図ろうとしたことなどが付加して記述されている。
(四) 被告小説のストーリー全体の流れ 証拠(甲五)によれば、被告小説のストーリー全体の概略は、以下のとおりと認められる。
主人公は、日本人として生まれた。
主人公は、祖父、母、妹らとともに戦前日本人開拓村で成長した(当時、実父は、現地召集されていて彼らと離ればなれになっていた。)。主人公らは、ソ連軍の侵攻を受け避難するが、その途中で飢えやソ連軍による虐殺で、妹のあつ子以外の身内を失う。そして、主人公は、虐殺に遭遇したショックで記憶を喪失してしまう。主人公とあつ子はそれぞれ、別の中国人に拾われて、離ればなれになる。
主人公は、いったんは中国人のもとで育てられるが、虐待と酷使に耐えられず逃げ出す。その途中、新京(長春)で人さらいに捕まり、人身売買にかけられることになるが、その場を通りかかった陸徳志に助けられる。陸徳志に、陸一心と名付けられ、以後、陸徳志及びその妻淑琴の養子としてその慈愛の下で育てられる。
日中戦争後、国共内戦が始まり、八路軍が国府軍の支配する長春を包囲したため、長春市内は食糧難に見舞われ飢餓状況に陥り、長春市内に住んでいた陸一家は長春を脱出するが、脱出行の途中で子に入り、苦難に遭遇し、これを乗り越えようやく出門する。その際、陸一心が日本人の子供であることが兵隊に露見しそうになり、出門を妨げられそうになるが、身代わりになろうとする父親の献身的な行動により、出門することができ、これにより真の父子の絆が生まれる。
陸一心は、日本人であるという出自のために数々の苦難に遭うが、陸夫婦の温かい愛情の下、これらの苦難を乗り越えて大連工業大学に進学する。やがて技術者となるが、文化大革命の最中、日本人であるために冤罪で労働改造所に送られる。労働改造所でも数々の苦難に遭うが、将来妻となる江月梅と知り合う。陸一心が労働改造所にいると江月梅からの知らせを受けた陸徳志の献身的な働きによって陸一心は無事生還し、陸徳志との再会を果たすとともに、江月梅と結婚し、一人娘を儲けた。
陸一心は、日中合弁の製鉄所建設のプロジェクトに関与することになる。プロジェクトには日本側の実務責任者として、陸一心の実父が参加するが、陸一心と実父は、互いの境遇を知らぬまま、衝突、対決する。一方で、生き別れとなった実妹のあつ子と三〇年以上を経て再会する。中国人の妻となっていたあつ子は、自らの生い立ちも知らぬまま、牛馬の如く酷使されて不幸な境遇の中にあった上、結核にも冒されていて、陸一心との再会後程なく死亡する。陸一心は、あつ子のもとを訪ねてきた実父と偶然出会い、実の親子であるということを知る。日中合弁の製鉄所建設の過程で、陸一心は、実父との関係や自分が日本人であるということにより、様々な困難に巻き込まれるが、これらを乗り越え、ようやく日中合弁の製鉄所完成にこぎつける。その過程で、実父の自分に対する思い、愛も知ることになる。一心は、実父から一緒に日本で暮らすことを持ちかけられ、日本の実父と中国の養父のどちらと生きていくべきかについて心が揺れたが、最後には自分は「大地の子」として中国に残って生きていくことを決断する(さらに、中国における政権抗争がからめられている。)。
3 両者の比較 (一) 右認定したように、原告各著作物と被告小説は、全体として同一又は類似しているとはいえない。
すなわち、原告各著作物は、日中戦争終了後も、中国に留まらざるを得なかった日本人である原告及びその家族らが、
子という過酷な体験をしたことを描くとともに、その後どのような思いで子と向かい合い、どのような人生をたどっていったかを赤裸々に綴ったドキュメンタリーである。
他方、被告小説は、中国残留孤児である主人公が、中国人の養父母の慈愛の下に中国人として育てられるが、文化大革命の煽りを受け、新生中国の中で日本人という出自のために様々な困難に遭い、他方で、実妹及び日本人である実父と再会し、その実父の愛と養父の愛との間に揺れ動きながらも、最後は中国の人として中国に残ることを描いた大河小説である。
両者は、ストーリー全体の流れ、エピソードの選択、表現方法、背景及び場面設定、登場人物の設定等において、多くの相違点が存在し、全体として類似しているとはいえないというべきである。したがって、被告小説から原告各著作物の創作性を有する本質的な特徴部分を感得することはできないと解され、原告各著作物を翻案したものといえない(なお、被告小説における中国の政権交代や日中合弁事業の該当部分を、対比から除外したとしても、それ以外の部分のストーリー全体の流れ等が大きく相違するので、類似しているということはできない。)。
(二) これに対して、原告は、対照表四記載のとおり、「不条理のかなた」、「子 出口なき大地」、「続 子 失われた時を求めて」から四〇の要素を抜き出して、それらと被告小説における対応する要素との間の共通性がある旨主張する。
しかし、原告が指摘する事項は、@全体の主たる流れとは必ずしも関係しない要素を指摘するにすぎないもの(4項、5項、20項ないし22項、24項、27項、29項)、A原告が同一又は類似すると指摘する要素は、具体的場面、状況、表現全体に照らして、類似していないと判断されるもの(1項、2項、6項ないし18項、23項、25項、30項ないし37項、39項、40項)、B単に類似した用字、用語が選択されているにすぎないもの(19項、26項、38項)、C歴史的事実が取り上げられているため、似通った記述になったもの(3項、28項)があることに照らすならば、原告の指摘は、両者は全体としての基本的なストーリー等において多く相違しているとの前記の認定に消長を来たすものとはいえない。なお、原告の指摘する要素6項、11項ないし15項、17項(対照表一に対応)、15項(対照表三にも対応)については、既に一及び三で判断したとおりである。この点の原告の主張は採用できない。
4 以上によれば、依拠性の点を検討するまでもなく、対照表四に関する翻案権侵害は成立しない。
五 対照表一関係(複製権翻案権侵害の有無)について 1 原告は、対照表一記載のとおり、合計五七か所を指摘して、(一)被告小説(被告記述部分)は、@原告各著作物中の具体的表現が、そのまま、あるいは、言い換えられながら、多数利用され、A原告各著作物中の具体的な情景や登場人物の具体的動作などの描写が、同一の着眼点、同一の視点から、同一の順序で、記述されているので、原告各著作物(原告記述部分)を複製した、(二)被告小説は、原告各著作物において、個性的に表現された具体的な情景や登場人物の具体的動作などの描写が、内容を変えることなく記述されているので、原告各著作物(原告記述部分)を翻案した旨主張する。
そこで、以下、各項毎に、個別に検討する。
2 まず、原告各著作物の創作性について述べる。
原告各著作物は、原告の体験した事実や歴史的事実を基礎に記述された読み物である。自ら体験した事実や歴史的事実に関する記述部分であっても、どのような事実を取捨選択するか、また、どのように表現するかについては、様々な方法があり得るから、表現上の創意工夫の発揮される表現が用いられている限り、原則として、創作性が認められることはいうまでもない。
ところで、対照表一における原告記述部分(上段)については、一部分の複製権侵害ないし翻案権侵害を主張するため、@原告各著作物の中で、極く短い文章部分のみを抜粋して掲記している例や、A対比の便宜上、別個独立した複数の文章を結合させた例がみられる。このような例において、極く短い文章や、表現形式に制約があって、およそ他の表現が想定できない文章や、平凡かつありふれた表現からなる文章である場合には、筆者の個性が現れているとはいえないものとして、
例外的に創作性を否定すべきと解される。
なお、例外的に、創作性を否定すべき部分については、個別的に判断した(創作性がある部分は、格別の判断を示していない場合がある。)。
3 原告各著作物と被告小説の各項目毎の対比 (一) 1項について 原告記述部分1項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した三つの文章をつなげたものである。
一番目の部分(以下「一番目」という場合がある。他も同様である。)は、事実を説明した記述ではあるが、筆者の個性が発揮された表現として、創作性を認めることができる。二番目は、極く短い文章であり、筆者の個性が発揮された表現とはいえないので、創作性はない。三番目は、創作性を認めることができる。
そこで、原告記述部分1項一番目及び三番目と被告記述部分1項について対比する。
原告記述部分1項一番目は、城内についての簡単な説明がされ、三番目は、城内の様子について、道幅の狭い道路には、馬車がのろのろとしか走れないほど人が溢れ出て、その両側には派手な彩りの招牌(看板用の垂幕)が垂れ下がっているにぎやかな商店街が続き、油と肉とニンニクをごったまぜにして小麦粉で固めたようなにおいと、かびついた古本のようなにおいがたちこめていたことなどが記述されている。
これに対し、被告記述部分1項は、城内について、両側に商店と屋台が並び、油やニンニクの匂いがたっていて、吐き気を催すほどであること、多くの人がひしめくように歩いたり、道端でしゃがんで話したりしているため、狭い道が混雑していること、大福(陸一心)が陸徳志を見失いそうになりながらも慌てて腕に縋ったこと、陸徳志との会話などが記述されている。両者は、城内についての説明、城内の雑踏などの記述内容において似通った点もあるが、表現形式、語彙の選択等において、共通する点はない。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分1項は、原告記述部分1項一番目及び三番目と実質的に同一とはいえない。
また、城内に関する説明内容及び具体的描写が大きく異なるので、被告記述部分1項は、原告記述部分1項一番目及び三番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(二) 2項について 原告記述部分2項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した二つの文章をつなげたものである。
一番目は、極めて短い文章であり創作性はない。二番目は、同様に短い文章であるが、比喩が用いられている点などにおいて創作性を認めることができる。
そこで、原告記述部分2項二番目と被告記述部分2項を対比する。
原告記述部分2項二番目では、主がいなくなり、魂を失ったような空き家には、名札だけが残されていたことが記述されている。
これに対して、被告記述部分2項は、日本人街まで荷車を曳いていくのは大変だったこと、頼みにしていた家々は標札が残っているだけで、人の気配がなかったことが記述されている。両者は、文章の表現形式、語彙の選択において、共通する点はない。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分2項は、原告記述部分2項二番目と実質的な同一性もないし、また、右原告記述部分の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(三) 3項について 原告記述部分3項は、極めて短い文章であり、筆者の個性が現れているということはできず、創作性はない。
(四) 4項について 原告記述部分4項と被告記述部分4項について対比する。
原告記述部分4項は、城内の中国人たちには土着の生命力のような特殊な感覚があるためか、城内では、そのころめったにお目にかかることのない大豆、
高粱をわずかであるが手に入れることができたことが記述されている。
これに対して、被告記述部分4項は、永春路(城内を指す。)の市場には、どこからか物資が流れて来るのか、食べものの屋台が並び、豚肉や野菜をいためる油やニンニク、唐辛子の匂いが陸一心の唾液をそそったことが記述されている。両者は、城内には、普通では手に入らないような食料物資があることを記述した点において共通する点もあるが、表現形式、語彙の選択等において大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分4項は原告記述部分4項と実質的に同一とはいえない。
また、城内には入手困難な食料があることの表現方法などが大きく異なるので、被告記述部分4項は、原告記述部分4項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(五) 5項について 原告記述部分5項と被告記述部分5項について対比する。
原告記述部分5項は、毎日のように落下傘による投下が行われていること、落下傘による投下は、上空から、一度に重すぎる量を吊り下げるため、勢いよく落下すること、ねらいをつけた場所に落ちることがないこと、着地したときには破裂していること、下敷きになると死んでしまうし、民家の屋根に落ちると屋根に穴があくおそれがあること、落下傘の投下があると、銃を持った国民党軍が拾いに行くこと、市民は近づくと射殺されるので、恨めしそうに見ていること、国民党軍同士で奪い合いがあること、国民党軍が拾い終わって引き揚げると、群衆が殺到して、わずかに残っている米粒を拾ったことなどが記述されている。
これに対し、被告記述部分5項は、食糧の投下がはじまると、誰もが外へ出て機影を探したこと、最初は、低空飛行による兵舎への直接投下であったが、
長春を包囲していた八路軍からの攻撃が始まると、パラシュートによる投下に変わったこと、風に流されて、ふわふわ流れながら、屋根や道に落ちると、兵隊が駆けつける前に民衆が群がり、取ろうとして争ったこと、一心も間隙を縫って、箒ではき寄せて家に持ち帰ったことなどが記述されている。両者は、食料の空中投下の状況を記述した点において共通する点があるが、その具体的な状況、表現形式、語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分5項は原告記述部分5項と実質的に同一とはいえない。
また、食糧の空中投下についての内容及び具体的表現形式が大きく異なるので、被告記述部分5項から原告記述部分5項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(六) 6項について 原告記述部分6項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した四つの文章をつなげたものである。 一番目及び四番目は、いずれも極めて短い文章からなる記述であり、筆者の個性が現れているということはできず、創作性はない。
二番目及び三番目は比喩を用いて表現されたり、独自の表現がされたりしている点で、創作性を認めることができる。
そこで、原告記述部分6項二番目及び三番目と被告記述部分6項該当部分について対比する。
原告記述部分6項二番目は、何も食べる物がなくなると、レンガのような形に固めた高粱酒をとったあとの糟を食べたことが、三番目は、餓死寸前の長春市民がぞろぞろと這い出してきては雑草を摘んで、みんな命がけだったことが、それぞれ記述されている。
これに対し、被告記述部分6項は、陸夫婦も投下された食糧を拾いに行ったが素手で帰って来る場合が多く、その代り、楡の葉や食べられる野草を探し、
高粱酒の搾り滓と混ぜてふかし饅頭にして一家の命を永らえたことが表現されている。両者は、命を永らえるために何でもしたこと、高粱酒のかすを食料にしたことを記述した点において共通する点もあるが、その表現形式において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分6項は原告記述部分6項二番目及び三番目と実質的に同一とはいえない。
また、命を永らえるための行動に関する具体的な表現が異なるので、被告記述部分6項から原告記述部分6項二番目及び三番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(七) 7項について 原告記述部分7項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した二つの文章をつなげたものである。 原告記述部分7項と被告記述部分7項について対比する。
原告記述部分7項は、原告が手を伸ばすと腕が痛んだこと、低く垂れ下がった枝を選んで楡の葉を食べたが、やがて、葉も無くなったため、楡の樹皮をしゃぶるようになったことが記述されている。
これに対し、被告記述部分7項は、単に、街路樹の手の届く範囲での葉がむしり尽くされたので、幹の皮をはいで汁を吸ったことが簡潔な文章で表現されている(月刊誌版)。両者は、楡の葉を摘んだ後に、樹液まで食用にしたという記述内容において共通する点もあるが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分7項は原告記述部分7項と実質的に同一とはいえない。
また、両者の具体的表現が異なること、特に被告記述部分は極めて簡潔に述べられていること等の点で、被告記述部分7項から原告記述部分7項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(八) 8項について 原告記述部分8項と被告記述部分8項について対比する。
原告記述部分8項は、二階の窓から見下ろす興安大路が死の街と化していたこと、夏の盛りだというのに、街路樹の葉が食べ尽くされ、一枚もなくなっている様子、死んだような街路がどこまでも続いていることが記述されている。
これに対し、被告記述部分8項は、「日干し煉瓦の壁だけが残った家が多くなり、荒涼とした死の町のようであった」、「胡同全体がしんと静まり、夏の太陽だけがじりじりと、土壁の家を焼いた」と記述されている。両者は、荒涼とした町の様子が記述されている点、「死の街」「死の町」という言葉が選ばれている点において共通するが、その他の表現形式においては、大きく異なる。
右のような表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分8項は原告記述部分8項と実質的に同一とはいえない。
また、荒涼とした町の様子を描写した具体的表現形式が異なるので、被告記述部分8項から原告記述部分8項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(九) 9項について 原告記述部分9項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した四つの文章をつなげたものである。 原告記述部分9項と被告記述部分9項について対比する。
原告記述部分9項は、食べる物が無くなり、体力を消耗しないよう、ワニのように身動きしなかったこと、生きていることの証がほしく、誰からともなく歌を歌い出したこと、歌わなかったら人間でいられないような気がしたことなどが記述されている。
これに対し、被告記述部分9項は、食料投下のない日が多くなり、一日中水だけの生活になったこと、寝たきりで、三人が交互に声をかけ合って起さないと、そのまま死んでしまいそうであったことが記述されている。両者は、食べるものがなくなった後の様子を記述した点において共通する点があるが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右のような表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分9項は原告記述部分9項と実質的に同一とはいえない。
また、食べるものがなくなった後、死をのがれようとする様子についての具体的表現が大きく異なるので、被告記述部分9項から原告記述部分9項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(一〇) 10項について 原告記述部分10項は、極めて短い文章であり、創作性はない。
(一一) 11項について 原告記述部分11項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した七つの文章をつなげたものである。
一番目、二番目、四番目、六番目及び七番目は、いずれも、極めて短い文章であり、単に事実を記載したにすぎないものであるから、創作性はない。三番目及び五番目は、いずれも会話形式での表現であり、創作性を認めることができる。
そこで、原告記述部分11項三番目及び五番目と被告記述部分11項について対比する。
原告記述部分11項三番目及び五番目は、母親が長春を早く脱出したいと希望しているのに対し、父親は、八路軍の隊長と約束しているので、長春に留まろうとしていることが記述されている。これに対し、被告記述部分11項は、(養父がようやく、長春脱出を決意したため)、養母が安堵したことが記述されている。両者は、母親が長春脱出を希望しているのに対し、父親が決心しない状況を記述した点において共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、全く異なる。
右のような表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分11項は原告記述部分11項三番目及び五番目と実質的に同一とはいえない。
また、右のとおり具体的表現形式が大きく異なるので、被告記述部分11項から原告記述部分11項三番目及び五番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(一二) 12項について 原告記述部分12項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した二つの文章をつなげたものである。
一番目はごく短い文章で、個性の発揮もないので、創作性はない。二番目は、会話体を含むまとまりのある文章であり、創作性を認めることができる。
そこで、原告記述部分12項二番目と被告記述部分12項について対比する。
原告記述部分12項二番目では、長春市長が父親に対して詫び、多額の餞別、軍用の携帯食を与えたので、思いがけない収入があったことが記述されている。
これに対し、被告記述部分12項は、范家屯へたどり着くまでの食糧を案じる主人公の養父に対し、養母が、以前から食糧を用意してあることを告げ、この思いもよらない妻の言葉に養父が驚く様子が記述されている。両者は、長春を脱出する際の状況、思いがけない食料が手に入ったことが記述されている点で共通点があると解することもできるが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右のような表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分12項は原告記述部分12項二番目と実質的に同一とはいえない。
また、その具体的表現が大きく異なるので、被告記述部分12項から原告記述部分12項二番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(一三) 13項について 原告記述部分13項は、極めて短い文章からなり、筆者の個性が現れているということはできず、創作性はない。
(一四) 14項について 原告記述部分14項と被告記述部分14項について対比する。
原告記述部分14項は、解放区という語を餡ころ餅と結びつけて、別天地のようであると記述されている。これに対し、被告記述部分14項は、主人公が、
子について尋ねた途端、胃袋がぎゅっとなったことが記述されている。両者は、子供にとって解放区の意味が理解できなかった状況が記述されている点で共通している点もあるが、その表現形式及び語彙の選択等において、全く異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分14項は原告記述部分14項と実質的に同一とはいえない。
また、右のような相違によれば、被告記述部分14項から原告記述部分14項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(一五) 15項について 原告記述部分15項は、一番目が「不条理のかなた」からの、二番目が「子 出口なき大地」からの抜粋である。
一番目及び二番目とも、
子に関する歴史的事実又は説明的記載であり、筆者の個性の発揮はないので、創作性はない。
(一六) 16項について 原告記述部分16項と被告記述部分16項について対比する。
原告記述部分16項は、共産党側の子の門が一週間に一回か、一月に一回くらいしか開かないこと、四、五日前に開いたばかりであることが会話形式で記述されている。
これに対し、被告記述部分16項は、八路軍が受入れの数を調整してなかなか開門せず、両軍の間の真空地帯には人がたまっていること、春節や仲秋節には開くことが多いこと、主人公の家族は仲秋節に開門することを信じて、真空地帯で五日間ほど待機するべく、翌日出発しようとしたことが会話形式で記述されている。両者は、共産党側の子の開門の状況について、会話形式を用いて記述されている点で共通する点もあるが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分16項は原告記述部分16項と実質的に同一とはいえない。
また、
子の開門についての具体的内容及び表現形式が大きく異なるので、被告記述部分16項から原告記述部分16項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(一七) 17項について 原告記述部分17項と被告記述部分17項について対比する。
原告記述部分17項は、夏の盛りであるにもかかわらず、豊かな街路樹の葉が一枚も残らず食べ尽くされ、死んだような街路が続いている様子が記述されている。
これに対し、被告記述部分17項は、夏の陽ざしがぎらつく長春の街は、
不気味なほど静まり返っていたと記述されている。両者は、長春の夏の静かな様が記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分17項は原告記述部分17項と実質的に同一とはいえない。
また、街(町)の有様についての具体的内容及び表現形式が大きく異なるので、被告記述部分17項から原告記述部分17項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(一八) 18項について 原告記述部分18項は、極めて短い文章からなり、筆者の個性が現れているということはできず、創作性はない。
(一九) 19項について 原告記述部分19項と被告記述部分19項について対比する。
原告記述部分19項は、二、三日食べるものがあっても骨と皮ばかりになっていることに変わりがなかったこと、原告にとって、歩くことが大変であったことが記述されている。
これに対し、被告記述部分19項は、「栄養失調で痩せ細った体に、荷物が重くのしかかり、歩くだけで精一杯」であると記述されている。両者は、体が衰弱したことや歩くことの苦労が記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分19項は原告記述部分19項と実質的に同一とはいえない。
また、衰弱の様子や歩くことの困難さに関する具体的表現が大きく異なるので、被告記述部分19項から原告記述部分19項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(二〇) 20項について 原告記述部分20項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した三つの文章をつなげたものである。
一番目は極めて短い文章で創作性はない。二番目、三番目は、会話形式で表現したものであり、いずれも、個性の発揮された表現として創作性を認めることができる。
そこで、原告記述部分20項二番目及び三番目と被告記述部分20項について対比する。
原告記述部分20項二番目及び三番目では、中国では、戦争のたびに民衆が巻き添えを食ってきたが、戦争の負け方を知らないと生き残れず死んでしまうこと、日本人は自分の土地で戦争に巻き込まれたこともなく、戦争の負け方も知らないことなどが会話形式で記述されている。
これに対し、被告記述部分20項は、中国では戦乱の度に逃げ惑うことになるが、平時になると元に戻って暮らせること、目先の物事に固執せず、長い目でものを見ないと日本に帰れないと陸徳志が述べたことが記述されている。両者は、
会話形式で表現されていること、中国における戦時の生き方について触れられている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分20項は原告記述部分20項二番目及び三番目と実質的に同一とはいえない。
また、中国で戦乱の世を生き抜く心構えの説明内容、場面設定、その具体的表現形式が大きく異なるので、被告記述部分20項から原告記述部分20項二番目及び三番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(二一) 21項について 原告記述部分21項は、一番目が「子 出口なき大地」からの、後段が「不条理のかなた」からの抜粋である。一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した二つの文章をつなげたものである。
一番目は、
子に関する歴史的事実の表現であり、筆者の個性の発揮はないので、創作性はない。二番目は、
子を目指して長春を脱出する難民の様子を独自の文章で表現したものであり、創作性を認めることができる。
そこで、原告記述部分21項二番目と被告記述部分21項について対比する。
原告記述部分21項二番目では、
子を目指して長春を脱出する難民の長い列ができていたこと、餓死寸前の足が一様に重い様子であることが記述されている。
これに対し、被告記述部分21項は、長春の南西のはずれの洪熙街に来ると、主人公一家のように家財道具一式を担いだ痩せ細った人の列が、陽炎のように揺れながら続いていたこと、瀋陽方向へ脱出するにはその道を通るしかないことが記述されている。両者は、長春を脱出しようとする難民の様子について記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分21項は原告記述部分21項二番目と実質的に同一とはいえない。
また、長春を脱出しようとする難民の様子を描写した具体的表現が大きく異なるので、被告記述部分21項から原告記述部分21項二番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(二二) 22項について 原告記述部分22項は、極めて短い文章であり、創作性はない。
(二三) 23項について 原告記述部分23項は、極めて短い文章であり、創作性はない。
(二四) 24項について 原告記述部分24項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した二つの文章をつなげたものである。
一番目は、筆者の個性が発揮されたものとして、創作性を認めることができるが、二番目は、極めて短い文章であり、創作性はない。
そこで、原告記述部分24項一番目と被告記述部分24項について対比する。
原告記述部分24項一番目では、国民党軍の兵隊により検査すると言われて、めぼしい物が奪われたことが記述されている。
これに対し、被告記述部分24項は、「地面に荷物を広げると、二人の兵隊は金目のものを物色するような目付きで検査したが、めぼしい物がない」と記述されている。両者は、
子に入る際の荷物検査の様子が記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分24項は原告記述部分24項一番目と実質的に同一とはいえない。
また、荷物検査に関する具体的内容及び表現形式が大きく異なるので、
被告記述部分24項から原告記述部分24項一番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(二五) 25項について 原告記述部分25項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した三つの文章をつなげたものである。
一番目ないし三番目の文章は、いずれも極めて短い文章であり、創作性はない。
(二六) 26項について 原告記述部分26項は、一番目が「子 出口なき大地」からの、後段が「不条理のかなた」からの抜粋である。一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した二つの文章をつなげたものである。
一番目は、事実に関する説明的記述であるが、筆者の個性、感情が発揮された文章であり、創作性が認められる。二番目は、省略部分を介した二つの文章からなるが、いずれも極めて短い文章であり、創作性はない。
そこで、原告記述部分26項一番目と被告記述部分26項について対比する。
原告記述部分26項一番目では、ひとたび柵を越えたら、絶対に引き返すことができないという厳しい条件が付けられたことが記述されている。
これに対し、被告記述部分26項は、二度と長春に戻れないと念押しされた言葉が重苦しく甦ったことなどが記述されている。両者は、二度と長春に戻れないことを強調している点で共通するが、その具体的な表現形式は大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分26項は原告記述部分26項一番目と実質的に同一とはいえない。
また、右表現形式の相違に照らすならば、被告記述部分26項から原告記述部分26項一番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(二七) 27項について 原告記述部分27項は、極めて短い文章であり、出門の交渉に関するありふれた表現であって、筆者の個性が現れているということはできず、創作性はない。なお、両者の表現及び内容上の同一性類似性もない。
(二八) 28項について 原告記述部分28項と被告記述部分28項について対比する。
原告記述部分28項は、父親が、原告の質問に、国民党と八路軍の中間地帯であること、
子は柵が二重になっていること、「あっち」にあるのが解放区の出口であることを説明していること、解放区への出口は、鉄条網の柵が張りめぐらしてあり、その柵に大きな柵門が施してあることが、会話形式を交えて記述されている。
これに対し、被告記述部分28項は、養父が主人公に対して、出口を指さして、
子まで二里くらいだから、じきに戻ってくる、向うの様子が見えるだろうなどと説明したことが会話形式で記述されている。両者は、父親が出口を指して、
説明する様が記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分28項は原告記述部分28項と実質的に同一とはいえない。
また、解放区の出口ないし子の様子に関する記述内容、場面設定の状況が大きく異なるので、被告記述部分28項から原告記述部分28項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(二九) 29項について 原告記述部分29項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した二つの文章をつなげたものである。
一番目は、創作性を認めることができる。二番目は、極めて短い文章であり、創作性はない。
そこで、原告記述部分29項一番目と被告記述部分29項について対比する。
原告記述部分29項一番目では、原告にとって、解放区は、餡ころ餅と結び付いて食糧の豊富な別天地のように思えたこと、長春と違って緑豊かで花が咲き乱れ、陽の光が降り注ぎ、小鳥が舞い踊っているに違いないと思ったことが記述されている。
これに対し、被告記述部分29項は、「真空地帯の向うは、緑の田畑が地平線まで続き、いかにも解放区らしい明るさが感じられた」と記述されている。両者は、緑豊かで明るい、解放区に対する印象が記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分29項は原告記述部分29項一番目と実質的に同一とはいえない。
また、解放区についての印象、その状況に関する具体的表現が異なるので、被告記述部分29項から原告記述部分29項一番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(三〇) 30項について 原告記述部分30項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した二つの文章をつなげたものである。
一番目は、極めて短い文章であり、創作性はない。二番目は、筆者の個性が発揮された文章であり、創作性を認めることができる。
そこで、原告記述部分30項二番目と被告記述部分30項について対比する。
原告記述部分30項二番目では、父親がいい人だと言っていた八路軍が、
どうしてひどいことをするのか、どうして門を開けてくれないのか、という疑問を、原告と父親との会話形式で記述されている。
これに対し、被告記述部分30項は、「あんな近くに解放区があるのに、
なぜ、八路軍はすぐに通してくれないの、一心は不思議だった」と記述されている。両者は、八路軍が子の門を開けない理由について疑問を抱いていることが会話形式で記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分30項は原告記述部分30項二番目と実質的に同一とはいえない。
また、開門を拒むことに対する疑問を抱く状況及びその視点が大きく異なるので、被告記述部分30項から原告記述部分30項二番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(三一) 31項について 原告記述部分31項と被告記述部分31項について対比する。
原告記述部分31項は、新入りの難民に対して、それまで横になっていた人々が立ち上がり、手に枯れ枝や棒きれを持ち、獣のような太い声を上げながら大群をなして襲いかかったこと、一瞬のうちにそれが何事もなかったかのように静まったことなどが記述されている。
これに対し、被告記述部分31項は、新入りであった主人公一家が、骨と皮だけの三、四人の男たちに、食糧をひったくられたこと、主人公の養父が抵抗するが、他の男からの襲撃を受けて、食糧を奪い取られること、周囲の人々はこの騒ぎには無関心に蹲っていたことなどが記述されている(なお、被告小説(月刊誌)は、周囲の人々の無関心な様子が異なって記述されている。)。両者は、新入りの難民(主人公一家)を襲う様が記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分31項は原告記述部分31項と実質的に同一とはいえない。
また、新入りの難民を襲って食糧を奪う具体的状況、場面設定が大きく異なるので、被告記述部分31項から原告記述部分31項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(三二) 32項について 原告記述部分32項と被告記述部分32項について対比する。
原告記述部分32項は、隣りにいた日本人女性から、「あきゃしませんよ。」と話掛けられて、
子の門は、一週間に一回か、一か月に一回ぐらいしか開けられないこと、四、五日前に開いたばかりであることを聞かされたことが記述されている。
これに対し、被告記述部分32項は、近くにいた二人の男が、か細い声で、彼らは子に入って五日になると語ったことが記述されている。両者は、
子の出入りについて記述されている点で共通する部分もなくはないが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分32項は原告記述部分32項と実質的に同一とはいえない。
また、開門の状況についての会話の内容、人物構成、場面設定及び状況が大きく異なるので、被告記述部分32項から原告記述部分32項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(三三) 33項について 原告記述部分33項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した三つの文章をつなげたものである。
一番目は、原告らもいずれ略奪する側に回るはずであることを、二番目は、略奪をしないと生きていけないことを、それぞれ会話を交えながら独自の文章で表現してあり、創作性を認めることができる。三番目は、極めて短い文章であり、創作性はない。
そこで、原告記述部分33項一番目及び二番目と被告記述部分33項について対比する。
原告記述部分33項一番目では、日本人の男が、いずれ原告らも奪う側に回ること、ただ奪うだけではなく、もっといいものが見られるようになると語ったこと、二番目では、
子の中では、略奪でもする以外に生きていく道がなく、それとも人肉でも食べるかと問いかけたことなどが記述されている。
これに対し、被告記述部分33項は、主人公の養父が、近くにいた二人の男から、人の物を奪わないと生きていけない、いっしょに新入りを襲撃しようと持ちかけられたこと、養父は、自分は教師であると言ってこれを拒絶したこと、男達が、ここでは教師もなにもない、今に思い知るはずだと嘲るように言ったことなどが記述されている(なお、被告小説(月刊誌)は、腹だたしげに言い、話しかけてこなかった、と記述されている。)。両者は、他人から奪われるだけでなく、奪わないと生きていけないことが会話形式で記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分33項は原告記述部分33項一番目及び二番目と実質的に同一とはいえない。
また、人物設定、具体的な状況、場面設定(略奪行為が持ちかけられたか、これを明確に拒絶したかなど)など、表現方法が大きく異なるので、
被告記述部分33項から原告記述部分33項一番目及び二番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(三四) 34項について 原告記述部分34項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した三つの文章をつなげたものである。
原告記述部分34項と被告記述部分34項について対比する。
原告記述部分34項一番目では、その夜、激しい雨が降り、ふとんや体がびしょ濡れになってしまったこと、夜が白みかけるころには雨はやみ、浅く埋められた死体が、雨水に土を洗われて浮かびあがってきたことが、二番目では、原告が用を足そうと死体の少なそうなところを見定めてしゃがむとおしりに固いものが触れ、ふり向くと、地面から枯れ枝のような人の手指が突き出ていて、思わず前に飛びのいたこと、その先には小水で土が洗われて地表に表れていた死体の見開いた目が原告を見すえていたことが、三番目では、原告にとって、赤いガラス玉であると感じていた夕陽が無気味で恐ろしく感じられたことなどが記述されている。
これに対し、被告記述部分34項は、黒い雲が垂れ込め、突如雷鳴とともに大粒の雨が地面を叩きつけ、真空地帯には今にも雷が落ちて来そうであったこと(月刊誌版では、普段の生活ではそれほど気にならない雷が、よけるものがない真空地帯では今にも落ちて来そうで、主人公が恐怖心を抱く様子が記載されている。)、雷雨はやんで、空は晴れたが、雨に濡れた服を乾かそうと主人公が地面に伏した体を起こしかけた時(月刊誌版では、草の間から起き上がりかけた際)、雨で流された地面に現れた女(月刊誌版では若い女性)の死体に触れたこと、仰天し悲鳴を上げたことなどが記述されている(なお、月刊誌版では、俄雨が降り、清らかな雨水を飲んだという記述もある。)。両者は、激しい雨が降ったこと、地面に埋められた死体が地表に現れたこと、死体の一部が体に触れて、死体であると気がつくことなどが記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分34項は原告記述部分34項と実質的に同一とはいえない。
また、地表に死体が現れてこれに驚く具体的状況や表現形式が大きく異なるので、被告記述部分34項から原告記述部分34項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(三五) 35項について 原告記述部分35項は、極めて短い文章であり、創作性はない。
(三六) 36項について 原告記述部分36項と被告記述部分36項について対比する。
原告記述部分36項は、体が弱ってくると虫がつくこと、血を吸われるに任せていたこと、一日かかって虱を取り尽くしても、翌朝には頭皮や脇の下を中心にびっしり虱に被われていたことなどが記述されている。
これに対し、被告記述部分36項は、栄養失調の皺んだ体から生き血を吸おうとする蚊の群を払い、叩き潰すのに疲れたことが記述されている。両者は、弱った体から血を吸う虫について記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分36項は原告記述部分36項と実質的に同一とはいえない。
また、虫が生き血を吸う具体的状況及び表現形式が大きく異なるので、
被告記述部分36項から原告記述部分36項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(三七) 37項について 原告記述部分37項と被告記述部分37項について対比する。
原告記述部分37項は、父が原告の背中を撫でてくれたこと、原告が安らぎ、眠りに落ちたことが記述されている。
これに対し、被告記述部分37項は、「陸夫婦のあたたかい体の間でようやく眠りに落ちた。翌朝、眼を醒ますと」と記述されている。両者は、親の温もりで眠りに落ちたことが記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分37項は原告記述部分37項と実質的に同一とはいえない。
また、親の温もりを感じて、子供が眠りに落ち、翌朝目を覚ますということはありふれた状況といえるから、このような点で共通性があるからといっても、なお、前記の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分37項から原告記述部分37項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(三八) 38項について 原告記述部分38項は、極めて短いありふれた文章からなる表現であって、筆者の個性が現れているということはできず、創作性はない。
(三九) 39項について 原告記述部分39項は、一番目及び二番目が「子 出口なき大地」からの、三番目が「知られざる子」からの抜粋である。一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した三つの文章をつなげたものである。
一番目は、雑草を摘みに行ったという会話が、極めて短いありふれた文章で表現されていること、三番目は真空地帯の包囲環に関する事実を普通に表現したものであることから、創作性はない。二番目は、
子の雑草の生息について表現されており、筆者の個性が発揮されたものとして、創作性を認めることができる。
そこで、原告記述部分39項二番目と被告記述部分39項について対比する。
原告記述部分39項二番目では、この辺りには雑草が一本も生えていないこと、線路沿いに右へと行くと草が生えている場所があるらしいことが記述されている。
これに対し、被告記述部分39項は、周囲の人達はどこから採ってきたのか野草の泥を払い、そのまま食べていること、田畑だったところの草は採り尽され、遠くまで行かなければならなかったこと、長春市内を円形に包囲した幅二キロの環状の真空地帯を行くと、相当遠くまで行け、食べられそうな柔らかい草があり、鍋で煮て食べたことが記述されている。両者は、草を採って食用に供したことが記載されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分39項は原告記述部分39項二番目と実質的に同一とはいえない。
また、雑草を求めた状況及びその具体的表現が異なるので、被告記述部分39項から原告記述部分39項二番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(四〇) 40項について 原告記述部分40項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した三つの文章をつなげたものである。
一番目及び二番目は、極めて短い文章であり、創作性はない。三番目は、川の様子を独自の表現で描写している点で、創作性を認めることができる。
そこで、原告記述部分40項三番目と被告記述部分40項について対比する。
原告記述部分40項三番目では、川底の泥が見えるくらいの川があったことが記述されている。これに対し、被告記述部分40項は、浅く淀んだ川で水を汲み、草を煮て食べたことが記述されている(月刊誌版。単行本版では、川に関する記述は削除されている。)。両者は、浅い川に関して記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右のような表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分40項は原告記述部分40項三番目と実質的に同一とはいえない。
また、浅い川についての表現形式が大きく異なるので、被告記述部分40項から原告記述部分40項三番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(四一) 41項について 原告記述部分41項は、一番目が「不条理のかなた」からの、二番目ないし五番目が「子 出口なき大地」の異なる箇所からの抜粋である。一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した五つの文章をつなげたものである。
一番目及び四番目は、極めて短いありふれた文章であるから、筆者の個性の発揮はなく、創作性はない。
そこで、原告記述部分41項二番目、三番目及び五番目と被告記述部分41項について対比する。
原告記述部分41項二番目では、見上げるほどの死体の山があったこと、
解放区側の照明と月明かりで死体の一つ一つが鮮明に浮かびあがっていたことが、
三番目では、翌朝、八路の兵隊が二人で、熊手のような物で転がっている死体を庭掃除でもするかのように掻き集め、死体の山に積み上げようとしたことが、五番目では、腐乱死体の状況、これにハエがたかっている様子が記述されている。
これに対し、被告記述部分41項は、異様な悪臭を放つ小山に気付き、視線を凝らすと、丸太棒のように腐乱死体が積まれ、蠅が真っ黒にたかっていたこと、解放区のバリケードの近くに死体の山があるのは、
子が開くのを待ちながら死んで行った死体を八路軍の兵隊が整理しているように思われたことが記述されている(月刊誌版は、死体の山を「小山」、「腐乱死体の山」と、「積まれ」を「積み上げられ」と表記しているが、その他は単行本版と概ね同一である。)。両者は、死体を積み上げ、そのため小さい山が形作られたことが記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分41項は原告記述部分41項二番目、三番目及び五番目と実質的に同一とはいえない。
また、死体や死体の山の具体的状況、八路軍兵士に関する具体的表現形式が大きく異なるので、被告記述部分41項から原告記述部分41項二番目、三番目及び五番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(四二) 42項について 原告記述部分42項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した二つの文章をつなげたものである。
原告記述部分42項と被告記述部分42項について対比する。
原告記述部分42項は、一番目では、原告は、八路軍の一兵士から八路軍は人民の味方であると聞かされ、八路軍に信頼を寄せていたので、八路軍が子の門を閉ざし、多くの人が死んでいく光景を目の前にして、八路軍に対する疑問を抱き、父親に対して、八路軍がそんなひどいことをするのか尋ねたことなどが、二番目では、原告にとって赤いガラス玉であった夕陽と八路軍の赤いイメージをからめながら、八路軍に対して否定的な感情を抱いたことなどが、それぞれ記述されている。
これに対し、被告記述部分42項は、国府軍に捕らえられた兵隊が、毛主席万歳と叫んで処刑されたこと、主人公は、どうして、八路軍が子を開けて人民を救ってくれないのか不思議に思ったことが記述されている。両者は、八路軍がなぜ 子を開けてくれないのかという疑問を投げかけたことが記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分42項は原告記述部分42項と実質的に同一とはいえない。
また、原告ないし主人公が八路軍に対して持っていた思い、疑問を抱く具体的状況が異なるので、被告記述部分42項から原告記述部分42項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(四三) 43項について 原告記述部分43項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した二つの文章をつなげたものである。
原告記述部分43項と被告記述部分43項について対比する。
原告記述部分43項は、地鳴りのような無気味な音に目が覚めたこと、地面を這う音は、地底からの呻き声であるかのようであることが記述されている。これに対し、被告記述部分43項は、「声にならない声を発し」と記述されている。両者は、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分43項は原告記述部分43項と実質的に同一とはいえない。
また、声に関する描写ないし具体的表現形式が大きく異なるので、被告記述部分43項から原告記述部分43項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(四四) 44項について 原告記述部分44項は、死体が運ばれる様子について、極めて短い文章で表現されており、筆者の個性が現れているということはできず、創作性はない。なお、両者の表現及び内容上の同一性類似性もない。
(四五) 45項について 原告記述部分45項は、一番目が「子 出口なき大地」からの、二番目が「不条理のかなた」からの抜粋である。一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した二つの文章をつなげたものである。
一番目及び二番目は、いずれも、やせて老人のような皺のある顔になった様子を、極めて短い文章で表現したものであり、創作性はない。なお、原告記述部分45項と被告記述部分45項の表現及び内容上の同一性類似性もない。
(四六) 46項について 原告記述部分46項と被告記述部分46項について対比する。
原告記述部分46項は、死体の山を前にした父が祈る様子が記述されている。これに対し、被告記述部分46項は、老人のようになった養父が主人公に対し詫びる様が記述されている。両者は、月の光を受けて、父親が言葉を発する様が記述されている点で共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分46項は原告記述部分46項と実質的に同一とはいえない。
また、具体的情景及び内容が大きく異なるので、被告記述部分46項から原告記述部分46項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(四七) 47項について 原告記述部分47項は、父親が原告に謝罪したことについての、極めて短い文章であり、筆者の個性が現れているということはできず、創作性はない。
(四八) 48項について 原告記述部分48項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した三つの文章をつなげたものである。
一番目ないし三番目は、夕陽に関する描写であり、いずれも極く短い文章ではあるが、比喩など独自の表現がされており、筆者の個性が発揮されたものとして創作性を認めることができる。
そこで、原告記述部分48項と被告記述部分48項について対比する。
原告記述部分48項は、陽が傾きかけて赤味を帯びると、太陽は大きくふくらみながら迫ってきたこと、無気味で恐ろしく感じられたことが記述され、さらに「明るいあいだは、せめて動いている人の姿が私たちを命ある世につなぎ、この世ならぬものからいくらかでも救っていた」と表現されている。
これに対し、被告記述部分48項は、月光が蒼味を帯び、あの世は、このような光景なのだろうかと想像されたこと、男の眼が月の下で青味を増したことが記述されている。両者は、およそ共通する点はなく、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分48項は原告記述部分48項と実質的に同一とはいえない。
また、具体的情景が大きく異なるので、被告記述部分48項から原告記述部分48項の創作性を有する本質的特徴を直接感得することもできない。原告は、被告が原告記述部分48項の「この世」を「あの世」に、「赤味」を「蒼味」ないし「青味」に、それぞれ置き換えたにすぎないので、翻案である旨主張するが、具体的表現形式の相違点に照らして、原告の主張は採用できない。
(四九) 49項について 原告記述部分49項と被告記述部分49項について対比する。
原告記述部分49項は、難民が食糧を略奪したこと、さらにその食糧も他の難民に奪われてしまうことが詳細に記述されている。これに対し、被告記述部分49項は、主人公とその養父が他の難民から食糧を奪う様子が表現されている。両者は、難民から食糧を奪ったことが記述されている点において共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分49項は原告記述部分49項と実質的に同一とはいえない。
また、表現されている具体的場面、状況設定が大きく異なるので、被告記述部分49項から原告記述部分49項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(五〇) 50項について 原告記述部分50項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個の二つの文章をつなげたものである。
一番目は、極く短い文章ではあるが、比喩など独自の表現がされており、筆者の個性が発揮されたものとして創作性を認めることができる。二番目は、
極めて短い文章であり、筆者の個性が現れているということはできず、創作性はない。
そこで、原告記述部分50項一番目と被告記述部分50項について対比する。
原告記述部分50項一番目では、長春を脱出しようと決意した父親の気迫ある様子が記述されている。これに対し、被告記述部分50項は、略奪する際の主人公の養父の痩せすぎた異様な姿が記述されている。両者は、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分50項は原告記述部分50項一番目と実質的に同一とはいえない。
また、場面設定、具体的状況、表現形式が全く異なるので、被告記述部分50項から原告記述部分50項一番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(五一) 51項について 原告記述部分51項と被告記述部分51項について対比する。
原告記述部分51項は、父親が原告らに対し、餓死寸前の人間がいきなり大量に食べて死ぬようなことがないよう、少しづつ量を増やして食べさせようとすることが記述されている。これに対し、被告記述部分51項は、主人公の養父が、急いで食べてはいかんぞ、よく噛んで食べろと注意する様子が記述されている。両者は、餓死直前の子に、ゆっくり食べるように注意を与える様子が記述されている点において共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分51項は原告記述部分51項と実質的に同一とはいえない。
また、表現されている具体的状況が異なるので、被告記述部分51項から原告記述部分51項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(五二) 52項について 原告記述部分52項と被告記述部分52項について対比する。
原告記述部分52項は、原告は、生大豆の味を知らなかったこと、それを青臭く、気持ち悪いと感じたことが記述されている。これに対し、被告記述部分52項は、大豆の炒り豆は栄養価が高く、よく噛むと甘みが口の中に広がったことが記述されている。両者は、大豆を食べたことが記載されている点や「口の中に広がった」という表現が用いられている点において共通するが、その他の表現形式及び内容において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分52項は原告記述部分52項と実質的に同一とはいえない。
また、味覚に関する具体的内容及び表現形式が全く異なるので、被告記述部分52項から原告記述部分52項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(五三) 53項について 原告記述部分53項と被告記述部分53項について対比する。
原告記述部分53項は、倒れた死体が運ばれていったこと、ところどころに円陣ができたこと、円陣では背中がすき間なく並び、中で何が起きているかは見えなかったこと、その中から煙が立ち上がっていたこと、男がわかったかというような目つきでギラリと振り向いたことなどが記述されている(人肉を食べている状況を暗示させているが、直接的な記述はない。)。
これに対し、被告記述部分53項は、匪賊が、円陣を組んで、死体を切断し、大鍋に入れたこと、白い湯気がたったこと、その臭いが周囲の人々の胃液を吐き出させていたことが記述されている。両者は、円陣を組んで、人肉が食べられたことが記述されている点において共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分53項は原告記述部分53項と実質的に同一とはいえない。
また、人肉が食べられたという具体的状況及びその表現形式が異なるので、被告記述部分53項から原告記述部分53項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(五四) 54項について 原告記述部分54項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個独立した六つの文章をつなげたものである。
一番目は、骨をしゃぶる男の様子を、二番目は、難民の目が注がれる様子を、三番目は原告が恐怖心を抱く様子を、それぞれ独自の文章で表現したものであり、筆者の個性が発揮されたものとして創作性を認めることができる。四番目ないし六番目は、極めて短い文章からなる表現であり、創作性はない。
そこで、原告記述部分54項一番目ないし三番目と被告記述部分54項について対比する。
原告記述部分54項一番目では、一人の男が黙々と骨をしゃぶっていること、その男の目が自分に注がれ、自分が狙われるのではないかと恐怖心を抱いたことが、二番目では、陽が落ちて薄暗くなった中で、数知れぬ難民の異様にぎらついた目が原告らに注がれたこと、原告らが、死体の少なそうな場所に腰を下ろしたことが、三番目では、原告が恐怖心を抱き、毛が逆立ち、動悸が耳を打ち、声を出そうとしても声が出なかったこと、目を覚ましている父親にしがみついたことが、それぞれ記述されている。
これに対し、被告記述部分54項は、主人公は自分のことをじぃっと見つめる男に気付いたこと、草さえなく、人肉以外に食べられるものがなくなった中で、互いが互いを窺い合うような気配が漂う月夜であったこと、男の目は青くらんらんと光り一層青みを増したこと、これに耐えかねた主人公が養父に話しかけると、養父が目をそらさないようにと注意を促し、養父にかばわれながら主人公がその男の目をにらみ返したこと、森閑とした夜の闇の中で男の眼だけが光り、養父の心臓の鼓動が主人公の耳に伝ったことなどが記述されている。両者は、自己が狙われているという状況が記述されている点において共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分54項は原告記述部分54項一番目ないし三番目と実質的に同一とはいえない。
また、表現されている具体的場面及びその表現形式が大きく異なるので、被告記述部分54項から原告記述部分54項一番目ないし三番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(五五) 55項について 原告記述部分55項と被告記述部分55項について対比する。
原告記述部分55項は、生きているのか死んでいるのか分からないような父の体から朗々たる声が出された様子が記述されている。これに対し、被告記述部分55項は、養父がどこにそのような力が残っていたのかと思われるほどしっかりした声を発する様子が表現されている。両者は、力強い声が発せられたことが記述されている点において共通するが、その表現形式において大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分55項は原告記述部分55項と実質的に同一とはいえない。
また、父親(養父)から出てくる声の描写の仕方、その具体的表現が異なるので、被告記述部分55項から原告記述部分55項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(五六) 56項について 原告記述部分56項と被告記述部分56項について対比する。
原告記述部分56項は、
子の出口における検問の際、原告の一行が一人ずつ読み上げられ、全員原告の父親の新京製薬関係者及びその家族ということから一旦は八路軍の兵士により出門を許可されるが、その直後、別の八路軍の兵隊が割り込むようにして銃剣で原告らの出門を阻み、原告の一行のうち、同行していたM未亡人とその子供の出門を不許可とすると告げられたことが記述されている。
これに対し、被告記述部分56項は、
子の出口で、兵隊からの求めに応じて原告の養父が身分証を提示して身分確認を受けた後、出門を許可され養父母が子の外へ出るが、主人公の姿がなく、振り返ると主人公が養父母とはぐれ、柵門のところで兵隊らに出門を止められていたことが記述されている。両者は、
子の出口における検問の際、一行のうち一部の者が出門を阻止される状況が描かれている点において共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分56項は原告記述部分56項と実質的に同一とはいえない。
また、出門の際の身分確認の具体的状況、一行のうちの一部の者が出門を阻まれる具体的状況、それらの表現形式が大きく異なるので、被告記述部分56項から原告記述部分56項の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
(五七) 57項について 原告記述部分57項は、「子 出口なき大地」からの抜粋であるが、一連の文章ではなく、被告記述部分と対比する便宜上、別個の二つの文章をつなげたものである。
一番目は、
子からの出門状況について、詳細に描写した表現であり、
筆者の個性の発揮された表現として、創作性を認めることができる。二番目は、極めて短い文章であり、創作性はない。
そこで、原告記述部分57項一番目と、被告記述部分57項について対比する。
原告記述部分57項一番目では、
子からの出門の際、原告らの同行者である技術者Mの遺族らが出門を許されず、原告の父親の必死の懇願にもかかわらず許可されなかったこと、原告の父親はその遺族らを置き去りにして子を脱出せねばならなかったことが克明詳細に表現されている。これに対し、被告記述部分57項は、出門を阻止されようとした主人公を自らの身と引き換えに出門させようとした養父の献身的な行為が描かれている(被告小説では、これに続いて、主人公が最終的には出門を許可され、はじめて養父のことを「々」と呼ぶことになる状況が記述されている。)。両者は、
子の出口における検問の際、一行のうち一部の者が出門を阻止される状況が描かれている点において共通するが、その表現形式及び語彙の選択等において、大きく異なる。
右の表現形式上の相違に照らすならば、被告記述部分57項は原告記述部分57項一番目と実質的に同一とはいえない。
また、表現されている具体的状況及び場面設定が大きく異なるので、被告記述部分57項から原告記述部分57項一番目の創作性を有する本質的な特徴部分を直接感得することもできない。
したがって、複製権又は翻案権侵害はない。
3 まとめ 以上によれば、被告記述部分1項ないし57項は、依拠性の点を判断するまでもなく、原告記述部分1項ないし57項に係る原告の複製権及び翻案権を侵害しない。
氏名表示権侵害の有無について 前記一ないし五のとおり、被告が、被告小説(被告記述部分)において、原告各著作物(原告記述部分)を複製し、翻案したとはいえない以上、これを前提とする氏名表示権侵害の主張は理由がない。
七 人格権侵害の有無について (一) 原告の人格に対する侵害及び原告の父親に対する敬愛追慕の情の侵害 原告は、前記第二、二、6(一)及び(二)記載のとおり主張する。その趣旨は、原告が自らの個人的な体験を記述、公表したところ、被告が、原告に無断で、
これを被告小説に利用したのであるから、右行為は、違法性を有するということにある。
一般に、小説等を執筆するに当たって、既に公表された先行著作物を参照して、そこに記載された思想や事実を基礎として、作品を完成させることは、先行著作物に係る著作権を侵害しない限り、また、他人の人格権ないし人格的利益を侵害しない限り、原則として、許容されると解すべきことはいうまでもない。そして、第三者が、既に公表された先行著作物に記載された思想や事実を基礎として作品を完成させることが許されるか否かは、健全な社会通念に照らして、侵害されたとする他人の人格権ないし人格的な利益の性質及び内容、侵害したとする利用態様等を総合的に斟酌して判断すべきである。ところで、本件における発表者の静穏な感情のように、人格権ないし名誉権とまではいえない主観的な利益についても、同様に保護される余地があることはいうまでもないが、このような主観的な利益を損なう行為については、作品の利用態様等が社会的に許容できる限度を超える特段の事情が認められない限り、不法行為を構成すると解するのは相当でない。
本件において、原告が表現した中国大陸における悲惨な体験は、原告の人生に強い影響を与え、心の深い傷として残っていたこと、原告の父親に対する鎮魂、敬愛追慕の情が執筆の動機であったことなど特別な事情が存在することは容易に認められるが、そのような点を考慮にいれても、なお、被告が前記認定した内容及び態様で、被告小説を執筆、完成させたことが、社会通念に照らして、原告の人格権ないし静穏な感情、追慕の情を侵害する違法な行為であるということはできない。
この点に関する原告の主張は採用できない。
(二) その他の人格権侵害について 一般に、小説を執筆、出版するに当たって、@参考とした文献を掲記したり、A著作した動機を明らかにしたり、B既に公表されている書籍に記述された個人的な体験や事実をありのままに記述しなければならないと解する格別の理由はない。したがって、被告が、被告小説を執筆、出版するに当たり、@「子 出口なき大地」以外の原告各著作物を参考文献として掲記しなかったこと、A著作の動機を明らかにしなかったこと、B原告各著作物に記述された体験又は事実と異なることを記述したこと等の各行為が不法行為に該当すると解する余地はない。
この点に関する原告の主張は失当である。
(三) 以上のとおり、原告の人格権侵害の主張はいずれも理由がない。その他、原告は、るる主張するが、いずれも採用する限りでない。
八 したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告の本件請求は、
いずれも理由がない。
追加
別紙目録一著作物の種類小説題号大地の子著作者【B】こと【C】(被告)最初の公表年月日等一九八七年四月から一九九一年三月頃までの間に月刊誌「文藝春秋」に連載別紙目録二謝罪広告私が月刊「文藝春秋」一九八七年五月号から一九九一年四月号にかけて連載し、株式会社文藝春秋から出版した小説「大地の子」は、主人公陸一心が子に向かうところから子を脱出するまでの部分(月刊「文藝春秋」一九八七年七月号及び同年八月号掲載、単行本では上巻第三章及び第四章)については、貴殿の著作物である「子出口なき大地」(読売新聞社刊、文春文庫)及び「不条理のかなた」(読売新聞社刊「こぶしの花」所収)の記述を盗用し自ら創作したかのように記述したものでした。私の行為により貴殿の人格権及び著作権を侵害し、貴殿に回復し難い精神的苦痛を与え、貴殿の尊厳を著しく傷つけました。ここに心からお詫び申し上げます。
【B】【A】殿掲載条件一、字格五号活字使用二、見出し並びに被告及び原告の氏名ゴシック活字使用三、二段組七センチメートル幅別紙目録三謝罪広告私が本誌の一九八七年五月号から一九九一年四月号にかけて連載した小説「大地の子」は、主人公陸一心が子に向かうところから子を脱出するまでの部分(本誌一九八七年七月号及び同年八月号掲載)については、貴殿の著作物である「子出口なき大地」(読売新聞社刊、文春文庫)及び「不条理のかなた」(読売新聞社刊「こぶしの花」所収)の記述を盗用したものでした。貴殿の人格権及び著作権を侵害し、貴殿に回復し難い精神的苦痛を与え、貴殿の尊厳を著しく傷つけました。ここに心からお詫び申し上げます。
【B】【A】殿掲載条件一、字格九ポイント活字使用二、見出しゴシック活字使用三、タテ二分の一頁(天地一七九ミリメートル、左右五九ミリメートル)別紙対照表一別紙対照表二別紙対照表三別紙対照表四
裁判長裁判官 飯村敏明
裁判官 沖中康人
裁判官 石村智
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